レギュラーライダーとして最後の日本グランプリ
現役レギュラーライダーとして、最後の日本グランプリを終えた中上貴晶。もちろんレースですから、感傷に浸っている暇なんかないんですが、それでも最後の母国グランプリは、特別なものがあったようです。
「普通の気持ちでいようとは思ってるんですが、やっぱり特別なレースですね。レギュラーライダーとして最後の日本グランプリってことで、今までの日本グランプリとは違う気持ちになっちゃいましたね」とは中上。
中上の最後の日本グランプリは、予選21番手からのスタートで、土曜のスプリントは4周でチームメイトのヨハン・ザルコに当てられて転倒リタイヤ。日曜のフルレースは、同じく21番手スタートから13位フィニッシュ。ホンダワークスチームのルカ・マリーニに先着しての順位でした。
「今回のグランプリは、金曜のフリーとプラクティスが、まずいいフィーリングで走れました。ミサノテスト後から入れた新しいエアロの効果があって、今まで苦しんでいたところが少し改善されたんです。走っていて思い通りにマシンが動いてくれて、無理をしても破綻しない、いい状態。今シーズンにはなかなか感じられなかった手応えだったんです」
手応えを感じた金曜日から、マシンのセッティングを詰めて臨んだ土曜の走行は、なんともハッキリしない天候になってしまいました。小雨が降ったり、気温も路面温度も低く、ウェットでもないドライでもない、という中途半端な路面コンディション。せっかく金曜の走行後に改善点を入れ込んだというのに、それが機能するかどうかを実証するには至らなかったのだといいます。
「それでスプリントでは、タイヤの選択も考えてスタートしたんですが、よりによってチームメイトに当てられてしまってのリタイヤ。ちょっと考えらんないですよね、無理する周回ではなかったし、よりによってチームメイトに押し出されるって、あれはないですよ」
中上は珍しく怒っていました。普段はいつもニコニコ、振る舞いもジェントルだっていうのに、レース後に謝罪に来たザルコを許すことができなかったのだといいます。レース後、しばらく経ってから話を聞いていたから、その時はもう気持ちも収まっていたけど、LCRホンダのSNSで公開されたザルコとのやり取りの現場でも、中上はつっけんどんな態度で先輩ライダーに接していたのです。
とはいえ、終わったことはしょうがない。引きずらずに、日曜日はいよいよ最後の日本グランプリ。朝のウォームアップでは10番手、このセッションの順位で調子の良しあしを図ることはできないけれど、中上はひとつ、確認事項を済ませていたようです。
「タイヤがね、チームのおすすめはミディアムだったんですけど、ソフトはどうかな、って思って。周りのライダーもみんなミディアムを履いているし、朝のフリー走行でミディアムを履いてみて、なんとなく可能性がわかったというか、結末が見えた気がしたんです。みんなと同じタイヤを履いてもなぁ、ってソフトを選んでみました。ちょっとギャンブルというか、スプリントではソフトで出ていって、12周くらいまでのデータはあるんですが、今回のもてぎではそれ以上は未知だった。12周超えてぼろぼろに消耗しちゃう可能性もあったけど、うまくセーブしていけば武器になるな、と思ったんです。最後列、21番手スタートなんだもん、失うものなんかないし(笑)。そうやってリスクを負ってみようと思ったのも、最後の日本グランプリだったかもしれないですね」
果たして中上は、そのソフトタイヤを履いて、天候が回復し始めたモビリティリゾートもてぎのコースへ走り出ました。21番手スタートの位置から、1周目は17番手、3周目にアコスタが転んで16番手に、7周目にはアウグストが消えて15番手に、12周目にはビニャーレスが消えて14番手、16周目にはラウールをパッシグして13番手、そのまま前にいるミラー、エスパルガロ、クアルタラロ、ザルコの集団を追い詰めながら、13位でフィニッシュしました。16周目に13番手に上がってから、目前にいるザルコまで3秒8あった差は、最終ラップには0秒8にまで縮まっていました。
「あと2周くらいあったらね、追いついたかもしれないです。前のグループのメンバーなら、なんかやらかすだろうと思ってたんですが、何もなかったですね(笑)。ザルコだって、昨日は僕んとこ来たくせに、今日はやらかさないんかい!って感じでした」
それでも、最後の日本グランプリは、13位とはいえ納得できるレースだったようです。ソフトタイヤを履くというリスクを背負って、失うものなんかない、と戦った24周。特に終盤は、確実に前の4台よりも速かった。コースサイドにいて、周回ごとに詰まっていくザルコとの差を見ながら、いけいけタカ、ザルコぶち抜いちゃえ、と思っていたファンは少なくないでしょう。
「レースは、もちろん集中して走りましたが、レース前の国歌斉唱では、ちょっとキましたね。走り終わってから、日の丸を渡してもらって、ピットに帰るとチームのみんながあったかく迎えてくれてね。日の丸をもらうのはレース前から聞かされていましたから、それじゃぁ完走しなきゃいけないもんね。マシンをちゃんと無事にピットに戻せてよかったです。ホントにあったかい、いいチーム」
これでレギュラーライダーとしての日本グランプリは、おしまい。残り4戦、オーストラリア→タイ→マレーシア→バレンシアで、レギュラーライダー中上貴晶もおしまいなのだ。
「(レギュラーライダーを退くのは)もちろん寂しい気持ちはあるけど、タイミング的にはよかったんだと思います。レーシングライダーとしてやってきて、すごく楽しい時も、ぜんぜん面白くないときもあった。今回は面白くなりかけてて、走行の時に路面コンディションがよくなかったり、スプリントで転ばされたり、でも、それもひっくるめてレースですよね。最後の日本でのレースって、やっぱり感傷的になってたのか、コースのあちこちにいるファンのみんなとか、観客席にバナーを貼ってくれたりしたのがいつも以上に目に付いたし、頑張ってください、って言われた後に今までありがとう、なんて言われたりね。すごく特別なレース、忘れられない日曜日になりました」
4歳からポケバイに乗り始め、中学生でロードレースにデビュー、そのころから「筑波とか走ってるナカガミって速いコがいる」と、レース界では評判だった。やがて、そのナカガミくんは全日本選手権にデビューし、2006年には全戦全勝でチャンピオン、しかも14歳で史上最年少という記録も作って16歳で世界グランプリGP125クラスにデビュー。天才少年は、アッという間に世界への階段を駆け上がっていきました。
その少年ももう32歳。来シーズンからは、ホンダのMotoGPマシンの開発ライダーとして、また「最強ホンダ」の看板を取り戻すべく、ことまで以上にバイクまみれの生活を送ることになる。
まずはあと4戦、じっくりと、この天才少年のゴールを見届けたいです。
写真・文責/中村浩史