16歳でヨンヒャクの免許を取ったのが1989年のことだから、10回目の試験でようやく限定解除できたのは91年の暮れか92年。ボクのバイクライフはレーサーレプリカブームの終焉ムードが漂う80年代の終わりに始まり、多感だったティーンエイジャーから20代のほとんどを90年代で過ごした。
音楽や映画、アニメなど他のジャンルもそうだったように、90年代はたくさんのカテゴリーが生まれ、個々それぞれが好きなものを選べる時代がやってきたという感じがした。聖子ちゃんのような絶対的アイドルは不在だったが、トレンドが目まぐるしく変わるカオスな状況は決して嫌いではない。
もちろん80年代の世界選手権や鈴鹿8耐にも興奮し、その熱狂ぶりがいかにすごかったかもわかる。7つ上と4つ上の2人の兄たちは、レーサーレプリカに乗って出かけていくときはレーシングツナギが当たり前だったし、WGPの名シーンビデオや映画『汚れた英雄』(角川映画1982年)は何度も何度も観せられた。
しかしボクはカウルのついたオートバイより、ノンカウルに惹かれていく。バイク雑誌を見て「今度のTZRは後方排気だぜ」と騒いでいるクラスメイトらを相手に「乗るならW3かZ2だ!」って言っていたのだから、奇特な少年だったに違いない。
しかし時代は、そんなボクに追い風となってくる。89年4月にカワサキからゼファー400がリリースされ大ヒットとなり、価値観が少しずつ変わっていくのを肌で感じた。同年にスズキがバンディッド400/250を、90年にホンダはCB-1で対抗し、"ネイキッドブーム"なんて言葉がチラホラ聞こえだした頃だ。
「バイクはノンカウルに限る」なんて言っていたボクなのに、限定解除すると信念をすぐに曲げてしまう。まだまだ18〜19歳、ガキだったのである。「さぁ、いよいよW3を買うぞ!」ってバイク屋さんに行ったら、ゼンゼン売っていないし、店員さんらには必ずと言っていいほど「やめておけ」と言われた。自分がただのクソガキで、旧いバイクの面倒を自分で見れないことを察して親心で言ってくれたのか、それとも旧車に対して理解のある人が少ない時代だったのか、とにかく「ポイント式? ナニそれ?」と聞き返すような素人がW3を買うことなど許されなかったのだ。
そこで買ってしまったのがGPZ1000RXだったから、もう身の程知らずもいい加減にしろと当時の自分に言いたい。90年に「世界最速」と謳って発売されたZZR1100の新車価格は150万円で手が届かないものだから、たしか80万円くらいの中古をローンを組んで買ってしまったのだ。
週末の夜は第三京浜・保土ヶ谷パーキングへ行くのがお決まりのコース。アップハンドルにして、マフラーはカーカーやバンス&ハインズ、ヘルメットはシンプソンのフルフェイスとなる。バトルスーツを着たVマックス乗りも見かけたが、主役はやはりカワサキの大排気量車という感じで王道は空冷Z。GPZ900RからZZRへ続く水冷4発の流れはいま振り返ってもゾクゾクするほどかっこいいカスタムシーンを築き、ZZR1100はD型(93年〜)になって人気がさらに加速していく。
そして、第三京浜を玉川から乗る前にも後にも必ず立ち寄ったのが、環八沿いにあったクルマとバイクの専門書店「リンドバーグ」。たくさんのバイク関連の本や雑誌に囲まれているだけで幸せで、夜遅くまで開いていたあの本屋さんはボクにとっては90年代を代表する想い出の場所の1つと言える。
ネイキッドブームはビッグバイクにも浸透し、90年に「国内は750㏄まで」という自主規制が撤廃されると、CB1000SFやゼファー1100、XJR1200といったビッグネイキッドたちが次々と出てくる。フルフェイス一辺倒だったバイク乗りたちのなか、オープンフェイスのジェット型ヘルメットを被る人が増え出したのもこの頃で、バイクに扱いやすさを求め出すと、ライダーたちのファッションも様変わりしていき、レーシングツナギでファミレスに行っていたのが嘘だったかのように思えた。
あんなにも誰しもがスペック重視で高性能を追い求めていたのに、トレンドはまるで逆方向へとどんどん流れていき、92年に発売されたスティードがブレイクすると、今度はアメリカンブームに。VFR400Rに乗ってレーサーを気取っていた友人はスティードを徹底的にカスタムし、前傾のライディングポジションは上半身が反り返るほどのエイプバーによってとてもラフなものとなっていたから、その転換ぶりが面白い。自分もそうだから人のことは言えない、時代の流れがとてつもなく速かった気がする。
SRがドカンときたのもよく覚えている。『ミスターバイク』によるとSR史上最高のセールスを記録したのは96年で、8971台も売れたそうだ。89年には2000台に届かず「ラインアップから消える」と噂されたが、92年の時点で6000台超えて盛り返す。この頃はコーナーでヒザを擦ることよりも、キックスタートでエンジンをかける方がカッコイイと思っていたのかもしれない。
こうした新しい流れとは裏腹に、バブル景気が衰退していくかのようにレーサーレプリカは人気を失っていくが、スポーティ路線という意味では92年のCBR900RRに端を発するようなリッタースーパースポーツという新しいカテゴリーが生まれ、98年のYZF-R1がそのジャンルを確固たるものにした。
世界最速路線がますますヒートアップするのは96年にCBR1100XXスーパーブラックバードが出てからで、99年にハヤブサがデビューし、メーターに320㎞まで刻まれることが、憧れから当たり前のようにさえなってしまう。
「4発しか考えられない」と言っていた友人がドゥカティやビューエルに乗り出した頃、「ツインが速いぞ」ってあちらこちらで囁かれだしたのには驚いた。「トラクションがかかるから」などという耳に馴染みのなかった言葉が飛び交い、馬力が必ずしも速さに繋がらないことには薄々気がついていたが「不等間隔爆発がどうたらこうたら…」と難しい話をし出す。
ヤマハも95年にTRX850を出し、97年にはサンダンス(ハーレーの名門カスタムショップ)がデイトナで優勝したって聞いた。ハーレーに乗り出す連中が増えたことは関係ないと思うが、次に待っていたのはTW200を筆頭とするトラッカーブームで、ストリートカスタムが全盛を極める。バッテリーレス化はSRからすでにトレンドだったが、とにかく車体をスカスカに見せる「スカチューン」なんて言葉も流行り、マフラーはスーパートラップがマストだった。テレビドラマ『ビューティフルライフ』でキムタクが乗ったのは2000年だから、その頃はもう95年に発売したマジェスティが火付け役となったビッグスクーターブームが到来していたはずだ。
あぁ…、気がつけばココまでで沢山の文字数を費やしてしまい、長文に付き合わせることになってしまったことをお詫びしたい。ほかにも400や250版カタナが出たことやNR750という理想を追求した究極の1台についても書きたかった。
ボクらがクラッチミートを学んだ原付バイクにもまだまだ元気があって、ビジネスモデルをベースにしたコレダスポーツ50やYB-1は旧車好きのボクには面白かったし、もう二度と出ないだろう50㏄なのにDOHCエンジンを積んだドリーム50などなど、90年代はとにかく何でもアリ。それまではみんなと一緒にトレンドに流されるのがナウかった時代だが、冒頭でも書いたとおりボクたちのナインティーズは人それぞれ好きなものを選べばいいって教えてくれたような気がする。