ホンダナナハン第2世代が「F」
すでにウェブサイト上では公開されましたが、4/1発売の本誌5月号では、ホンダが、開催されるはずだった「東京モーターサイクルショー」で出展を予定していたモデルのひとつ「CB-Fコンセプト」を詳報しています。
昨2019年に生誕60周年を迎えた「CB」ブランド。人それぞれ、世代それぞれに思い描くCB像があるでしょうが、この「CB-Fコンセプト」が範としたのは、1979年6月に日本発売されたCB750Fですね。
ホンダのナナハンは、ご存知1969年に発売されたCB750FOURをルーツとしていますが、そのナナハン第2世代がCB750F、通称「エフ」シリーズです。
空冷4気筒エンジンはDOHC化され、スタイリングは当時「ヨーロピアンスタイル」と呼ばれたストリームライン。セパレートハンドルにトリプルディスク、チューブレスタイヤの採用と、エンジン、車体、スタイリングともども、ホンダのナナハンはFを境に新しい時代に突入した、といっても過言ではないモデルでした。
CB750FOURを発火点に4ストロークビッグバイク化が加速した日本のマーケットは、CB750FOURを追うようにカワサキがZシリーズを、そしてスズキがGSシリーズを発売。CBが切り拓いた市場を、ライバルメーカーが拡大し、そこから販売合戦にもなっていきました。
カワサキは73年にZ2(750RS)を発表し、79年にZ750FXにフルモデルチェンジ(正確にはZ750FX2で全面新作)。スズキは76年に発表したGS750を80年にGSX750Eにフルモデルチェンジするなか、この頃のホンダは、初代ナナハンをちょっと引っ張りすぎて、新鮮味を失っていた時期でもあったんですね。
ホンダはホンダで、ナナハンをベースに75年にCB750FOUR-Ⅱを発表。スタイリングのイメージをちょっと変化させてはみたものの、新鮮味を失っていた時期だったのは事実。そこに「新しいホンダのナナハンが出る」なんてうわさが出始めた78年、CB750Kを発表し、ここに後にFが搭載する新規エンジンを積んでいたのでした。
そこで、79年に発表されたのがCB750F。初期モデルは、今でこそ形式名「CB750FZ」と呼ばれていますが、実はコレあとづけで、翌年に発売されたマイナーチェンジモデルが80年発売=キリがいいから型式名を「A」にしよう、ではその前はアルファベットの最後の文字取って750FZにしよう、と決まったものだったようです。
ちなみにVFR750R=RC30で有名になった型式アルファベットですが、Rは排気量クラス、Cはロードスポーツ、そのあとの番号は市販した順番で(飛び番もあり)、ナナハンクラスのロードスポーツをRC**、と呼ぶようになったものです。たとえば他には、NCが400ccロードスポーツ、MDが250ccオフロード、SCが1000ccロードスポーツですね。ちなみにRC01は新規DOHCエンジンを採用したCB750K(写真上・右)で、それ以前のSOHCシリーズFOURにはこの番号がつけられていないんです。
そしてこのCB750F、今では考えられないことですが、ほぼ毎年1回、マイナーチェンジを重ねていきます。
79年6月23日にCB750FZが発売。
80年6月2日にハロゲンヘッドライトを採用した750FAへマイナーチェンジ。
81年5月1日にセミエアフォーク、裏コムスターホイールを採用して750FBへ、7月には通称「ボルドール2」を追加。
82年6月10日にはフォーク径UP、フロントホイール径を19→18インチとした750FCへ、8月には「インテグラ」を追加。
このへんがCB750Fシリーズ史ですね。この後、ホンダのナナハンは「背面ジェネレーター期」と呼ばれるCBX750Fへモデルチェンジ。エンジンが水冷化されたころには、V型4気筒エンジンのVF750F→VFR750F→VFR750Rへとバトンタッチしていくわけです。
そして、Fシリーズのもうひとつのトピックは、AMAスーパーバイクでのフレディ・スペンサーとのストーリーでしょう。ただし、実はスペンサーとFとのストーリーは、ずっと後に日本で知られ始めたもので、よほどのマニアではない限り、決してリアルタイムではありませんでした。もちろん、Z1000Rローソンレプリカやウェス・クーリー&デビッド・アルダナのヨシムラ1000カタナなんかも同じ。このあたりは90年頃に2輪専門誌が次々に紹介していったんじゃなかったかな。
わずか4年ほどのラインアップだったFシリーズですが、まぎれもなく「SOHC期」のFOURシリーズとともに、ホンダの750ccスポーツを代表すモデルです。ホンダが公表した「CB-Fコンセプト」が、いつどういう形で市販モデルに昇華していくのか、注目していきたいですね。
写真/ホンダ 文責/中村浩史