ドレミの新作は、なんと戦闘機?!

画像: 飛燕の全景。格納庫の中では、なかなか全体が見られません。写真提供/ドレミコレクション

飛燕の全景。格納庫の中では、なかなか全体が見られません。写真提供/ドレミコレクション

Z900RSをベースとしたZ1スタイルや、Z1R、Z1000Rローソンレプリカが大人気のドレミコレクション。それどころか、カワサキ車用の絶版純正パーツのリプロダクションも行なうなど、カワサキ乗りには欠かせないショップのひとつとなっています。
そのドレミコレクションの新作は近日発表の、Z900RSベースの新作となるようなんですが、その前に、構想1年、製作期間2年の大作が完成しました。

それが三式戦闘機 飛燕(ひえん)です。そう、バイクじゃない、戦闘機! それでもなんと、この飛燕は開発から生産まで、川崎航空機、つまり現在のカワサキが手掛けたものなのです。
飛燕とは、第二次大戦時の日本陸軍の戦闘機のこと。資料によると、初飛行は1941年12月で、43年に正式採用。当時、日本唯一のスーパーチャージャーつき液冷戦闘機で、約3000機が生産されたそうです。

画像: ドレミコレクション代表、武 浩さん。岡山の本社にて 撮影/海保 研(フォトスペースRS)

ドレミコレクション代表、武 浩さん。岡山の本社にて 撮影/海保 研(フォトスペースRS)

「スタートはオーストラリアのコレクターが飛燕を手放したところからです。もちろん、バイクでいうところの『レストア前』でぼろぼろ、残骸です。それを手に入れたのが2017年、その機体は飛燕キ61-1甲と見られる再初期型で、これを再生していこう、と始まったんです。値段は、もう公表しちゃってるからいいか、1500万円です。もちろん、そこから輸送費とか保管費とか、持ってくるだけで数倍のコストがかかっちゃった。ウチで持っていた在庫のZ1やパーツを数10台分は泣く泣く手放して費用を捻出して、おかげでしまっておくスペースも出来たんですよ」と笑うのは、ドレミコレクションの代表、武さん。

カワサキの熱狂的ファンの武さん。ドレミコレクションをスタートする前にはカフェのマスターで、自分でレストアした750SSに乗っていた。自分で乗るバイクを仕上げると、カフェのお客さんが「欲しい」って買い取られてしまう――そんな連続でプロとしてのキャリアがスタートし、カワサキとのつながりがスタートしたのだ。
ドレミコレクションとして、旧車や絶版車の販売をスタートしようと、たびたびアメリカに買い付けに出かけるようになった武さん。そこで飛燕に出会ったことがあった。

画像1: ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

画像2: ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

画像3: ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

ドレミコレクションに運び込まれた飛燕 ドレミコレクションのホームページより

「飛燕を展示していた博物館の館長が、古い飛行機をレストアする仕事に就いていたり、そんな人がたくさんいるのを知ったんです。いいなぁ、そんな仕事したいなぁ、って思ったしね。それから飛燕のことを調べたり、あの時アメリカで見た機体がニュージーランドでレストア中だって知ったり。それで、あの機体じゃないけれど、飛燕がオークションに出ているのを見て、落札するつもりもなかったんだけど、終了直前にポチッと(笑)、そうしたら落札できちゃった。飛燕って、カワサキ製なんですよ。開発から生産まで川崎航空機が手掛けた、唯一の液冷、つまり水冷エンジン搭載機。当時のダイムーラベンツ製のDB601っていうエンジンをライセンス生産で国産化して『ハ40』として生産したものなんです」

しかし、カワサキ製だから、カワサキ好きだから、って飛燕を再生しようなんて……。それで、一度1/1サイズの模型を作ってみたものの、やっぱりホンモノを蘇らせたい、という気持ちが勝ってしまう。こうして、構想1年、製作期間2年の大プロジェクトが始まったのだ。

画像: ドレミコレクションの代表、武さん。旧いカワサキ乗りにとって、ドレミはなくてはならないメーカーだ

ドレミコレクションの代表、武さん。旧いカワサキ乗りにとって、ドレミはなくてはならないメーカーだ

「最初は飛燕のベースが入庫したってニュースになったものだから、話を聞きつけた人とか、すごく興味を持ってくれて、近所は大騒ぎですよ。特に、飛燕を作っていた、っていうおじいさんたちが来てくれたのが大きかった。1940年ごろに飛燕を作っていた組立工とか部品を作っていた人っていうのは、今でいえば中高生にあたる少年たち。今は90歳とかそれ以上になっているおじいさんが、車いすで見に来てくれるわけです。その息子さんが車いすを押して、息子さんも70歳とかですよ、そういう僕らの大先輩が涙を流しながら見に来てくれる。『よくぞ取り返してくれた』って――これはもう、生半可な気持ちでやっちゃいかんな、って思ったんです」

