そんなこんなで1週間の2018ケニー・ロバーツ ジャパン・ラリー(=KRJR)が終わりました。台風2連発で大変だったけど、大きな事件も事故もなく、無事アメリカから参加のみんなも帰国。
期間中、何度もルートリードをしてくれた「ボクセルモト」池田さんが送ってくれたデータによると
10/1:192.2km →少人数のみ参加
10/2:176.6km →ケニーさん参戦
10/3:297km →ケニーさんゴルフ でも他メンバーほとんど^^
10/4:209.3km →ほぼフルメンバー
10/5:209.8km →ほぼフルメンバー
10/6:0km →強風のため走行中止
10/7:246.3km →最終日
7日間合計で、なんと1300kmオーバーも走り回った2018KRJR。もちろん、参加日数やその日のルートをショートカットしたりと、これ以上、これ以下の参加者もいたんだけど、毎年おおむねこんな感じ。ちなみに3日に合流して4日から走って、6日に参加のみんなが市内観光している間も走りに行った僕とCB1000Rは、福岡~熊本を往復した分も合わせて1103.6km……。おー、走ったなぁ! CBを返却したホンダドリーム福岡東の中川店長も
「あれ?乗って行かれたの3日夕方ですよね? 3~4日で1000km走ったんですか!」って驚いてくれましたw どーもすいません^^
立ちごけとか雨のスリップダウンなんてのはあったけれど、大きな事故もなく、あんな雨にヤラれながらも、もんんんんのすごく楽しいツーリン……いや、取材でした(笑)。僕個人としては、ふだんプライベートであんまりツーリングに出なくなってるから、1年間でこの1週間がいかに濃密か(笑)。KRJRでいつもミラクルなワインディングを走っているから、次にKRJRのみんなが関東に来たときにはどっか案内しなきゃ、もっと伊豆とか房総、秩父を走り込むか、なんて考えながらの1週間でした。
このKRJR中に、印象深い出来事もありました。それは、僕が合流した3日夜、地元の皆さんが開いてくれたウェルカムパーティでのひと幕。この日、ケニーさんは走行せず、アメリカからのお友達もほぼ出そろってた、そんなパーティ。
参加者の自己紹介があったり、雑誌「RACERS」編集部の今井さんによる「キミたちが普通に一緒にツーリングしてるケニーとかエディ、ババが、いかに偉大な人なのか」を説明するトークショーwがあったり、もちろん飲めや歌えのパーティの中、ケニーさんが締めのあいさつに立った時でした。
「今年もクマモトに来ることができてとてもうれしい」
お、ケニーさん、ちょっと酔っぱらってんなw 聞けばご飯食べる前に飲み始めちゃって、空きっパラに効いてたんだそう。
「オレがこのラリーを始めたのは、オレが大好きなクマモトをみんなに見せてあげたいのと、素晴らしいロケーションのワインディングをみんなで走り回りたいからだ」
これは最初から一貫してること。ケニーさん、行く先々でチャリティに協力してくれていて、募金の顔になってくれているのに、そんなこと全然言わない。親しい人には口が悪いけどw、そういう人なんです、ケニーさん。
このKRJRは2010年から始まっていて、第2回の11年には、春に東日本大震災があって、あらためてチャリティイベントとしてのKRJRがスタート。そして5年後の2016年には、ベースキャンプとしている熊本が大地震に遭ってしまいました。熊本大震災の半年前には、グリーンロード南阿蘇が「ケニーロード」って正式に命名されたばっかりだったのに……。
特に熊本大震災は、ケニーロードのすぐ近くの益城エリアが震源だったこともあって、熊本の東西をつなぐ阿蘇大橋が陥落、そのかわりを果たして熊本の大動脈をつないだひとつのルートがケニーロードだった、って事態も起きてしまいました。
「オレは、今でもオートバイに乗っていることを誇りに思っている。オートバイは素晴らしいぞ。自然を感じられて、いつまでも若々しく過ごすことができるし、こうやって仲間たちと同じ時間を過ごせるんだ」
このへんでジーンと来てしまってました。
「オレたちはファミリーだ。オートバイに乗っているファミリーだ。これからもずっとだぞ」
ガヤガヤしているウェルカムパーティだったけど、僕はひとりで感動してしまって。去年とか一昨年には「オートバイに若い人が乗らないのはオマエのせいだ」なんて言われ(笑)、これはオートバイ雑誌がもっとオートバイの楽しさをアピールできていないからだ、って耳の痛いことだったんですが――。とにかくケニーさんは、いつもオートバイのこと、日本のこと、熊本のことを考えてくれている人なんです。
「熊本のKRJRを日本のスタージスにしたい」と約10年前に話してくれたケニーさん。
南阿蘇にARB(=阿蘇ライダーズベース)ができて、阿蘇ケニーズカフェもできた。今年はAMT(=阿蘇モビリティツーリズム)も結成されて、ケニーさんはそのアンバサダーに就任。阿蘇を日本が誇るバイクタウンにしよう、って動きも始まりました。
ケニーさんの思い、すこしずつ前進しています。
帰り際に言われたが言葉、これ。
「来年はKRJRの10回目だ。きっとまた来るんだぞ。来なきゃオマエとは絶交だ」
Yesケニーさん。きっとまた来年もおおじゃまします! また元気で日本に来てね!
<この項おわり>