ブレーキング、しかし前輪は宙にあった!
この速さは何だ!? 全段かき上げ式のトランスミッションを3速にホールドし、上半身をハンドルバーにかぶせるようにしながらアクセルを全開にすると、同じ方向を走る周囲の車列は一瞬、止まる。次にはその車列が、もの凄い勢いで後方に吹っ飛んで行くのだ。けたたましいサウンドを撒き散らすこのモデルは、カワサキ500SSマッハⅢ。
国内では発売前のことでもあり、グレーのパールメタリックにブラックストライプ仕上げのマッハⅢの広報車両は、昨68年の東京モーターショーで発表された姿そのままに、目黒川に沿ったメグロの倉庫の片隅に置かれていた。ナンバープレートはトラック用に違いない大きな仮ナンバーだった。69年の春も遅い時期のことである。
2スト3気筒などというエンジンは、もちろん初体験だ。それまでに乗ったことのある2ストスーパースポーツは、ジェントルだがコーナーではスムーズこの上ないヤマハのYDS-3、ロータリーディスクバルブでクラス最大の馬力を誇ったカワサキのA1SSなどで、どれも2気筒車。それも排気量は250㏄どまりだったから、500㏄で3気筒などは想像もつかないモンスターそのものだった。
2スト3気筒は、4ストなら6気筒に相当すると言われたとおり、とにかく吹け上がりは速い。アクセルのひとひねりでタコメーターの針は瞬時に上昇する。しかし、気をつけていないと加速時には前輪がカンタンに持ち上がってしまうのだ。面白い! この凄まじい加速感は、当たり前だが、どのモデルとも比べようがない。やがて道路は陸橋にさしかかり、緩やかなくだり坂を駆け降りて行く。
遠くの信号機が黄色から赤に変わるのを見て(ちょっと人には言えないスピードから)減速にかかる。セオリーどおり、まずリアブレーキペダルを踏み、次にフロントブレーキレバーをグイッと握った…が!? どうしたわけか、車速は一向に落ちる気配がない。さらにキュッ! キュッ! という断続音が、フロントまわりから聞こえてくるではないか。何の音だ? 物見高い性分なので減速時のフォームを崩し、フロントまわりを覗き込んでみた。ブレーキに異常が? と思ったのだが、そこには驚きの光景が待っていた。
フロントタイヤが宙に浮いている! 加速時ならともかく、今は減速操作のまっ最中である。握り込んだブレーキで停止状態になっている前輪は、路面に接地するたび、キュッ! と音を立てている。上半身を減速時のフォームに戻し、今度はリアブレーキペダルをゆっくり、しかし強く踏み込む。この操作でマッハⅢの前輪は、ようやく路面に戻り、650W1スペシャルから流用されたフロントのドラムブレーキは、改めて握り込んだブレーキレバーに反応して減速を始めてくれた。今になって思い出しても冷や汗ものである。
マイチェンで前輪荷重の増大を狙った…が!
72年にマイナーチェンジを受けたマッハⅢは、フレームに手が加えられ、わずかだがエンジンマウントが前輪寄りに修正された。フロントのドラムブレーキはディスクに変更を受けたのだが、当時まだ黎明期だったバイク用のディスクブレーキは、往々にして同じクラスのドラムブレーキより重かった。フロントまわりが軽すぎたマッハⅢには、一石二鳥のモディファイだったのだろう。
H1-2と呼ばれるこのモデルをカワサキの明石本社で借り受け、同僚といっしょに四国一周のテストを行なったのだが、マッハⅢは相変わらず前輪を高々と上げた。ただし、これは意図したときだけ(クラッチをミートしたままアクセルを溜めておき、そこからポンとグリップを開くといった操作)になり、どこからでも勝手に持ち上がるといった初代型の様相は、少しだけだが影をひそめていたので、功を奏していたのだろう。
さて、マッハⅢは3気筒である。このためクランクケース幅は左右に張り出し、結果として下半身のフォームはヘンテコリンなものになった。アメリカでデザインされたという細身で美しいフォルムのガソリンタンクに両ヒザを合わせると、両足首は左右に広がってしまい、前から見るとX脚になる。これは幅広のクランクケースに押し出されたことで、ステップの内幅が広いことによる。車体を支えるメインスタンド(当時はマッハⅢに限らず標準装備だった)も横幅が広がるから、コーナリングでリーンさせると、まずこれが路面に接地する。バンク角は左右とも大幅に制限されてしまうのだ。
箱根で行なった初代のテストには、67年の世界選手権にも出走したB・ブラック氏に参加してもらったのだが、彼に操られたマッハⅢは、乙女峠のすべてのコーナーで火花を上げた。マッハⅢには、当時ではタイヤにとって未知の世界だった200キロという速度に耐えるため、ダンロップで専用設計されたナイロンコードを用いたK77が履かされていた。しかしマッハⅢのエンジンはタコメーターの針が6000を越えると豹変し、コーナリング中だとリアタイヤが容易に滑り出す。「このメインスタンドのおかげで、ドリフト走行に持ち込めないんだ」とブラック氏は言っていた。さもありなん、である。
キヨさんが教えてくれたお尻の話!
