YZF-R3ワンメイクのワールドカップ

MotoGPはスペイン・カタルニアGP、さらにWSBKはフランス・マニクールでレースが行なわれた今週末。ここで、日本人として初めての表彰台登壇、というレースが展開されました。
あれ?Moto3は日本人最上位が鳥羽海渡の6位だったし、Moto2は同じく小椋 藍が5位、MotoGPは中上貴晶が19位……、そうかMotoEの大久保光か!……いや、大久保は9/12位だったし、WSSP600は岡谷雄太が18/24位……ってことはまたWebオートバイの未確認ネタか……と思わせておいて、実はヤマハYZF-R3のワンメイクレース「bLUcLU R3CUP」に出場している山根昇馬が今シーズン初表彰台に登壇したのです!

画像: bLUcLU R3CUPの2023年メンバー このR3カップのほか、ヤマハはモトクロスのbLUcLU YZカップ、4輪バギーのbLUcLU YXZ1000Rカップを開催している 山根はゼッケン62だ

bLUcLU R3CUPの2023年メンバー このR3カップのほか、ヤマハはモトクロスのbLUcLU YZカップ、4輪バギーのbLUcLU YXZ1000Rカップを開催している 山根はゼッケン62だ

「bLUcLU R3CUP」とは、ヤマハYZF-R3のワンメイクレースで、各国代表のヤングライダーたちが戦うレースです。ヨーロッパ、南米、アジア圏の国内選手権を勝ち抜いた14~20歳の約20人が参加し、WSBKと併催の6戦12レースでシリーズを戦います。
この「bLUcLU R3CUP」に、日本から参加しているのが16歳の山根昇馬です。山根は2022年のJP250国内ライセンスクラスのチャンピオンで、昨年はKISS KIJIMAレーシングからピンクのマシンで参戦しているのを覚えていらっしゃる方も多いと思います。結果を出したら世界に行ける――そういう好循環をヤマハが実現してくれたのです。

画像: 筑波大会で 昨年シリーズを戦っていたKISS KIJIMAレーシングの後輩ライダー飯高新悟と

筑波大会で 昨年シリーズを戦っていたKISS KIJIMAレーシングの後輩ライダー飯高新悟と

その山根と久々に会ったのが、6月の全日本ロードレース筑波大会。第3戦イタリア・ミザノ大会を終えて帰国、筑波には観戦と友人の応援に来ていたところをつかまえて話を聞いたのです。

――ここまで3戦6レース終わったね。どーお?世界の舞台は。
「レベルの差は感じないです。ただ、日本とは違うことが求められるレースで、それは当たりの強さだったり、差のないマシンでどうやってタイムを出すのか、ってところとか。速ければ勝てるってわけじゃないのは覚悟はしていたんですけど……」

画像: 2023全日本ロードレース開幕戦にも顔を出した JP250クラスの全選手集合写真の邪魔をするショーマ(笑

2023全日本ロードレース開幕戦にも顔を出した JP250クラスの全選手集合写真の邪魔をするショーマ(笑

多くのヤングライオンたちがそうであるように、ポケバイからミニバイクを経て、16歳とはいえ、山根のレースキャリアは軽く10年以上。小学生の頃から激戦を潜り抜けてきた物怖じしない山根の、初めての世界の舞台。厳しいレースは予想していた、もう少し上を走れると思っていた、それでも開幕戦から11位/8位、第2戦は10位/11位、ミザノでは6位/7位と、いきなり表彰台、なんて甘い世界ではなかった。

山根のレースは、もちろん日本代表のスピードはあるものの、世界の舞台によくある「位置取り」に苦しむレースでもあった。Moto3をはじめ、WSS300でもよく見られる、前を走っていたら最後に刺される――というパターンだ。最終ラップに入る時にはトップにいたのに、終わってみたらいつの間にか10位……とか。
「スタートから前に出てブッチギリ、っていうレースが出来るわけじゃないし、同じマシンで同じようなキャリアのライダーが走るわけだから、レースのどのへんでどのポジションにつけておくか、っていうのが大事だとはきちんと覚悟していたんです」

