「市販車改」から「勝つための専用マシン」へ
一方、アフリカツインのベースとなったNXR750はというと、これはBMWがパリダカ で圧倒的な強さを見せる中、フランスから「今までの単気筒エンジンのオフロードバイクでは勝てないから、2気筒のハイパワーバイクを作ってくれ!」という要望で産まれたバイク。つまり、パリダカで勝つために生まれた、史上初の専用バイクと言い換えることができる。
NXRというと、どうしてもVツインエンジンに目がいってしまうが、そこは対BMWとしてフラットイツインに対抗するために選ばれたエンジンであって、これが絶対的有利に働いたということではない。というのも、NXRはBMWを完膚なきまでに打ち負かしたが、その後ライバルとなるのはカジバ・エレファントのL型2気筒だし、ヤマハが出してきたマシンは単気筒エンジンのまま。つまりエンジンでライバルを圧倒したわけではない、と言えなくもない。
実際、1987年のパリダカは最後までカジバに先行を許していたところを、カジバのライダー、ユベール・オリオールが両足を骨折して戦線離脱。これがなければ、間違いなくカジバが勝利していたのだ。
88年も実はフランスに与えられた新型車両が軒並みトラブルで撃沈。優勝したのは2軍というべきイタリアチームのエディ・オリオリだったし、89年はヤマハのフランコ・ピコがミスコースによって2位となるが、それはゴールの4日前のこと。20日間のラリーのほとんどを、実はヤマハの単気筒マシンがリードしていたのだ。
つまり、1986年にNXRがBMWを打ち負かしたのは確かだが、その後の3勝は実は薄氷の勝利でもあったということだ。ということはNXRはライバルに対して圧倒的性能を持っていたわけで
はない。ということになる。
ただし、ここでハッキリ言っておきたいのは、だからNXRが強くない、ということではないし、ラッキーが重なったから勝てたということでもない。それだけ強いライバルたちと戦った結果、いろんな要素も絡んでNXRは4連勝したということだ。だからこそ、この勝利には価値がある。
というのも、ライバルたちはエンジン形式こそホンダの真似はしなかったのだが、ひとつだけ真似したことがある。それが燃料タンクとフェアリングのデザインだ。
80年代以降、パリダカマシンのデザイントレンドを作ったのはNXR
先にも話をした通り、NXRが登場する前はビッグタンクに大型ライトをつけただけの改造だったのだが、NXR以降、各社はタンクをより下方向に伸ばし、カウルをつけたバイクを登場させてきた。これこそがアフリカツインのルーツたるNXRがラリーバイクに与えた「先駆者としての存在意義」といってもいい。カジバも、ヤマハも、スズキのDRーZもみんなラジエターより前に出さず、下に伸ばしたタンクとカウルをつけたバイクで登場したのは、NXRの影響といって間違いない。
87年のカジバ・エレファント。L型2気筒エンジンを採用するが、前年のビッグタンクスタイルがら一転、そのシルエットはNXRに似たものとなった。
1986年のヤマハXT600テネレがこれ。フェアリングこそ一体型だが、大型タンクが前方に大きく張り出し、あまりタンクが下に伸びていないのがわかる。
これが1989年のYZE750テネレ。1987、1988年型もスタイルは同じで中身を熟成させたモデル。単気筒だけれども水冷エンジン、ツインプラグでヤマハが本格ワークス活動を開始したモデルだ。88、89年とフランコピコがあともう少しのところで優勝を逃している。
マシン的にはかなりレベルが高かったようで、89年などは残り4日目までトップだったのにミスコース。その後もトップのジル・ラレイが1時間ものミスコースをしたにも関わらず、同じところで同じようにミスコースしてしまい、逆転のチャンスを逃していて、運がなかった、と言いたくなるシーンがいくつもあった。
ちなみにヤマハは、1986年にとんでもないバイクをダカールラリーに送り込んでいる。それがこれ、FZ750テネレだ。なんとFZ750のDOHC5バルブ4気筒エンジンを積んだバイクを登場させたのだ。
ライバルの2気筒エンジンに対抗するために、当時のフランスディーラーであったソノートヤマハの社長でるジャン・クロード・オリビエ自らが考案したもので、94馬力とライバルを圧倒したが、重たい上にトラクションが稼げず、さすがに上位には食い込めなかった。
アフリカツインが受け継ぐべきシルエットは「ダルマ型」
これらのデザインは、レギュレーションが変わり、450cc以下しか出場できなくなった現代のパリダカマシンにも受け継がれている。つまり「ダルマ型」シルエットこそ、アフリカツインが本来受け継がなければならないデザインなのだ。
ただ、実は初代アフリカツイン はダルマ型ではなく、真正面から見るとちょうど中心が一番膨らんでいて、その下をアンダーガードがカバーするというデザインになっている。だから初代アフリカツインもNXRも、転倒するとタンク底部、つまりアンダーガードの上あたりが傷つく様になっている。
それが年々アップデートされてヤマハのワークスマシン・XTZ850Rではさらに下にタンクが伸び、KTMがそれをさらに進化させて現代のラリーマシンの形となったわけだ。
ヤマハの2気筒モデルの最後・XTZ850R。どんどんブラッシュアップされて、タンクがより底部まで伸びているのがわかる。ちなみにステファン・ペテランセルがこのマシンで4勝し、トータル6勝を果たした。ペテランセルは当時なぜか「ピーターハンセル」と呼ばれていたが、英語読みだとそうなるからだろう。
ダカールラリー最後に登場した2気筒モデルがKTM。ファブリッツォ・メオーニが2002年に優勝したモデルだ。タンクのボリュームをより低いところに持たせているのがわかる。タンクはアルミではなくプラスチック製となり、アンダーガードもプラスチック製。その後メオーニ、リシャール・サンクなどのトップライダーがラリー中の事故で死去したことと、世の中で450ccのオフロードバイクが主流になりつつあったことで、450cc以下というマシンレギュレーションが生まれることになる。
目指すは「ダルマ型」のアンダーガード!
ちなみに現在のラリーバイク、CRF450RALLYをもう一度見てみると…
低重心化、プラスチックタンクはもちろんのこと、アンダーガードはカーボン製!実はライト周りにある、大きくそびえるナビゲーションタワーも前転したくらいじゃ壊れない設計になっている。すごいでしょ!
で、現代のアフリカツインを、NXRの流れを汲みつつ「真のオフロードバイク」として完成させるには、このダルマ型にしなければならない。とはいえ、タンクを一から作るのは大変だ。そこで、
アンダーガードを膨らませてダルマ型にしよう!
というのが今回の作戦なのだ。タンクが作れないため、代案ではあるけれど、初代アフリカツインが大型アンダーガードをつけていることを考えると、オマージュとしても悪くない。
というわけで、私は再び46ワークスの門を叩いたのである。
協力:ホンダモーターサイクルジャパン、野口装美、ダートフリーク、サイン・ハウス
写真:三橋 淳
【次回予告】今回は三橋淳が解説するパリダカマシンのデザインの変遷もついたゴージャスな内容となりましたが、いかがでしたでしょうか?さて、目指す仕様も固まったところで、次回、夢のアンダーガードをいよいよ製作します。次回「ダルマ大作戦」をお楽しみに!