Photos:Teruyuki Hirano/Shinobu Matsukawa Text:Hirofumi Nakamura/Hidemasa Sakota Powered By Bikers Station
カタナ1135Rを製作するにあたり、ヨシムラはレーシングカンパニーとしての魂を込めた
1980年代にAMAスーパーバイク、1990年代には鈴鹿NK-1にカタナで参戦していたという経歴を持つヨシムラこの刀1135Rもまた、レースでのノウハウが生かされている。
最後のカタナ、と銘打って2000年に1100台限定で発売されたファイナルエディションに、ヨシムラが鋭く反応した。カタナが新車で手に入るのは、これで本当に最後になる。ならば、とカタナとの縁浅からぬヨシムラの手で最高のカタナを残したかった。それがヨシムラカタナ1135R誕生の経緯である。
ヨシムラは、言うまでもなく世界的に有名なレーシングカンパニーであり、同時にパーツメーカー、そしてきわめて少量生産のコンプリートマシンコンストラクターでもある。
コンプリートマシン製作のスタートは、カスタムとチューニング、そして改造車の定義さえあいまいだった1980年代終盤。油冷GSX-R1100をベースとした1200cc「ボンネビル」。しかしこのモデルは、やはりチューニングがほぼ違法改造とみなされていた時代背景もあって、ヨシムラ製コンプリートモデルというより、ヨシムラがきわめて少量だけ製作したカスタムバイク、という位置付けだった。
コンプリートマシンという意味合いでは、2000年に発売したハヤブサX-1(GSX1300R隼がベース)が初号機となるだろう。さらにトルネードS-1(GSX-R1000ベース)、M450R(DR-Z400Sベース)、そしてヨシムラ創立50周年記念モデルとして製作された零フィフティ(GSX-R1000ベース)。
その中でも、カタナ1135Rは異彩を放っている。なぜなら、レーシングカンパニーという側面もあるヨシムラが、ベース車両にスーパースポーツではないカタナを選んだからだ。
もちろん、カタナが発売された当時には、アメリカを舞台とするAMAスーパーバイクにカタナで出場しているし、90年代中盤に日本でビッグネイキッドモデルが人気となった時、一時期だけ開催されたネイキッドモデルによるレースにもカタナで出場した。けれどそれは本気で勝利を目指したものではなく、どちらかといえばファンサービスの一環のようにも見えた。
そしてヨシムラは、カタナをベースに、現在進行形のスポーツバイクとしてのカタナを製作する。ベースモデルが入手できるのが最後となるかもしれないファイナルエディションだったこと、それを運よく5台確保できたことも、製作を後押ししたのだろう。
当初は、ヨシムラの販売促進部門と技術開発部門のスタッフによる思い付きだったものが形となり、どうせやるならば、ヨシムラがレースで勝つために製作するレーシングマシンと同じ方法論でやろう、というところまで話が進んだのだという。
狙う姿は、オートバイとしての基本性能を20年分進化させ、それをヨシムラの手でアレンジ。もちろん、カタナとしての形を崩してはならない。最終的にエンジン、車体、サスペンション、そして外装パーツにまで手が加えられているが、その姿はカタナそのままだ。
パーツを組むだけでは、単なるカスタムバイクだ。車両メーカーでは出来ないことを、パーツひとつずつから徹底することがヨシムラのコンプリートモデルだと考えたため、専用パーツが数多く製作され、その多くは1135R専用として、1135Rを所有するオーナーの補修部品としてでなければ入手することもできないところまで徹底した。これで、生半可な模造もできなくなるものだ。
もうひとつ、この1135Rが特別なモデルであることの証は、限定5台がほぼヨシムラスタッフによるハンドメイドで作られている、ということ。もちろん、歴代のコンプリートモデルはすべて台数限定で製作されているが、コンプリートマシンの第1号と言っていいハヤブサX-1は限定100台、トルネードS-1は限定50台、この台数ならば、パーツを外注メーカーに発注して、ヨシムラが組みつけるという、少量限定の量産車と言えなくもない。
零フィフティは5台限定だけれど、これは車両価格840万円の、いわばホンダNRのようなプレミアモデル。1135Rは、スタッフが1台ずつハンドメイドで作り上げた「ワンオフモデルが5台存在する」というニュアンスの方が正しいのかもしれない。
→後編へ続く
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この続きは「ヨシムラ」と「モリワキ」の歴代のレーシングマシンやヒストリーを一冊に集結した、日本のバイク遺産シリーズMOOK「ヨシムラとモリワキ」に掲載されています。