画像: bLUcLU R3カップの1シーン 写真左のピンクのヘルメットが山根 KISS KIJIMA時代から被っているアライヘルメットを引き続き使用している マシンとレーシングスーツはワンメイクだが、ヘルメットとグローブは好きなものを使っていいようで「ぼくずっとアライとクシタニ使ってます」とのこと

bLUcLU R3カップの1シーン 写真左のピンクのヘルメットが山根 KISS KIJIMA時代から被っているアライヘルメットを引き続き使用している マシンとレーシングスーツはワンメイクだが、ヘルメットとグローブは好きなものを使っていいようで「ぼくずっとアライとクシタニ使ってます」とのこと

ここでう山根の言う「位置取り」とは、レース中に走るポジションのこと。たとえばずっとトップを走っていても、きっと真後ろにライバルがピタリとつけていて、最後の最後まで抜いてこない、最終ラップのスピードが乗る区間でスリップから出てパスされる――というパターン。Moto3やWSS300で毎戦のように見るシーンです。
「わかってはいるんですが、そこが難しいです。最終ラップでは2~3番手にいて、最終コーナーではトップの真後ろから飛び出して、っていうのが理想なんですが、みんな同じこと考えてる(笑)」

開幕戦、オランダ・アッセン大会のレース2。天候急変で赤旗レース中断のあと、6周で行なわれたレースで、山根は10台以上のトップ集団の中でレースし、8位でフィニッシュ。トップとの差は0秒848で、あの有名なシケインになっている最終コーナーの位置取り、前方クリアなところにいれば、開幕戦優勝も夢ではなかった。

画像: なかなか判別しづらいbLUcLU R3CUPライダーの中にあってピンクのヘルメットはよく目立つ

なかなか判別しづらいbLUcLU R3CUPライダーの中にあってピンクのヘルメットはよく目立つ

そして日本に帰国した後の、シリーズ後半戦イギリス→イタリア→フランスへ。
「何戦か終わって予選はうまくタイム出しできるようになったと思います。2列目にいられたらいいと思って、イギリスまで最低で8番手にいましたから。それでも、やっぱりタイムを出していると、すぐスリップにつかれちゃう。向こうのライダーは、本当にスリップにつけるのが上手くて、それは日本ではなかなか味わえなかったところです。このイギリスあたりからマシンのセットアップが合ってきた感触がありました」

イギリスでは7位/8位にまとめることが出来た。レース1はオープニングラップでやや順位を落としたものの、10台ほどのトップ集団につけての、トップまで1秒8の7位フィニッシュ。レース2も同じような展開で、今度はレース序盤で前に出て、一時は2番手を走行しながら集団に飲まれて、さぁ反撃、というタイミングでミッショントラブルがあって抜き返すことが出来ず、トップまで1秒6の8位フィニッシュ。
「その次、イモラの予選14番手は、いっこ前のイギリスでミッションにトラブルがあったままのマシンで出たからなんです。それで予選になって新車を降ろすことになって、サスセットなしのまま予選、で14位。そのあとにサスのセットを決めて決勝に出られたので、レース1では追い上げられて、ラスト3周くらいで8台くらいの2番手争いの集団に追いついて、6位まで追い上げられました。レース2はレース中にショートカットのペナルティを取られて10位でした」

