オートバイの実用化を願う切実な巻頭記事
巻頭「実用オートバイの未来」のトビラに書かれていたことをおおざっぱに要約します。
この時代はまだオートバイが実用化されておらず、希少な乗り物だったようです。前号ではスポーツバイクの促進を希望したが、実用化に向けてもっと進んでほしいという旨が書かれていました。
と冒頭では綴っています。
クルマほどおおげさなものでなく、軽快な運搬用としてサイドカーやリアカータイプのオートバイが広まるのは当然のこと。電報や小荷物郵便の配達、商品の配送などクルマに変わって最も適した乗り物がオートバイだ。
とのようなことが書かれています。
クルマは自動車取り締まり規則に支配されており、免状が必要だけれど、オートバイの単車はこれがいらない。かつ、クルマに比べると車両の値段も安い。だから、これからの発展を期待しているのだ。
といった具合の内容だと思います。
単車、つまりいまでいうオートバイ、バイクには免許がいらなかったのです!
そりゃ実用化しないと、と思うはず。
その後のことはいまいち分かりませんが、実用オートバイとして爆発的にヒットを遂げるスーパーカブの誕生は昭和33年(1958)なので、さらに約30年後となります。
どんどん行きます、昭和2年9月号!
巻頭記事を終えると、しばらく文章主体の文芸誌や週刊誌のような見た目のページが続きました。
「笹子の峠を突破し、上高地を征服するの記」は紀行文でありツーリングレポートです。持ち物から服装まで記し、8月6日~10日の工程を細かく記載しています。
バイクでの山岳旅行は単独では実行不可能、
携行品には道を作るための小型ツルハシ、
笹子峠はごつごつした花崗岩が突出しているか草が伸びまくっているかのどっちか、
上高地のホテルでは宿主がまさかオートバイが来ると思わなかったからエンジン音を焼岳の爆発の前兆と勘違いした、
など過酷さを物語っています。
1928年式インデアンを紹介しています。翌年のモデルなので、スクープやニューモデル情報といった感じです。
と、いろいろございますが、1記事ごとに紹介していくとそれこそ一冊の雑誌ができてしまうので、アルバムにまとめました。ペラペラとめくっていただき当時の雰囲気を味わってみるのも面白いですよ。
最後は背表紙です。
広告は……天下一品! ではなく英国車トライアンフ!!
中面を見ていても分かりますが、この時代にはまだ国産4メーカーがございません。オートバイは輸入車ばかりだったのです。
いかがでしたか? 総ページ数は200を超え、かなりボリュームたっぷりな内容で一冊を見ていくだけで、webオートバイ編集部もかなり根気のいる作業でした。次回からはもう少し細分化してお伝えしていきます。
これからも月刊『オートバイ』およびwebオートバイをよろしくお願いします! 判型は90年以上前とあんまり変わらないみたいです(笑)。
(写真:柴田直行/文:西野鉄兵)