さて、難しくなってまいりました。
東の小結(単車の4位)はAJSです。
明治42年(1909)に英国で生まれたブランドで、マン島TTレースで優勝するなど輝かしい歴史を持っています。
戦後、日本メーカーとの争いなど厳しい時期もありましたが、
いまでもAJSブランドのオートバイは購入可能です。
単車の前頭は「サンビーム」。こちらも英国車ですね。
20世紀初頭に生まれたメーカーで、四輪のクラシックカーの方が有名かもしれません。現存はしていませんが、バイクもクルマもさまざまなメーカーに影響を与えました。
米国車VS英国車の図式が強かった!
国産メーカーが力をつけてくるのは、まだまだ先なようでした。
横綱・大関はアメリカ勢、それに追いつけ追い越せとイギリス勢が迫っていましたね。
ちなみに番付の西側、サイドカーも少し見てみます。
横綱はH-D。このタイプのサイドカーってふたり乗れるものなんですね。
大関はインディアン。当時のお金持ちの方々がこうやって新婚旅行とかに出かけていたんですかね。
ちなみに車両の値段はなかなか出てこず、分かりませんでした。
当時の月刊オートバイの価格は50銭。
調べてみると、昭和2年の都心の地下鉄料金は10銭均一だったようです。
詳しくは分かりませんが、ざっくり当時の10銭を現在の150円と換算すると、月刊オートバイは現在の物価で750円くらいになるのかな? と思います。
さて、番付に戻りまして、西の前頭は、聞きなれないメーカーでしたね。
側車は付いておりませんが、上の画像がヘンダーソンです。
インディアンと似ていて、直列4気筒だったようです。
番付発表と解説はこれでおしまいですが、面白いグラフが続くページに載ってました!
地域別の投票数です。表のてっぺんが3000票、それ以上は折り返しています。断トツだったのは東京で、一地域で12000票を超えています。
次に大阪、愛知と続くのですが、
4位が静岡というのが興味深い。
大正・昭和・平成と静岡県の人口順位はずっと10位だったようです。なのに5位京都、6位神奈川を大きく引き離しての4位! すでに浜松などモノ造りの街としての素地が築かれていたのでしょう。
両端にある、樺太・台湾・朝鮮・満州も時代を感じさせますね。
ちなみにいまのwebオートバイは比率にするとわずかですが、海外の方もアクセスしてくださっています。
それでは「古ーーーいバックナンバー、ドドンと公開スペシャル」第三弾はこのへんで! 第四弾以降もご期待ください。
(写真:柴田直行/文:西野鉄兵)
昔の月刊オートバイを大切に保管していてくださり、取材にご協力をいただいたのは神奈川県立歴史博物館さんです。