※月刊オートバイ2018年8月号より
打倒ホンダ・ナナハン!テストコースや一般道で世界一のクルマ、作ったった!
キヨさんの愛称で知られる、プロショップキヨの代表、清原明彦さん。言うまでもないが、キヨさんは元カワサキのテストライダーにしてレーシングライダー。60年代後半のA1からA7、そしてH1とH2、もちろんZ1をテストライダーとして開発。「清原君がそう言うから」という理由でカワサキの市販車が設計変更したなんて話、たくさんある。
「Z1のテストは、かなり開発が進んで、量産試作車くらいの段階で僕のところに来たんやったかな」
Z1のテストは70年頃か、それ以前の話。その頃キヨさんは、主にH1/H2のテストを担当していた。カワサキが誇る名車、じゃじゃ馬マッハだ。
「マッハはね、素晴らしいクルマやった。けど、乗り手を選ぶんやね。僕らがテストしても、最高に速いけど、高速走行ではブレるし、ブレーキも500のドラムなんか効くかいや(笑)。それやけど、カワサキのテストライダーはそれを乗りこなしとった」
H1ことマッハ500、H2ことマッハ750のことを聞くと、キヨさんは決まってこう言う。
「クレイジーやね。速いばっかりで、ホンダのナナハンみたいに安定とか安全とか、速さの次にしか考えたことあれへん(笑)。でもそれが良かったんや。カワサキに乗る人は乗りこなしてたやろうし、それがカワサキの特徴やったからね」
Z1テストのときには、ホンダ・ナナハン、つまりCB750フォアを徹底研究した。
「ナナハンを4台買うたんやなかったかな、それとアグスタの4気筒。アグスタはどないもならんやったけど、ナナハンは徹底的に研究したよ。谷田部の周回路、富士スピードウェイ、阪神高速に国道2号線(笑)。仮ナンバー付けたZ1を2台で、北海道から九州、沖縄まであちこち走り回ってツーリングテストもしたしな」
カワサキのテストライダー間でも評価が分かれたナナハンは、一方で安定性に優れて安全性が高いけれど、血気盛んなキヨさんにしてみれば重いし、パワーもブレーキも物足りない、となる。
「そやから、僕らはZ1をもっと走る単車にしたかった。最終試作くらいの、本当はもう大きな変更はでけへん、て言われてたやつから、キャスターとかトレールとか変えて、もっと軽快な単車にしたんやね。この狙いは当たっとったんやないかな。今でもZの特徴って、そういうとこあるもんな」
打倒ホンダを旗印に開発を進めたZ1は、当時の最大市場であるアメリカで大ヒット。ヨーロッパでも大人気車となり、カワサキの命運さえ変えていった。
「ほんとはクレームが多くてリコールせなイカン、と言われてたH2の改善をスパッと止めて、カワサキが大きく舵を切ったんが4サイクルのZ1やった。僕なんかにしてみれば、H2に比べたらあんな走らん単車、なんとかしてやろう、って頑張った」
キヨさんたちカワサキのテストライダーが手がけたH2もZ1も、今でもカワサキの名車として歴史に名を残している。
「いつまでもZやH2やって古い名前を使うとらんで、もっと新しいことやらんかい!とは思うけどね(笑)。それでもZは心に残る、ええ単車やった。文句なしの名車やな。ずっと世界一でおってほしいね」