1980年代を駆け抜けたレーサーレプリカたち

画像: 87年型、パラツイン時代のRG250Γの最終モデル 写真は大人気だったウォルターウルフカラー

87年型、パラツイン時代のRG250Γの最終モデル 写真は大人気だったウォルターウルフカラー

1983年に登場したRG250Γは、最終的には97年のNSR250Rまで続くレーサーレプリカブームの発火点となった。しかし、レーサーレプリカブームは2ストローク250ccクラスに収まらず、さまざまなクラスやカテゴリーの飛び火していった。その火花は、現代の1000ccクラスのスーパースポーツにまで及んでいるといっていいかもしれない。

画像: GSX-Rブランドのファーストモデルは750ccではなく400ccだった

GSX-Rブランドのファーストモデルは750ccではなく400ccだった

画像: 大人気のCBX400Fを最前線から下げてまで登場したCBR400F 下はバリエーションモデルF3

大人気のCBX400Fを最前線から下げてまで登場したCBR400F 下はバリエーションモデルF3

画像: 84年登場のCBR400Fは400F/400Fエンデュランス/400Fフォーミュラ3の3本立てだった 左は84年型F3、右は85年型F3

84年登場のCBR400Fは400F/400Fエンデュランス/400Fフォーミュラ3の3本立てだった 左は84年型F3、右は85年型F3

最初に飛び火したのは400ccクラス。Γショックの翌84年3月に、スズキがGSX-Rを発売する。GSX-RもΓと同じくアルミフレーム、ハーフカウルを装着した「レベチ」なモデルで、先代のGSX400FWから9psアップ、18kgもの軽量化を果たしていた。正式名称は、GSX-R。排気量をあらわす「400」は、クラスレスのオートバイだから、と名付けられなかった。
実はその前年に、ホンダもCBR400Fを発売していたのだけれど、各断面フレームはスチール製で、エンジンも空冷4気筒400cc。ポテンシャルこそ高かったが、新しいレーサーレプリカ群に入るには、もうひとつ届かなかった。

画像: 84年5月発売のFZ400R ヤマハらしい、高性能すぎないスポーツバイクとして大ヒットした

84年5月発売のFZ400R ヤマハらしい、高性能すぎないスポーツバイクとして大ヒットした

画像: 85年2月に発売されたGPZ400R 85-86年と2年連続ベストセラーに

85年2月に発売されたGPZ400R 85-86年と2年連続ベストセラーに

この頃のオートバイ少年たちは、ポテンシャルではない、装備の豪華さにひかれていたのかもしれない。ことポテンシャルという意味では、すでに82年に発売されていたVF400Fも発売されていたのだけれど、アルミフレームでもない、フルカウルでもない、という認識の実力車だった。
GSX-Rのあとには、5月にヤマハがFZ400Rを発売。FZは、ヤマハのワークスTT-F3レーサーと同時開発されたもので、この後にずっと続く名ブランドとなったもの。85年にはカワサキがGPZ400Rを発売し、スズキはGPマシンRGΓと同じエンジン型式である、2ストロークスクエア4エンジンを搭載したRG400/500Γを発売。ただ、メインはあくまでも4ストローク4気筒。RG400Γと500Γ、そしてその前年に登場したヤマハRZV500Rは、飛び抜けた異種として歴史に名前を残したといえるかもしれない。

画像: 85年3月発売のGSX-R750 車両重量は200kgで、同クラスのGPZ750Rは250kg、FZ750は232kg、VFR750Fは221kgだった まさにレベチ!

85年3月発売のGSX-R750 車両重量は200kgで、同クラスのGPZ750Rは250kg、FZ750は232kg、VFR750Fは221kgだった まさにレベチ!