車いすで見に来たおじいさんが、飛燕の姿を見てピシッと立ち上がったことがあった。その車いすを押していた、これまたおじいさんが『ウチの親父がこれを作っていたんですよ』って涙を流すことがあった。そんな姿を見て、ドレミコレクションの飛燕プロジェクトは進んでいった。実は、カワサキの内部にも『飛燕かぁ、懐かしいなぁ』と言ってくれる人もいたのだという。これもきっと、ベテラン社員さんや、2代にわたってカワサキにいるとか、そういった方々だ。

画像: コクピット内も公開。計器類は、なんとニュージーランドのグレーム・クロスビーさんの協力の元、再現された。クロスビーさんも戦闘機レストアを手掛けている。 機体の文字なども、実機を忠実に再現されている。

コクピット内も公開。計器類は、なんとニュージーランドのグレーム・クロスビーさんの協力の元、再現された。クロスビーさんも戦闘機レストアを手掛けている。
機体の文字なども、実機を忠実に再現されている。

「エンジンまで再生したら、あと数千万円、さらに2~3年かかる、と。だからエンジンは載っていません。それよりも、仕上がった機体を早く見せてあげたい、という気持ちが上回ったんです。もたもたしていたら、あのおじいさんたちが見に来られなくなっちゃう、時間がないんだぞ、って」

こうして完成したのが写真の飛燕。写真のレストア前から、0.6mmアルミ板を1枚ずつ採寸、切り出しをして、ほぼ手曲げ。それに数千か所の鋲打ちをして、細部まで精巧に再現されたレプリカが完成した。
レストアというには元の形がなさすぎるから、これはもう「製作」といっていい、気の遠くなるような作業。修理でもない、レストアでもない、製作ともリビルドともちょっと違う、リバースエンジニアリング。ドレミでも、ぴったりの言葉を探しているのだという。
製作は日本立体。水戸・鶉野(うずらの)飛行場跡に展示されている「紫電改」の実物大レプリカを製作していた会社で、偶然にも、水戸出身の武さんの友人宅の目の前にあった。
日本立体はこのために格納庫を建て、ドレミコレクションも岡山県浅口市に、展示用の大ガレージを新設した。値段のことを聞くのは野暮ってものだけれど、機体残骸を買って、運んで、製作を始めて完成するまで数千万円……いや数億円を費やした。会社のみんなはあきれているけれど、武さんの奥様は『ホントなら国がやらなきゃいけない事業だよね』と後押ししてくれたのだという。

画像: 小美玉市の日本立体格納庫にて。ここで一部予約制で一般公開された

小美玉市の日本立体格納庫にて。ここで一部予約制で一般公開された

「飛燕を蘇らせるからって、もちろん戦争のことを美化するつもりもないし、戦争はいけないこと。僕は右でも左でもないよ(笑)。ただ、こういうことがあった、こういう素晴らしい工業製品をカワサキが作っていたんだ、っていうことを後世に残していきたい。日本、ドイツ、イタリアという、いまオートバイを生産してる国って、当時は自前で戦闘機を作っていた国。だから最先端技術があって、戦後に素晴らしい復興を遂げたってこと、忘れちゃいけないし、この先に伝えていかないとね」

日本は戦争に負けてしまったから、戦闘機メーカーは軍需産業としての活動をストップさせられてしまった。けれど、飛燕を作っていたのはカワサキ、紫電改を製造していた川西航空機はのちの新明和工業で、バイクやオート三輪のメーカーだったし、零戦は三菱重工が開発生産して、その半数以上を生産したと言われる中島飛行機は、いまのSUBARUや日産自動車に発展していった。ヤマハも、軍用航空機の木製・金属製プロペラを製造していたことがあったしね。

「ただの1/1のレプリカだよ。今の若い人がフライトジャケット着ているでしょう? それって戦争を美化してることにつながる? そういうこと。僕はカワサキバカのひとりとして、カワサキの昔のモデルをレストアしただけ。Z1より大先輩のカワサキをね」

画像: 武さんと、日本立体の斎藤さん(左) この製作期間中の材料高騰にも苦しめられたレストアだった

武さんと、日本立体の斎藤さん(左) この製作期間中の材料高騰にも苦しめられたレストアだった

ドレミコレクションの手によって蘇った飛燕は、3月に茨城県小美玉市の日本立体の格納庫で一般公開され、これは事前予約ですぐに見学枠がいっぱいになってしまった。このあと、格納庫を飛び出し、分解、運搬されてドレミの本拠、岡山の新格納庫で組み立てされ、展示されることになる。展示日程などは2024年のゴールデンウィークごろを予定しているとのことで、観覧チケット予約はホームページを参照ください。

取材にお邪魔した僕は、飛行機や戦闘機に興味はなく、飛燕といわれたって、知ってはいるけれど、詳細も知らないし、知識もゼロ。飛燕の話を聞いた時には「武さん、ナニやってんの?」って。
それでも、飛燕のレストア機を見ると、こう……気が引き締まったというか、武さんをはじめとして、ドレミコレクション、スゴいことやったんだなぁ、と感動してしまうほどだった。

今年の夏は、岡山で展示されているであろう飛燕に会いに、岡山県浅口までツーリングしてみようかな。

写真提供/ドレミコレクション 撮影・文責/中村浩史

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