3度めのマイナーチェンジで、マッハⅢは中低速トルクが持ち上げられ、市街地での走行が格段にラクになった。ラインアップにあったグリーンの塗装で「胡瓜(きゅうり)マッハ」と呼ばれたこのモデルは、かなり「普通のバイク」に近づいて、乗るたびに身構えるようなことがなくなった。このモデルでは、当時のライバルだったホンダCB550Four、ヤマハTX500、スズキGT550と計4台で東京から京都、そして鈴鹿までを往復するロングランテストと、テストコースでの走行を行なっている。
このときマッハⅢを担当していたボクは、貴重な体験をすることになった。緩いR(半径)の左コーナーで、前方を走るTX500をメーター読み190キロで追いかけていたとき、車体が突然ブルブルと激しく震え出し、パニックになりかけたのだ。そのときとっさにアタマに閃いたのは、単独でヨーロッパに渡り、このテストには不在だった先輩スタッフの言葉だった。「キヨさん(カワサキのワークスライダー、清原明彦氏)に聞いた話だけど、マッハⅢが暴れ出しそうになったら、シートから握りこぶし、ひとつ分お尻を持ち上げるといいんだってさ」。
ボクはステップに立ち上がるようにして上半身を伸び上がらせ、少し尻を浮かせてみた。するとどうだろう、荷重がステップに移ったためだろうか、マッハⅢの振動は御せる範囲に収まってしまったのだ。この場でこの言葉を思い出せなかったら、どうなっていたかわからない。キヨさん、ありがとう! である。そのときTX500を担当していた同僚からは「おまえ、よく(マッハⅢで)ついて来たな」と半ばあきれ顔で言われたのだが、まぁね、と答えながら何だか嬉しかったのを覚えている。
加速を楽しむために生まれたモンスター!
マッハⅢのスペックを現在のスーパースポーツたちと比べてみると、0→400メートルの発進加速は12.4秒でしかない。確かに当時とすれば驚異的とも言えるのだが、10秒を切る猛者たちが存在する昨今からすると、別段どうと言うことはない数値に見える。ところが、マッハⅢは速い。そしてスリリングである。何故か? これは、あえて華奢につくられたとしか思えないフレームや、足まわりが要因だったに違いない。
圧倒的な加速感を楽しんでもらおうというモデルであり、先に述べたようにコーナリングを含めた「オールラウンドなスポーツモデル」を目指したわけではなかったということだ。200キロに達すると言われた最高速度も、初代型だとメーター読みで160キロを超せば、しっかりとフロント寄りに伏せた姿勢でも(緩やかにだが)蛇行を始め、これでは大台に乗せるのは至難のことだと思われた。このとき並走していたCB750Four(KО)の、どっしりとした安定感とはまるで比べ物にならなかった。
しかし、次第に進化して行くマッハⅢの背景には、これをベースとしたレーシングマシン、H1R(71年から世界選手権に出走。後に水冷化されたH1RWに発展)の開発が同時に進行していたことも見逃せない。この努力がマッハⅢの総合性能を高めて行ったであろうことは、容易に想像できるのである。
マッハⅢには縁あってか歴代のモデルに触れて来れたことで、何だか他人(?)のような気がしない。とても「4スト6気筒に匹敵する」とは思えないほど騒音と振動のカタマリだった2スト3気筒は、全開加速時には遠慮なくもうもうと白煙を上げた。今でもどえらくやんちゃで、つき合うにはカクゴが必要だった親戚のお兄さんのように感じている。
DETAIL
KAWASAKI 500 SS MACH Ⅲ 主要諸元
エンジン形式 空冷2ストピストンバルブ並列3気筒
総排気量 498㏄
ボア×ストローク 60.0×58.8㎜
圧縮比 6.8
最高出力 60HP/7500rpm
最大トルク 5.85㎏-m/7000rpm
ミッション 常噛5速リターン
燃料供給方式 キャブレター
全長×全幅×全高 2095×840×1080㎜
ホイールベース 1400㎜
乾燥重量 174㎏
燃料タンク容量 15ℓ
タイヤサイズ(前・後) 3.25-19・4.00-18