ニューヨーク観光を満喫したのち、バイク旅へ
突然、大粒の雨が降ってきた。ボルトとともに大きな木の下に避難する。ゲリラ豪雨、いやスコールってやつだろうか。行く手はまだまだ先で、途方に暮れる。
昨晩までは3日間、徒歩で気楽にニューヨーク観光を楽しんでいた。
どうしても20代のうちに来たかったニューヨーク。アメリカに留学した知人が帰ってきて「東京はまだまだだね」と放った言葉がきっかけだった。
正直、アメリカかぶれのくそ野郎に怒りを感じたものの、そう思わせたニューヨークという街を強く憧れも抱いた。
自由の女神、セントラルパーク、ウォール街……映画で見たことのある景色が次々と現れる。
何といってもタイムズスクエアのネオンは強烈だった。これぞ、ザ・ニューヨーク!
スパイダーマンが近寄ってきたので、一緒に写真を撮ってもらった。写真を撮ってくれたのはアイアンマンだ。
撮った後にチップを求められた。やっぱり。どうやら彼らの撮影料は20ドルらしい。でも、こんなところでそんなに払いたくはない、ポケットに突っ込んでいた5ドル紙幣を渡し、足早にその場を離れた。
後ろから「ジャパニーズ!ジャパニーズ!」と叫ぶ声が聞こえる。振り返ると、くしゃくしゃの1ドル紙幣を持ちながら、スパイダーマンとアイアンマンが怒っている。
どうやら、渡すつもりだった紙幣を間違えたらしい。すまない、アベンジャーズ。
そんなこんなで、楽しく3日間を過ごしていた、と言いたいところだが、いろいろと問題も発生していた。
まずNYC滞在中の宿だ。エクスペディアで航空券を取ったところ、〈+0円で7泊分のお部屋があります〉と表示され、迷わず選んだホテルだ。
ベッドとロッカーがひとつ置かれただけの質素な部屋。個室だが、トイレとシャワーは共同のものを使う。
最大の問題は、天井がつながっている……こと。
部屋にいると、聞いたことのない言語の独り言が聞こえる。電話でもしているのだろう。それに反応してブチ切れる、また別の言語。カオスだ。
ただ、東京・ニューヨークの格安往復航空券(11万4,560円)に無料で付いてきた宿なのだから、仕方ない。
さらに、問題はほかにも。予約していたレンタルバイク屋から電話があった。僕は英語をまるで話せない、聞く方は特に苦手だ。
何とか分かったのは、予約していたハーレーが使えないということ。
現地で車両を見て決めたい。しかしそれすら、何と伝えていいのかわからん。「OK チョイス トゥモロー アナザーバイク サンキュー!」と何度も言い、通話を切った。
ヤマハ ボルトでゆくアメリカ東部の道
4日目の朝、安宿から脱出を果たした。出がけに部屋数を数えると、たいして広くないワンフロアに83もの小部屋が並んでいた。
この日からは、2泊3日のバイク旅。目指すはナイアガラの滝だ。
レンタルバイク屋に置かれたハーレーはどれも3日間の旅を過ごすのに、不安しか感じないものだった。ホコリがたまり、メンテナンスをいつ行なったのかもわからぬ何やらカスタムされているものばかり。
そんななか、一台の日本車が輝いて見えた。ヤマハ「ボルト」! ホコリはかぶっていたが、日本車なら少し安心だ。しかもボルトなら、年式がかなり新しいはず。
その後、保険の手続きを行なったのだが、これもまあ、よくわからない。対人・対物無制限に加入しているのかも怪しい。
不安が高まる一方だ。比較的新しいバイクを選べたものの、僕はメンテナンスに自信がない。エンジン系など大きなトラブルが起きたら、まず対処できない。
というか、持っていたのはドライバー、モンキースパナ、ペンチ、ビクトリノックスのマルチツール、ガムテープのみ。パンクしたら、どうすりゃいいんだろ……と、このときはじめて思う。
最悪の自体が起きないこと祈りながら、ボルトのセルを回した。
地図もろくに持っていない。観光協会的な場所で手に入れた広域地図のみが頼りだ。それでも、アメリカはルート番号だけで行けるだろ、と高をくくっていた。
進んでゆくにつれ、道が何やら首都高みたいな雰囲気になり、パニくる。分岐が次々と出てきて、そのたびに自分がゆくべきルート番号がないことを確認しながら、進んだ。
都市部を抜けたら住宅街へと変わった。ハイウェイを降りて、食事処を探していたとき、スコールに遭ったのだ。
まだ、100kmも走っていないのに、やたら疲れている。精神的に、肉体的にも。
このボルトはカフェレーサースタイルだった。日本では「ボルトCスペック」という名で販売されたものに近い。
跨って一瞬で気づいたのだが、予想していたよりも前傾がキツい。大きなザックを背負っていたから、よりいっそうキツい。
当初、ザックのショルダーベルトを緩めて、リアシートに重量の大半を預けられればと思っていたのだが、甘かった。ザックの底部はまったくリアシートに届かなかった。渋々、キッチリ締め直し、ザックと一体になることを選んだ。
雨はすぐに上がった。ハイウェイに戻り、ひたすら北を目指す。
これまで、アメリカは西部を二度バイクで走ったことがあった。
一度目は旅行会社「道祖神」のツアー取材、二度目はトライアンフの海外試乗会。いずれも、安心のバックアップ体制で、付いていくだけの気楽な旅だった。
景色がよければ、いいのだが、訪れた西部に比べるといまいち、というか日本の森のような景色が続く。赤土の景色は行けども行けども現れない。けれど、ときどき北海道のような広がりを見せ、爽快感はあった。
何度目かの道に迷った地図タイムで、日が暮れてきた。
しかもまた雨が降っている。ずいぶんと田舎に来てしまっていて、建物もまばらだ。宿、どうすりゃいいんだ……。
いま現在どこにいるのかもよくわからない。わかっているのはマンハッタンよりは、ナイアガラに近いところにいる、ということだけ。
土砂降りの中、あてもなく宿を探して走っていると真っ暗になった。北海道の牧場地帯のような場所をさまよい続ける。
一軒の宿とガソリンスタンド、さらにその宿に空室があったことは僥倖だった。アメリカのガソリンスタンドは、たいていコンビニ的要素を兼ねており、ここもやはりそうだった。ドーナツとハンバーガーを買う。