深いストロークのサスペンションで路面の良し悪しに左右されにくく、長時間走行でも疲れにくいエンジン設定、パニアケースがよく似合うというアドベンチャー系は、今や250ccクラスにまで波及している。その原点は20年以上前、すでにあった!
GWの温泉1泊2食付きがビール3本ついて5千円!
編集会議で企画が決定されたはいいのだが、どうにもタイミングが悪いときがある。それは「世間がお休み」のGW(ゴールデンウイーク)に、複数の宿泊出張が集中するときだ。1993年の7月号の「それムリ企画」をアネーロ250で行なった、当時のボクの原稿とともに振り返ってみよう。
(**青い文字は当時の原稿の引用--**)
このツーリングから戻って、隣りの席にいるマロ(現カメラマン編集部の名川クン)に「G・Wどまんなかで1泊2食付きでビール飲んで、いくらだったと思う?」と訊いたら「福島の湯本温泉の近くでしょ? 2万8千円くらいフンだくられたんですか?」と気の毒そうに言う。
「ごせんえんだよ。5千円。オレの口をよく見ろ。ゴ・セ・ン・エ・ンなんだ、5千円っ!」マロのオレを見る顔つきが変わった。明らかにウソツキを見ている目だ。腕を組んでキャスター付きの椅子に座ったまま、ズルズルと後ずさりする。
「そりゃあ、日本じゃないッスよ。日本じゃ!」
ホントなんだから仕方ない。オレが行ったところは正真正銘、日本国内だ。第一バイクに乗って1泊2日で、わざわざ外国に行くヤツがいるもんか。思えば、この企画が決まったのがGWの1週間前だった。オレはあわてふためいて電話をかけまくり、予約を取り付けた日のことを思い出した。
宿泊したところは、「カンチ山鉱泉・富士屋」。旅館の外壁にペンキで「カンチ山」と描かれた枯淡風味の宿だ。ちなみに「カンチ」とはこの地方の方言で「火傷」。効能が温泉名になっているのだ。
「それムリ企画」はこうして決まり、決行された!
ここでコトの経緯を説明しておこう。時代は1993年の4月末である。いつもなら丁々発止となるオートバイ編集部の編集会議なのだけど、7月号(6月1日発売)の巻頭企画は決まったものの、第2企画が決まらないのだ。あーでもない、こーでもないと延々討議してみたものの、決定打はついに出ず仕舞いだった。
そこで「編集長以下、全員がひとりずつツーリングに行って、そのレポートで埋めちゃうってのはどうでしょう?」と言い出したヤツがいた。そのころ編集部の人数は7人いたから、ひとり見開き(2ページ)でも14ページは埋まる。トビラをつけて後ろをまとめれば、ひと折り(16ページ)は確かに埋まる。
え〜っ、そんなんで…? と言いかけたときに、それまでツマラなそうにしていた編集長が「うん。それで行こう!」と決めてしまった。見ると目がキラキラしている。しかも「全国誌なんだから、日本中に散らばろう!」なんて景気のいいことを言う。だけど経費の都合もあるから、シバリは1泊2日だそうだ。
そう言われると、さすがに北海道だの沖縄だのは却下される。今のように各地にレンタルバイクが用意されている時代じゃないし、経費の都合と言われたらヒコーキを使うなんてのは論外である。それより問題なのは、GWが1週間後に控えていることだった。
そもそも、今から宿なんて予約できるの?
ガケっぷちの編集部に奇跡の電話のベルが鳴った!
ボクは副編集長という立場だったから、全員の目的地と使用するバイクを決め、何とか宿泊先を確保して、滞りなく出発するところを見極める役目があった。バイクは4メーカーを適度に割り振って、人気モデルはもちろんだけど、あまり誌面で扱うことのない機種を、ここぞとばかり登場させることにした。いろいろ気をつかうこともあるのだ。
編集部は東京都心にあるから1泊2日となれば八ヶ岳、伊豆半島といった人気スポットは抑えなければ、などと画策していたら、編集長は高速ロングツーリングができるビッグチャンス! と、さっさとビッグネイキッドで九州へ旅立った。いい気なものである。
ほぼ全員のスケジュールが決まったところで、残るはボクと進行デスクのハヤト(早川クン)の2人だけになった。正直、あと回しにしていたから、何も考えていない。ちょっと困った。で、彼には原チャリで東京湾の波止場に出向き、夜景をバックに写真を撮って「家出ツーリング」を演出してもらうことにした。さぁ、残るはボクひとりである。
断っておくが90年代の初頭だから、ネットなどありはしない。頼みの綱は電話帳だ。地図を横に片っ端から目ぼしい宿に連絡してみるのだけれど、どだいGWどまんなかの日程で、宿泊の予約ができるところなんてありはしない。それでもキャンセルがあればと、一縷の望みを抱いて電話をかけまくったのだ。
残ったバイクはハヤトの原チャリとアネーロだけ!
