國井勇輝の全日本2勝目が!
2024年の全日本ロードレース選手権・第3戦スポーツランド菅生大会。5月26日、日曜に行なわれたST1000クラスで、独走優勝を果たしたのは國井勇輝でした。國井はこれで2戦2勝。前戦もてぎ大会もブッチギリで勝って、完全に今シーズンのST1000クラスを牽引しています。
そして菅生大会。レースを終えて、クールダウンラップを終えた國井を出迎えたチームスタッフが、おそろいのTシャツを身につけていました。國井も着込んだそのTシャツの胸には、誇らしげに「100WINS」の文字が見えます。そう、この國井の勝利は、ハルクプロが全日本ロードレースで挙げた優勝、その100回目のメモリアルレースだったのです。
前身のバイク販売店から、1984年に「ハルク・プロ」としてスタートしたレーシングチームは、当初サンデーレースや地方選手権、イベントレースから活動をスタート。当時は、いま会長職に就いている本田重樹さんがライダーとして参戦することもあったのだといいます。
やがて、徐々にレベルの高いレースへ参戦を続け、たどり着いたのが全日本ロードレース。初代のライダー、GP125クラスに島正人さんが参戦していたのを、いま50歳代くらいのロードレースファンなら覚えているでしょう。
ハルク・プロとしての全日本初優勝は1990年4月8日。のちのWGP125クラスのワールドチャンピオン、坂田和人さんがポールポジションからスタートしたレースで、2列目7番グリッドからスタートした島さんは、ハーフウェット路面、小雨が降り出したレースを、スリックタイヤで勝ち切ったのでした。中のひと、ベテランですから、このレースの時に筑波にいた気がします(笑)
2勝目は翌91年の、これもまた島さん。それからは全日本選手権GP125クラスのトップチームとして92年に小野真央さんが3勝、96~97年には高尾和弘さんが4勝、それからは後にWGP250クラスのワールドチャンピオンとなる、現HONDAチームASIAの監督、青山博一さん、現在オートレースで「史上最強」の名をほしいままにしている青山周平さん、そしてレースの世界が4ストローク化されていく中で、小西良輝さんや安田毅史がST600クラスを勝ちまくり、GP125でデビューしてWGP125にデビュー、後に一時帰国してJ-GP2を走った、いま日本人唯一のMotoGPライダーである中上貴晶もいたし、最高峰クラスJSB1000で、ハルク・プロに初優勝をもたらしたのは2009年の山口辰也でした。
中上をはじめ、高橋巧や水野涼、名越哲平といった現在のロードレース界のトップライダー、そして未来を背負うライダーにも、ハルク・プロ出身のライダーがたくさんいます。トップ画面の写真にも、今はハルク・プロ所属じゃないはずの高橋巧、水野涼も映ってますしね。
そうして積み重ねた勝ち星が、実に100。忘れてならないのは、この100勝には2010年、2013年、2014年に勝った鈴鹿8耐の勝ち星が含まれていないこと。もちろん世界耐久選手権ですから、この全日本ロードレースの勝ち星に含まれないのは当然ですが、日本のトップレースですから、含まれてもいいような気はするんですけどね^^
「僕が100勝目っていうのはたまたまで、これまでずっと勝ってくれていたたくさんの先輩たちのおかげですよね。でも、そういう歴史の一部に加われたことはすごくうれしいし、光栄なことですね」とは、100勝目を挙げた國井。
國井の優勝後、表彰台下のパルクフェルメにいた重樹さんを見つけて「おめでとうございます!」って握手を求めた時のひと幕。
――重樹さん、おめでとうございます
「おぉありがとう!」
――ユウキの優勝もだけど、100勝もね。
「おぉ、たまたまだよ。長くかかったけどな、わははははは!」
日本に数少ない二輪レーシングカンパニーであるハルク・プロ。ファクトリーチームでもなんでもない、いちショップの100勝という大偉業を「わはははははは」で済ませてしまう重樹さん。これがきっと、人を寄せ付ける魅力なんだろうと思います。
現在のハルク・プロは、SDG(旧称・昭和電機)のバックアップを受け、ハルク・プロのレース活動はもちろん、ホンダ系の若手ライダーの育成にも取り組んでいます。24年のST1000クラスチャンピオン候補の國井、JSBクラスの名越哲平、そして24年にST600クラスにデビューした濵田寛太が、いつかHRC所属のライダーになり、MotoGPへ――。
そんな時もきっと、重樹さんは「たまたまだよ。わははははは!」って笑い飛ばすんだろうなぁ。ハルク・プロの皆さん、重樹会長、そして本田光太郎社長、あらためておめでとうございます。
写真/木立 治 文責/中村浩史