※この記事はウェブサイト「HondaGO バイクラボ」で2025年3月24日に公開されたものを一部抜粋し転載しています。
まとめ:宮﨑健太郎/写真:南 孝幸
(初出:月刊『オートバイ』2025年3月号)

(左)伊藤真一(いとうしんいち):1966年、宮城県生まれ。1988年ジュニアから国際A級に昇格と同時にHRCワークスチームに抜擢される。以降、WGP500クラスの参戦や、全日本ロードレース選手権、鈴鹿8耐で長年活躍。現在は監督として「Astemo Pro Honda SI Racing」を率いてJSB1000クラス、ST1000クラスなどに参戦! 当研究所の主席研究員。
(中央)太田安治(おおたやすはる):東京都出身。元ロードレース国際A級ライダー。1976年から月刊『オートバイ』の試乗テスターなどを担当し、今まで試乗した車両は5000台を超える!
(右)須貝義行(すがいよしゆき):1966年、宮城県生まれ。1985年にロードレースデビュー。1989年国際ライセンスを取得し、全日本選手権、鈴鹿8耐などで長年活躍。1995年は世界GP(現在MotoGP)125㏄クラス参戦。1998年には米デイトナで日本人初優勝を記録。
残念無念 ? 晴れ舞台の取材日は、MVXの後方1気筒が不調に……

伊藤:このMVX250Fは結構前にネットオークションで入手していたのですが、2年前くらいにレストアをしました。レストア前、車両に大きな問題があったわけではありませんが、たまにエンジンが燃えないことがあり、ちゃんとした状態にしたかったのでレストアしたわけです。
クランクシャフトには問題がなかったのですが、クランクシールが駄目になっていたので困りました。そこで内燃機屋さんに依頼したのですが、最初はできないと断られました。でも最終的には代替のオイルシールと、それに組み合わせるパーツをワンオフで作ることで何とかしていただけたので、本当に助かりました。
車体の方はフレームの塗り直しなど、なんだかんだで結構なお金をこのMVXに費やしてしまいましたが、自分がロードレースを始めた頃に乗ったバイクなので、それなりに思い入れがありました。今回の取材で太田さんと須貝さんに試乗していただくので前後タイヤも新品にしたのですが、始終、後方1気筒の調子が悪くて申し訳なかったです。後日プラグを交換したらあっさり不調が直ったので、なおのことガッカリしました。取材当日にはちゃんとスペアプラグを工具箱に入れておくのが、この時代の2ストロークを走らせるときの鉄則ですね……。
MVX時代の伊藤さんの走りを太田さんは目撃していた!

太田:伊藤さんがMVX250FでレースをしているのをスポーツランドSUGOで見ているんだよね。当時は気の毒なくらい遅かった(笑)。
伊藤:MVXで84年にレースをしてました。いつもコーナーで先行車をごぼう抜きにしていましたが、直線で抜かれるので結果的には5位とか6位が多かったですね。コーナーではみんな止まっているように見えたので、楽に抜くことができましたが。
太田:当時のF3クラスはヤマハRZ250RやFZ400R、そしてスズキGSX-R400が速くて人気だったけど、なんで彼は1人だけMVXでレースやっているんだろう? と不思議に思っていたよ。
伊藤:先輩の借り物のバイクで、まんまノーマル車でした。エアクリーナーボックスが無くてサイレンサーも抜いていたので、低速はスカスカでした。今思えば、何でそんな仕様だったんだろう?
須貝:レースを始めたのは85年からなので、伊藤さんがMVXで走っていたのは見てないな。ただMVXの後の、NS250Rで走っていた伊藤さんは印象に残っています。当時オフィシャルのバイトでSUGOの5コーナーやシケインのポストに入ることが多かったけど、銀色のNSで速いヤツがいるなぁ、と思ったのが伊藤さんでした。その後、シーズン最終戦でNSの色が銀からトリコロールになって、優勝したのを覚えています。