史上初のオートバイによる北極点・南極点到達、チョモランマ(エベレスト)世界最高高度6005m達成、パリ・ダカールラリー二輪部門へ日本人として初めて挑戦、などなど……。これまで数々の挑戦を成し遂げてきた風間深志氏が、実は本人にとってこれが初めてという日本一周ツーリングに出発。連載Vol.4をお届けします!
ノースランド・ラリーを懐かしむ
道東の旅
本土最北端の宗谷岬を極めたら、もちろん次に目指すのは本土最東端の納沙布岬だ。僕は北海道、とくに夏の道東を走ることはオートバイ旅の原点だと思っている。地平線が広がる大陸的な風景と過ごしやすい気候、どこまでも続く直線道路。余計な人工物に目移りすることもなく、自然と一体になって走るというオートバイ特有の魅力をピュアに味わえる。
かつて、僕はそんな北海道に魅了され「ノースランド・ラリー」というイベントを1981年から14年間に渡って主催したことがある。
当時は鈴鹿8耐をはじめとする二輪レースが最盛期を迎えており、夏になると多くのライダーが鈴鹿サーキットを目指した。だが僕はそんな風潮に疑問も感じていた。レース観戦は確かに面白いけれどヒーローになれるのはごく一部の選手だけである。もちろん競技とはそういうものなのだけど、レースはオートバイの数ある楽しみのうちのひとつに過ぎないし、僕は旅のツールとしてのオートバイに大きな可能性を感じていたのだ。
そこで僕は市井のライダーが主役になれるイベントを企画した。これがノースランド・ラリーである。
ノースランド・ラリーのサブタイトルは「俺たちの祭り」だった。‟俺たち”とはもちろんツーリングライダーのこと。ラリーといっても今のSSTRのようなものとは異なり、北海道で焚き火を囲んでキャンプするだけ。いわゆるミーティングイベントである。もともとラリーというのは「再び集まる」という意味の言葉なので、それに因んで命名したのだ。
当時、僕はすでに二輪専門誌の編集部を退職していたんだけど、外部スタッフとしていくつかのページを持っていた。そこで簡単な告知をしたところ、参加費が無料だったこともあって予想を上回る数のライダーが集まってしまった。
第一回の会場である北海道南富良野の金山湖畔に集まったライダーは約300人。そのほとんどが道外からやってきたライダーだった。こちらで用意するのはキャンプファイヤーぐらいのもので、後は各自テントやシュラフを用意して勝手にキャンプしてもらうというフランクなイベントだったが、当時のライダーは若者が中心だったため、交流も盛んで大いに盛り上がった。多い年には1500人ものライダーが集まったのだから当時のバイクシーンはパワフルだった。
走るのがやっとのマシンで何とか辿り着いたライダーや、途中で台風に遭遇して命からがらやってきたライダー、食事代をギリギリまでケチってガソリン代に充てているライダー、働きながら旅を続けるライダー等々、それぞれ自分だけの物語を背負って会場にやってくるのがとにかく面白かった。僕は会場で参加ライダーの積載スタイルや食料事情、懐具合などを見聞きするのを何よりも楽しみにしていたのだった。
そんな昔のことを思い出しながら、ライダーの聖地「開陽台」のある中標津まで走って一泊し、翌日は土砂降りの雨の中を走って納沙布岬へ到達。さらに二日間かけて襟裳岬、北海道最西端の尾花岬、北海道最南端の白神岬を巡って、約1900㎞に及んだ日本一周北海道編を締めくくった。
それにしても尾花岬にはまいった。写真を撮ろうと思ったら二本の長いトンネルの合間に現れる僅かな空き地にオートバイを滑り込ませるしかない。僕はうっかり通り過ぎてしまって3㎞以上もあるトンネルを往復することになってしまった。僕はかねてから16極巡りをツーリングのテーマとして提唱してきた訳だけど、実際にやってみると今までとんでもない場所へライダーを行かせていたんだな、とちょっぴり反省?してしまった(笑)。
函館からフェリーで大間港へ渡った僕は次なる目的地、本州最東端のトドヶ崎へ向けて走り出したのだった。