画像: 全日本時代よりも頭の位置がもうひとつ低い山根のフォーム 経験のないピレリタイヤの走り方なのかも

全日本時代よりも頭の位置がもうひとつ低い山根のフォーム 経験のないピレリタイヤの走り方なのかも

シーズン後半になって走り方が分かってきた、と山根は言う。このライダーはこういう時にこう来る、このライダーは終盤までスパートしてこない――まわりのライダーの動きをわかり始めたのだ。
そして最終戦は、フランス・マニクール大会。
「最終戦はレース1の1周目に多重クラッシュがあって赤旗リスタート。再スタートのあとはずっと2~3番手につけられて、前に出ないようにペース配分していました。1回トップに出て、その後パスされたんですけど、それも想定内。ラスト2周くらいで6番手くらいまで落ちたんですけど、最終ラップでポジションを上げて3位でフィニッシュできました。あれも、最終コーナーの位置取りをもっと上手く決めたら勝てたのに」
そのレース1、山根はトップまで0秒594差。しかし、トップ集団ほぼ10台の中での価値ある3位だった。

画像: 集団を引っ張るシーンも見られ始めたシーズン中盤あたり

集団を引っ張るシーンも見られ始めたシーズン中盤あたり 

レース2は、目前のライダーに転ばれてオーバーラン、ほぼ最下位まで落ちたところから追い上げ、13番手くらいまでポジションアップしたところで転倒してしまった。
「最後はちょっともったいなかったですけど、やっと最終戦で表彰台に上がれて、あぁ間に合った、っていう感じです。1シーズン海外でレースできて、いい経験が出来たと思います。レースもですけど、レースも含めた海外の生活が楽しかったです。もったいなかったのは最初の2戦、オランダ、スペインですね。あそこでごちゃごちゃしなかったら、もうひとつ前の集団を走れてたな、って。カタルニアではダブルロングラップペナルティとトラックリミット違反で1ポジション後退っていうバタバタだったし」

画像: 最終戦は、アジア選手権で帰らぬ人となった故・埜口遥希のヘルメットで走った 中野真矢率いる56レーシングの先輩後輩だ

最終戦は、アジア選手権で帰らぬ人となった故・埜口遥希のヘルメットで走った 中野真矢率いる56レーシングの先輩後輩だ

6月で16歳。レースをやっていなかったら高校1年生、それで海外でレースをする――この経験は山根のかけがえない財産になる。今シーズンのレースは終わってしまったが、帰国するとまた山根は、桶川を走り込んで、オフビでダートトラックをする毎日を送るのだろう。
「来年のことはまだ何も決まってないんですけど、また海外でレースできたらいいな、って思います」
――少しは英語しゃべれるようになったか?
「なに言ってんですか、ピットの中でメカのひとと普通に会話してるんですから!(笑) 最終戦おわって、メカのみんなに『英語うまくなったな』って言ってもらったんだから」
2022年、JP250に参戦を始めた頃、いやもっと前から、山根は喜怒哀楽を表に出さないライダーだった。照れなのか、性格なのか、僕は取材で接するうちに「この笑わない男め」とイジったりもしていたのに。その山根がイタリアヤマハのみんなと英語でコミュニケーションしてるとは! やはりオートバイは、そしてレースは、少年を男に変えるのだなぁ。

画像: ん?なんか背が伸びた!? 待望の今シーズン初表彰台を獲得した山根

ん?なんか背が伸びた!? 待望の今シーズン初表彰台を獲得した山根

今シーズンも、ヤマハは全日本ロードレースJP250クラスを戦っているライダーの成績最優秀者を、この「bLUcLU R3CUP」に派遣する、と発表している。アジアタレントカップ、レッドブルルーキーズカップ、スペイン選手権に続く、世界への階段だ。
ヤマハの構想は、きっと全日本JP250→bLUcLU R3CUP→WSSP300→WSSP600を経て、WSBKやMoto2、そして世界の頂点であるMotoGPへ若いライダーを育成していくことだ。この階段をいくつか飛び級して、いつか山根がMotoGPのパドックにいる姿を見られたら、それもまた日本のレースファンの幸せなのだ。

少しずつ階段を上り始めた山根の、2024年体制が分かったらまたお知らせします!

写真/YAMAHA 文責/中村浩史

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