月刊オートバイの23年12月号が発売中です。
12月号、ってことはもう月号の上では2023年、おしまいですね。もうすぐ2024年!
そこで、Webオンリーの新企画、スタートしてみます。
題して「あの時きみは若かった~名車列伝」Part01_Vol02です。本誌でも何度も取り上げている名車列伝ですが、時系列ではなく、車種とブランドで切り揃えていきましょう、という企画。
その時々の切り口をフックに、数ある名車をブランドごとに、タテ軸ヨコ軸を揃えていきましょう。

画像: 純正オプションのアンダーカウルを装着した姿 サイレンサー別体チャンバーが刺激的だった!

純正オプションのアンダーカウルを装着した姿 サイレンサー別体チャンバーが刺激的だった!

https://www.autoby.jp/_ct/17664440より続きです。
「大炎上」とは今の言葉では決していいイメージではないけれど、まさしくRG250Γが登場した時の衝撃は「大炎上」という表現がぴったりだった。
――え?ナニこんなバイク売っていいの?
――カウルって使っていいんだっけ?
――アルミフレーム? え?チャンバー入ってるじゃん
――フロントタイヤ16インチだって! 純正はミシュランだって!
世の中のオートバイファンたちの反応はこんなのばかり。今でいえば…たとえばホンダの新しい250ccスポーツがV型4気筒でニューマチックバルブを使っていて、シームレスミッション、カーボンフロントフォーク、ウィングレットがあちこちに装着されているような、それはちょっと言い過ぎかもしれないけれど、それくらいの衝撃だったのだ。
RG250Γの先代モデル、RG250/E(初期型1978年式)と比較すると、空冷2ストロークエンジンが水冷化され、最高出力は30psから45psへ、フレームは市販車で初めて採用されたアルミフレームとなり、乾燥重量は126kgから131kgへ増えてしまったけれど、パイプフレーム+2本ショックは、アルミフレーム+モノサスへ、オーソドックスなオートバイらしいスタイリングは、これも市販車で初めて採用されたハーフカウルを纏っていた。ちなみに27万9000円は46万円と、こちらもハネ上がったけれど。

画像: 左がRG250E、右がRG250Γ 年式でいうと、わずか5年の差でこの2台が誕生した

左がRG250E、右がRG250Γ 年式でいうと、わずか5年の差でこの2台が誕生した

画像: 市販車初採用のアルミフレーム。アルミフレームはこの後のスズキレーサーレプリカの大きな武器になった

市販車初採用のアルミフレーム。アルミフレームはこの後のスズキレーサーレプリカの大きな武器になった

実は当時、オートバイ業界は「HY戦争」と呼ばれた販売合戦に翻弄されていた。76年頃から、ソフトバイクやファミリーバイクと呼ばれたロードパルとパッソルの販売合戦に端を発した、ホンダとヤマハの国内市場シェア争奪戦。
これは、77年に一時的とはいえ、業界の盟主であるホンダの輸出台数をヤマハが超えたことで、波に乗ったヤマハが国内シェアナンバー1を目指す、という宣言をしたことが発端となったもの。週に一台はニューモデルが発売され、ホンダやヤマハを、ヤマハはホンダを徹底マークし、スズキがそこに巻き込まれていく、という図式の中でのRZ250発売、VT250F登場、RG250Γ誕生、という流れでもあったのだ。

画像: 3000rpm以下を表示しないタコメーター なぜ?の問いには「RGΓがこうですから」との明確な答えが

3000rpm以下を表示しないタコメーター なぜ?の問いには「RGΓがこうですから」との明確な答えが

その250Γは、RZに対しては10ps高く8kg軽く、でも10万円以上高価で、VTに対しては10ps高く18kg軽く、でも6万円高価だった。けれど、そのハイスペックに、そのレーシングマシン然としたスタイリングに、オートバイ好きの少年たちは心を射抜かれてしまった。
もちろん、当時の世界グランプリには、スズキは500ccクラスに参戦しているだけで、250ccのレーシングマシンは存在していなかったが、500ccのRGΓは、あくまでも「イメージリーダー」。それまでに類のない、3000rpm以下の目盛りがないタコメーターや、ちょっと不格好に見える「ヤッコダコ」と呼ばれたテールカウルも、イメージリーダーがあってこそ。ニューモデルの発表会会場では「RGΓがそうですから」と何度も繰り返された。
このRG250Γについて、開発プロジェクトのリーダーを務めたスズキの名エンジニア、故・横内悦夫さん(当時は二輪設計部次長)に開発の経緯をうかがったことがある。
「RZの成功を見て、スズキの営業グループを中心に、RGの2ストロークエンジンを水冷化したい、といってきたことがあった。そのモデルのネーミングに『Γ』というネーミングを使いたいというから、当時は私がレースグループも担当していたから、条件付きで了解しました。それは、お客さんは夢を求めているんだよ、それは乗れるはずもないレーシングマシンに乗れるってことだ、と。だから、250ΓはレーシングマシンのRGΓそっくりにしたんです」

画像: 輸出用のカタログ表紙がこれ レーシングマシンRGΓと並べられている

輸出用のカタログ表紙がこれ レーシングマシンRGΓと並べられている

こうして、当時の市販車では考えられなかったアルミフレームも、ちょうど運輸省が解禁に動いていたカウルの装着も、サイレンサー別体のチャンバーも、世界グランプリの最新トレンドだった16インチホイール+ミシュランラジアルタイヤも装備した豪華装備の市販車が誕生したのだ。なにからなにまで「量産市販車世界初」というキャッチフレーズに彩られた、やはり歴史に残るオートバイだった。
「やっぱりアルミフレームが印象に残ってます。コストや生産性を考えた材料の選定や、アルミ溶接への適性、仕上げの光沢など、初めてのことばかりだったから。けれど、アルミフレームはそれからしばらくスズキのモデルに欠かせない装備になったし、おかげでΓはうんと売れたんだよ」(横内さん)

画像: 空冷RG250のエンジンを水冷化したΓのエンジン ボア×ストロークは空冷のまま、54×54mmだった

空冷RG250のエンジンを水冷化したΓのエンジン ボア×ストロークは空冷のまま、54×54mmだった

初めて尽くしのロードゴーイングレーサー。そしてこのΓが新たな発火点になって、ソフトバイクやファミリーバイクを中心としたバイクブームが、オートバイ好きな少年たちを熱狂させるレーサーレプリカブームにつながっていくのである。
<つづく>

写真/モーターマガジンアーカイブ 文/中村浩史

This article is a sponsored article by
''.