トッド・ラングレンと砂漠の話
直訳すると「天使の湾」という意味になる、Bahia de Los Angeles(バイア・デ・ロサンヘレス)。メキシコ、バハ・カリフォルニア半島の西岸にある小さな町だ。バイクでなら、ゆっくりと走っても数分で通り過ぎてしまうくらい小さな、ひなびたリゾートタウンである。
昨日は、その町外れにあるギルレモというコテージに泊まった。今日は、海沿いの道を南下し、途中で内陸へと向きを変え、半島中央部にあるサン・イグナシオという町を目指す。ダートが2/3、舗装路が1/3程度の行程だ。
バイア・デ・ロサンヘレスを出てしばらくの道は、ダートバイク乗りにとって視覚的に天国と言えるような風景が続く。日が当たると真っ白に見える石混じりのサンドの道が、真っ青な海の向こうに消えていく。いっぽう路面はタフで、時々激しく突き上げられる荒れた表面だ。
道が海を離れ、内陸部に入ると、そこは僕たちが「サボテンハイウエイ」と呼ぶ、高速ダート区間となる。ひたすらまっすぐな道がサボテンの海のなかをまっすぐ南に向かって伸びている。左右に立ち並ぶサボテンは、そこらへんの電柱よりも遥かに高い。
ここを走るときのスピードはゆうに100km/hを超える。それくらいの速度で走ったほうが振動は少ないし、ハンドルもとられない。しかし、ときどき見えない岩に突き上げられたときには、口から心臓がいくつも飛び出る恐怖を味わう。そんなときはスロットルを開けたまま、無事に着地できることを祈るしかない。スロットルを開けてさえいれば、着地してまた走っていける。ときにうまくいかないときもあるけれども。
同行メンバーの1人のバイクがパンクした。グループの最後尾を走っていた僕は、パンクした彼に自分のバイクを渡して乗り換えてもらった。修理しておいつくから、先に行っておいて、と言った。
彼が走り去ると、周囲の空間は静寂に包まれた。なにも音のない世界。キーンという音が聞こえてきそうだが、実際には無音だ。自分のブーツが地面を踏む音がやけに大きく聞こえる。体を動かすと、ジャケットの衣擦れ音が、爆音に感じられるくらい大きく感じられる。砂漠のなかにたったひとり。ヒリヒリするような孤独と、でもどこか気持ちのいい空間だった、そこは。
しばしの静寂を楽しんだあと、僕は工具を取り出してパンク修理に取り掛かった。そのとき、ふと思いついて、ポケットからiPhoneを取り出した。適当に選んだ曲は、トッド・ラングレンの「I saw the Light」。1972年にリリースされた曲だ。
無音の世界に、軽快なリズムが響く。最大音量にまでボリュームを上げると、静寂を、か細いデジタルサウンドが覆い尽くしていった。空は真っ青だ。タイヤレバーを手に僕は空を仰いで、さわやかで、明るくて、美しい世界の一瞬を心から楽しんだ。
文・写真:三上勝久