正直に言や、泊まれりゃドコでもよかったのである。昨今の温泉ブームとやらだし、行けるのはGWまっ最中という日程だし、電話1本であっさり宿が決まるとは、思っていなかった。向かいに座っているハヤトは「いーじゃないの。いざとなったら野宿しちゃえば」などと理不尽なことを言う。自分が「ご近所家出ツーリング」になったものだから、人も不幸に巻き込もうというコンタンなのだ。そうは行くか、くそ。
そのとき、焦りまくっているオレの電話に、福島の温泉宿からOKの返事が来た。「でも、ウチは湯治場ですよ? お客さんが思っていらっしゃるような宿じゃ…」「いーの! そーゆーとこが好きなの、オレ」
舌打ちするハヤトにアカンベをして、さっそく出発。常磐自動車道を2時間も走れば、いわき勿来(なこそ)ICだ。埼玉の三郷ICからだと154キロしかない。それにしても旅の相棒となったカワサキKLE250アネーロのギア比は、ちょいと変わっていて、1速がむちゃくちゃ低い。そして信号でスタートして交差点を渡りきれば、いつの間にやら6速のトップギアという、まるでトライアル車のようなギアレシオなのだ。
そしてこのトップギアの守備範囲が、べらぼーに広い。時速30キロからだって充分な加速に耐えるかと思えば、そのまま最高速度いっぱいまで伸びきってくれる。野球で言うと、キャッチャーが外野フライまでカバーしちゃうくらい、融通が効きまくるのであった。市街地だって停止しない限り、トップホールドでこと足りるから、まさにオートマ。でっかいスクーターに乗ってるようなもんだから、果たして1〜5速の使い道はあるのだろうか? と心配になってきた。
アネーロ250はまさにアドベンチャーの原型!
ここで振り返ってみると、カワサキKLE250アネーロというバイクは、今どき世界中で大流行の「アドベンチャー」そのものだった。まだ日本国内にはなじみの薄かったカテゴリーに「アルプスローダー」というものがあり、そのベースは大きな排気量のオフロードモデルだった。ヨーロッパのバイク乗りは、長い休暇でロングツーリングを楽しむのだけれど、難所はアルプス越えで、この峠道は舗装路ではあっても、かなり荒れているという。
そんな路面でも快適に走れるためにはストロークが長く、腰のあるサスペンションが必要で、そこで目をつけたのがビッグオフというわけだ。やがてアルプスローダーは使い勝手のよい2気筒エンジンが主流となり、アルプス越えに至るまでのアウトバーンでも快適なようにと、ウインドシールドやボディを覆うカウル装備に進化する。これがホンダのトランザルプを始めとするアドベンチャーの原型だ。
アネーロ250は180度クランクの2気筒ながら、トップギアに放り込んだままで、たいていのことはこなせる性格につくられていることにも注目したい。アクセルの開閉ひとつで加減速をまかなえることは、長距離を難なくこなし、ライダーに疲れを感じさせにくいという、アドベンチャー系に要求される大きな武器なのである。
1速が極端なローギアードなのは、ヤマハセロー(225)やホンダのシルクロードにも見られた傾向だけど、トレッキング走行をするならともかく、普通のツーリングでは無用の長物だったと思う。ちなみにカワサキは、この4年後の97年に登場させたKL250スーパーシェルパの1速を、トレッキング走行用にスーパーロー化している。
林道+温泉の「峠越え」がミッションだった!
※いわき勿来ICを出て左に進路をとると、じきに四時川(しときがわ)ダムへの分岐が現われる。ダムと来れば林道、林道と来れば賀曾利(本誌の峠越え企画でおなじみだった賀曾利 隆さん。現役の冒険ライダー)風である。まさにカンペキ。
四時川林道は約10キロの行程で、車体の重いアネーロでもけっこう楽しめた。さすがに林道ともなれば3〜5速ギアがひんぱんに働く。オフ向きとは言えないパターンのタイヤも、泥濘地以外は充分なグリップで快適だ。
軽く汗をかいてフとあたりを見渡せば、チラホラ見えるのは、東京じゃ1カ月前に絶滅してしまったサクラではないか。葉桜はんぶん、とはいえ花見ができるほどの満開ぶりである。…ぷしゃん! …あれ? がほごほげほがほ! こここ、これはあの忌まわしい、東京では峠を越したはずのスギ花粉の症状ではないか⁉ い、いかん。来るところを間違えた。福島の山の中だと、スギ花粉はまだ全盛期だったのだ。ほうほうの体でオレは林道から逃げ出した。宿泊先である湯治場「カンチ山」の婆さんとの対決は、次回に譲ろう。
☆次回などあろうはずもなく、原稿はここで終わっている。このページ上段の企画ページには「カンチ山の温泉の色は小学校の校庭にある池の色に近い」とあるが、薪焚きのありがたい鉱泉。当時は知らなかったがマニアによると秘湯中の秘湯だったようだ。