85年には、750ccクラスにもレプリカブームが飛び火。ここでも発火点はスズキ、GSX-R750を発売したのだ。
このR750も、先代のリトラクタブルカタナことGSX750S3から出力こそ規制一杯の77psのままながら、36kgもの軽量化を達成。同時に発表された輸出仕様は100psをマークしていた。
このGSX-R750は、市販モデルはもちろん、当時盛り上がり始めていた4ストロークレースのベースマシン、さらに鈴鹿8耐レースのマシンとしても人気が爆発。輸出仕様で出力100ps、乾燥重量176kgというスペックは、プライベーターさえも購入してレース出場、というフローが簡単で、一気に4ストロークレースを身近にしたモデルだった。

4ストローク400ccクラスは、スズキGSX-RがGSX-R400と改称されて進化を続け、それはヤマハFZ400もFZR400、FZR400Rとなって進化を継続。空冷エンジンのCBR400Fは水冷化されてCBR400Rを経て、レーサーレプリカウォーズの渦中に飛び込むCBR400RRに、VF400Fはアルムフレーム+フルカウルというレーサーレプリカの様式美を手に入れてVFR400Rへと進化。ホンダvsヤマハvsスズキvsカワサキという4社そろってのレプリカウォーズが続いていった。

画像: 台数限定のTT-F1またはスーパーバイクのベースモデルとなったモデル 左はVFR750R=RC30、右はFZR750R=OW01

台数限定のTT-F1またはスーパーバイクのベースモデルとなったモデル 左はVFR750R=RC30、右はFZR750R=OW01

400ccクラスが日本での覇権争いなのに対し、世界的にも影響力の大きい750ccクラスは、スズキGSX-R750に対抗すべく、88年にホンダがVFR750R=RC30を発売。GSX-Rの高性能と大人気に、ホンダがワークスレーサーRVFに保安部品をつけただけ、といえるモデルで対抗せざるを得なかったほど、GSX-Rの存在が大きかったのだろう。市販車の基本性能がレースの成績を左右するようになってからは、RC30に対抗する限定モデルとして、FZR750R=OW01、GSX-R750Rも発売される。

振り返ると、1980年のRZ250、そして83年のRG250Γからはじまったレーサーレプリカブームは、2ストローク250ccから4ストローク400cc、そして4ストローク750ccクラスに飛び火して、1980年代を駆け抜けた。
10年間をかけて行きついた地点は、もう誰も扱えないような超高性能なオートバイと、それに見合う高価な商品群。レーサレプリカがサーキットと直結し始めた時点から、レースに勝って初めて市販車が売れるという状況が見られたということは、市販車をどんどん高性能化させなければならない。それは、一般公道で誰もが楽しく乗れるオートバイではなくなってしまったのだろう。
高価なオートバイという意味では、レーサーレプリカブームを境に、以下のようになった。

ヤマハ RD250最終型:29万5000円 → RZ250初期型:35万4000円
スズキ RG250E最終型:29万5000円 → RG250Γ:46万円
RG250Γの後に発売されたMVX250Fは42万8000円、NS250Rは53万9000円、KR250は49万8000円。やはりこの時期に、オートバイの値段はガツンと上昇したのだ。もちろん、それに見合う内容を伴って、ではあるけれど。

画像: カワサキは89-90年と2年連続で750ccクラスのベストセラーを獲得 89年はZXR750(85万9000円)、90年は写真のZEPHYR750(65万9000円)だった

カワサキは89-90年と2年連続で750ccクラスのベストセラーを獲得 89年はZXR750(85万9000円)、90年は写真のZEPHYR750(65万9000円)だった

88年、400ccクラスのベストセラーはCBR400RR、750ccのベストセラーはGSX-R750。それが89年にはVFR400RとZXR750だった。これがおそらく、レーサーレプリカブームのピークだった。
翌90年のベストセラーは、空冷エンジン+鉄フレーム+2本サスのZEPHYRとZEPHYR750だったのだ。
<この項おわり>

写真/モーターマガジンアーカイブ 文責/中村浩史

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