ゴール前からレース終了時の大混乱を解説します!
カワサキワークスチームの復活、TECH21カラーのリバイバルに、ホンダワークスチーム2年目のリベンジと、レース前から注目の高かった2019年「第42回」鈴鹿8時間耐久ロードレース。何度かレポートをお届けしてきましたが、決勝レースの行なわれた28日の時点で「暫定結果」だったリザルトが、29日(月曜日)16時10分に「正式結果」となりましたので、あらためてお知らせします。
この「正式結果」が出たのが月曜夕方になったのは、なにも暫定結果が覆ったことでモメたとか、レース後車検が長引いたのではなく、ごく普通のこと。2018年はレース後車検は即日、正式結果が出たのは日曜22時35分。月曜に車検が行なわれた2017年は、正式結果は月曜16時10分でした。
優勝はカワサキレーシングチームSUZUKA8H(決勝レース前にチーム名が変更になりました)。
2位にヤマハファクトリーレーシングチーム、3位にレッドブルホンダ。表彰台を3つのワークスチームが独占しました。
4位にF.C.C.TSRホンダFRANCEが入りましたが、世界耐久選手権チャンピオンは12位フィニッシュを果たしたSRCカワサキの手へ。まずはカワサキが、NinjaZX-10RRが、鈴鹿8耐&世界耐久タイトルを獲得、2冠を獲得しました。いや、2冠とは言いませんが、市販車ベースの大きなタイトルをふたつ獲った、ってことです。
何から話そうかなってくらい話題に事欠かなかった今年の鈴鹿8耐。まずはゴール前からレース終了時の大混乱をお伝えしなきゃなりませんね。
例年に比べて、トップチームや有力チームのトラブルやアクシデント、セーフティカー介入による混乱が少なかった2019年大会。優勝候補は3つのワークスチームと、古豪ヨシムラスズキやハルクプロホンダ、それに現ワールドチャンピオンチームのTSRホンダ、世界タイトルを争っているスズキエンデュランスレーシングチームにSRCカワサキ――といった面々。
その戦前の予想通り、レース終盤になって、#10カワサキレーシングチーム(=KRT)と#33レッドブルホンダ(=HRC)、#21ヤマハファクトリーレーシング(=YFR)が、最後の最後まで同一周回、しかも10~20秒以内にこの3チームが走るという、僅差で優勝争いが繰り広げられていました。こんな僅差の鈴鹿8耐も久しぶりです!
時刻は18:30。いよいよレースが残り1時間を迎える頃、レースは大きく動き始めます。
この時点での位置は、トップにHRC、その1秒773後方にKRT、さらに9秒033後方にYFRがいるというナイトセッション。ライトオンサインが掲示され、このままレースが終わるのか、それとも最後のひと波乱があるのか――そんな時間帯でした。
最後のピットイン、最初に入ったのはKRTで、レオン・ハスラムからジョナサン・レイに交代して194周目/18時38分にピットアウト。次に入ったHRCは7時間目を走った高橋巧がなんとなんとの連続走行で18時46分にピットアウト、YFRは同じく18時46分に中須賀克行からバトンを受けたアレックス・ロウズがコースインします。
HRCが勝負に出た、という感じでした。清成龍一の体調不良で、高橋とステファン・ブラドルの2人で8時間を走り切ることを選択したHRCでしたが、高橋が全日本選手権と同じ快走を披露したのに対し、ブラドルは今ひとつ。
ブラドルは、カワサキはレイと、ヤマハは3人全員とマッチアップしましたが、ライバルと同じペースでは走れるスピードはなく、1スティント目に33周を回ったCBR1000RR-W驚異の好燃費でどうにか遅れずに周回、高橋がビハインドを追いつき引き離して――という展開を続けていました。HRCは高橋の負担が大きかった!
KRTがピットイン、ハスラムに代わってレイがコースインするころは高橋がトップ、その後方約55秒差にレイ。ここで高橋がピットインし、最後のガス補給と前後タイヤ交換を済ませてコースインすると、レイはなんとこのタイミングで、このレースのベストラップを更新、さらに更新! レースが7時間を経過し、レイの走行は4回目。夕闇迫る鈴鹿サーキットで、このタイミングでのベストラップ更新、そして連発はWSBKチャンピオンの凄みを感じさせてくれました。ちなみにこのレースのベストラップは2分06秒805――これは200周目にレイがマークしたタイムです!
高橋のアウトラップが過ぎ、通常ラップタイムに戻る頃には、高橋とレイの差は約3秒。しかし、すでに1時間以上も走行している高橋に対し、1時間の休憩の後に4回目の走行に臨んだレイのスピード差は明らかで、202周目にはついに逆転! これが18時55分ごろで、この後は高橋のペースも大きく落ちてしまい、みるみる差が広がってしまいます。
「優勝しか狙っていなかったんで、レイに抜かれたときにはもう……。体も、腰だけじゃなく、あちこち限界でした」と高橋。気力、体力はもう限界に来ていたのでしょう。高橋は例年、8耐後半には腰痛が悲鳴を上げることで知られていますが、今回はそこをギリギリ乗り越えての走行でした。