ヤバいです 8耐より暑いです

画像: タイヤは全日本ロードレースST600と同じく、ブリヂストンタイヤのワンメイク タイヤはサーキット専用タイヤのバトラックスレーシングR11です

タイヤは全日本ロードレースST600と同じく、ブリヂストンタイヤのワンメイク タイヤはサーキット専用タイヤのバトラックスレーシングR11です

鈴鹿8耐から2週間、8月3~4日は、ところも同じ鈴鹿サーキットで「ヨンタイ」こと鈴鹿4時間耐久ロードレースが行なわれています。鈴鹿4耐、というとオールドファンは「あれ?8耐の前日にやるんじゃないの?」って思いがちなんですが、この2年は8耐とは分離開催。それだから、8耐の前日にNinjaカップやGROMカップが開催されていたんです。

それと、お知らせもうひとつ。ネット記事風に言うと【悲報】鈴鹿4耐最後だってよ、なんです。
鈴鹿4耐は、1980年(=昭和55年!)にスタート。8耐が始まったのが1978年ですから、第3回大会から8耐/4耐の構成になったんですね。この4耐っていうレースが成立したのも事情があって、ちょうど80年から鈴鹿8耐が「世界選手権」格式となって、いわば「ちゃんとした」んです。
それまでの8耐っていうのは、レギュレーションもあいまいで、2ストも4ストも走れるし、単気筒も4気筒も出場できた、いわばおおらかなレースだったんですね。だってRSC(今のHRCですね)のRCB1000もTZ350も、SR400も出られたんですから、いろんな層のライダーやチームが出場した、すごくバラエティに富んだレースだったんです。

画像: 現在はST600マシンで行なわれる鈴鹿4時間耐久 最大勢力は、やはりCBR600RR

現在はST600マシンで行なわれる鈴鹿4時間耐久 最大勢力は、やはりCBR600RR

それが世界選手権となって、出場できるマシンが4スト1000ccを中心としたTT-F1カテゴリーになって、もちろん出場できるのも国際ライセンスのライダーとなっていった。つまり、プロレースに近いレースになったんです。
では、78年~79年に出ていたノービスやジュニア(81年から国際B級)、小排気量なんかが出られなくなっちゃうじゃんか、と成立したのが4耐だったんです。世界的にも世界耐久選手権が広がっていったり、AMAスーパーバイクが本格化したのもこの頃ですよね。つまり世界のオートバイレースが「ちゃんとしていった」過渡期だったわけです。

画像: ポールポジションは#31アケノスピード×GBSレーシング タイムレコードはラムダン・ロスリ

ポールポジションは#31アケノスピード×GBSレーシング タイムレコードはラムダン・ロスリ

1980年にスタートした鈴鹿4耐は、まずノービスとジュニアが出場できるレースで、ノービスは250ccまでの市販レーサーとTT-F3車、ジュニアは125cc市販レーサーで出場できました。このため、4耐の最初の頃は、優勝者やポールポジションが複数人いるんですね。
ちなみに第1回大会の4耐ポールポジションは、残っている記録では福田照男/森長達也組(TZ250)となっていますが、これはノービス市販レーサークラスのポールポジションで、他にも山本陽一/小沼賀代子組(MT125)がジュニアクラスの、堀ひろこ/今里峰子組(GS400E)がノービスクラスのポールポジションなのです。

そして、この「ノービスライダーたちの甲子園」はすさまじい人気を呼んで、第1回大会に73台だったエントリーが、81年は150台、82年は192台、83年は283台と激増! 
実はこの頃の市販車も、TT-F3レギュレーションの範疇にあるRZ250やCBX400F、RG250ΓやGPZ400なんかが発売された頃で、大排気量よりも4スト400ccや2スト250ccがうんと売れていたんです。市販車とレースが見事にシンクロして、89年にはついにエントリー650台! 予選通過は60台、予選順位61~120位は2時間耐久に出場できて、その上位3チームが翌週の4耐に敗者復活出場できた、なんて頃もありました。予選通過、10台に1台ですからね、スゴい世界! ちなみに予選は8耐の前の週に行なわれて、1週間後に4耐、ってスケジュールでした。

画像: 予選2番手はSEコンペティション タイムレコードは千田俊輝 23年の全日本ロードレースJP250チャンピオン

予選2番手はSEコンペティション タイムレコードは千田俊輝 23年の全日本ロードレースJP250チャンピオン

鈴鹿4耐はその後89年をピークに、ジュニアライセンスのための「6時間耐久」ができたり、TT-F3=4ストと2スト混走だったレースも、2サイクルの市販車が少なくなってしまったことでNK4耐(=400ccネイキッドも出場可能に)となったり、2ストが出場できなくなって、2001年からはST600クラスのレースになったりと時代に合わせてレース内容も変わっていきました。そうそう、2005年からはブリヂストンタイヤのワンメイクになりましたね。

そんな4耐も、エントリー台数の減少や、そもそもST600クラスのマシンが、もうメーカーから発売されない、なんて事情で、ついに最終回を迎えることとなってしまったのです。一時は600台オーバーだったエントリー台数も、コロナウィルスのせいで開催休止となって、そこから復帰した数年は50台に満たないこともありましたし、今年はついに60台です。フルグリッド60台ですから、足切り115%ルール以外では予選落ちがない、ってことになります。おそらく、基準タイムクリアしていなくても、嘆願書提出で、決勝進出できるはずです。そのファイナル4耐、公式予選はライダーブルー/ライダーイエローの平均タイムによってグリッドが決められ、ブルーとイエロー、それぞれの結果が以下の通りです。

画像: 予選3番手はタイラプロモートレーシング タイムレコードは岩本匠生 タイラプロモートレーシングは鈴鹿8耐のSSTクラスでも3位表彰台に登壇しています

予選3番手はタイラプロモートレーシング タイムレコードは岩本匠生 タイラプロモートレーシングは鈴鹿8耐のSSTクラスでも3位表彰台に登壇しています

ライダーブルー
①千田俊輝(SEコンペティション)②羽田 巧(TOHOレーシングクラブ&K0&ノジマ)③田中啓介(アケノスピード×GBSレーシング)④岩本匠生(タイラプロモートレーシング)⑤サナト・ラウンプリ(AstemoSIR withタイホンダ)⑥冨江 慧(ホンダブルーヘルメットMSC)⑦楠 留雄(クラブモトラボEJ&速心)⑧丹羽貴大(MファクトリーRT NIWAエンジニアリング)⑨村瀬 豊(MOTO WINレーシング)⑩小野拓也(FAST with SHIN-RS&クレオサービス&ナカタ通商)
ライダーイエロー
①ラムダン・ロスリ(アケノスピード×GBSレーシング)②山口辰也(PlanBee Racing Motofine23)③中島元気(ホンダ鈴鹿レーシングチーム)④保坂洋佑(タイラプロモートレーシング)⑤塚原渓介(MOTO WINレーシング)⑥キアティサク・シンガポン(AstemoSIR withタイホンダ)⑦青田 魁(MOTO WINレーシング & TSR)⑧酒井隆嗣(SEコンペティション)⑨西山尚吾(ホンダブルーヘルメットMSC)⑩坂本佑心(RTジャパンエムオート& 24サービス)

そして、二人のライダーの平均タイムで決した公式予選は以下の通りとなりました。
公式予選結果(暫定)
① アケノスピード×GBSレーシング  田中啓介/ラムダン・ロスリ
② SEコンペティション  千田俊輝/酒井隆嗣
③ タイラプロモートレーシング  岩本匠生/保坂洋佑
④ Astemo SIR with タイホンダ  サナト・ラウンプリ/キアティサク・シンガポン
⑤ MOTO WINレーシング  村瀬 豊/塚原渓介
⑥ TOHO レーシングクラブ & K0 & ノジマ  羽田 巧/笠井杏樹
⑦ ホンダブルーヘルメットMSC  冨江 慧/西山尚吾
⑧ ホンダ鈴鹿レーシングチーム  井手瑶輔/中島元気
⑨ Mファクトリー RT NIWAエンジニアリング  丹羽貴大/柴本友暉
⑩ RT ジャパンエムオート&24サービス   豊原由拡/坂本佑心

ST600のマシンを使っての4時間耐久、タイヤ交換なし、給油ありで、国際ライセンスライダーのいる「インター」クラスと、国内ライセンスのライダーだけによる「ナショナル」クラスの2クラス混走となる「最後の」鈴鹿4時間耐久ロードレース。
いろんな思いを乗せながら、いよいよ8/4(日曜日)正午に決勝レーススタートです!

写真/文責 中村浩史

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