古里太陽15歳 鮮烈世界デビュー!
「初めてのコース、初めてのマシン、初めてのチームだったから」とかなんとか、注目のライダーが実力を発揮できなかった時、本人もそう言うし、僕らもそう書くことがあります。
もちろん、嘘ではないし、現代のように使う道具が高度に進化すると、人間の好不調や慣れ不慣れ、そういう「ほんのちょっとした違い」が結果を分けることがありますから。
かの歴史に残る大打者、イチローだって、メジャーリーグでのデビュー戦では最初の3打席、凡退してしまいました。日本で7年連続首位打者となり、日本一も経験した大打者が、です。これもきっと、初めての球場、初めてのメジャーリーグ、初めてのチームだったから、って理由も少しあるんだろうと思うんです。
古里太陽――。初めてこの名前を聞いたのは2019年でした。岡田忠之さんが講師長を務める「SRS-Moto」(=スズカ・レーシング・スクール モト)を卒業し、成績優秀者としてスカラシップを獲得したライダーとして、でした。
そして古里は2000年、IDEMITSUアジアタレントカップ(IATC)に参戦しますが、開幕戦・カタール大会の2レースを2位/4位で終えると、コロナ禍の影響により、IATCは開幕戦を行なっただけで5戦を未開催のまま終了してしまいました。
並行して参加した全日本ロードレースJ-GP3クラスでは、開幕戦・菅生大会でデビュー即3位表彰台を獲得。続いて参戦した第4戦・もてぎ大会では優勝し、最終戦・鈴鹿大会で5位と、3戦して優勝1回、3位1回という、上々の成績を残したのです。
そして2021年、古里はあらためてIATCに参戦すると、開幕戦・カタール大会でダブルウィンを飾ると、続く第2戦もダブルウィンを決め、4戦全勝。ここで結果を出したことで、古里の運命が変わり始めます。
実はIATCは、開幕4戦を終えて、次の第5戦は10月のもてぎ大会と半年も先! これもコロナ禍の影響だったんですが、それを聞きつけたアルベルト・プーチが古里に声をかけました。プーチはレプソルホンダMotoGPチームの監督であり、数年前にはIATCのスーパーバイザーも務めていたことで、今でもジュニアカップやタレントカップに目を光らせているのは有名な話です。
「IATCで4戦全勝のフルサト、次のレースは半年後だって? だったらルーキーズカップに来なさい」と、ディテールは不明ですが、プーチからお呼びがかかったようです。
私がこの話を関係者から耳にしたのは5月の終わり。
「全日本をバトルファクトリーから走っていた古里君がレッドブル・ルーキーズカップに呼ばれますよ。呼んでくれたのはアルベルトです。もうすぐ正式発表されますから、Webオートバイとかで紹介してあげてください」と。
おぉ世界への階段駆け上がったかぁ、と発表を待っていたら、その一週間後のMotoGP第6戦・イタリアGPに併催の大会のエントリーリストに名前が載っていたというわけです。
世界グランプリへの登竜門 「レッドブル・ルーキーズカップ」
その古里が呼ばれたレッドブル・ルーキーズカップとは、2007年にスタートした世界グランプリへの登竜門。今やスペイン選手権Moto3クラス(今ではCEVレプソル=ジュニアワールドチャンピオンシップと呼ばれています)と並んで、世界選手権Moto3、ひいてはつまりMotoGPへの最短距離として知られています。
これは、なんだろ、高校野球で目立った成績を残していたら、急にニューヨークヤンキースの3Aにスカウトされたような感じかしら。大抜擢、飛び級、一本釣り――古里は、そういう厚遇を受けたというわけです。
しかし、IATCはホンダNSF250Rのワンメイク、レッドブル・ルーキーズカップはKTMのRC250Rを使ってのワンメイクレースです。使用タイヤはどちらもダンロップですが、まったく違うバイクを使ってのワンメイクレースです。
加えて言えば、写真を見てもらえばわかっていただけるように、レザースーツはどちらの選手権もアルパインスターズですが、ヘルメットはアライヘルメットからHJCへ。バイクどころかヘルメットまで違うワンメイクなんですね。
古里太陽15歳、可愛い顔した高校1年生です。海外でのレースは、SRS-Motoの遠征で経験したことがありましたが、ヨーロッパでのレースは初めて。まったく違う世界に飛び込むような感覚だったんじゃないでしょうか。
もちろん、レースが開催されるムジェロサーキットも初めて。初めての国、初めてのKTM、初めての選手権、それが自分の将来を決定づけてしまうかもしれないジュニアワールドチャンピオンシップ。公式予選は25台中19番手でした。
決勝は7列目19番グリッドからのスタート
そして迎えたレース1。ルーキーズカップは土曜に1レース/日曜に1レースの2レース制。この土曜のレース1が、古里のレッドブルルーキーズカップのデビュー戦です。
決勝レーススタート! 古里のスタート位置は7列目19番グリッド……って、みんな同じマシン、みんな同じツナギで、誰が誰だかまったくわかりません(笑)。ゼッケンは72、古里のHJCヘルメットは、白地に赤丸! これは日の丸をあしらったデザインなんだろうなぁ。でも、集団に埋もれちゃって、見えませんね。よーく見ると、ツナギの腕部分には各ライダーの国の国旗がデザインされています。
……と思っていたら、画面隅に表示されるポジションタワーに、ゼッケン72の位置が少しずつ上がってくる。19番グリッドスタートから、スタートで5~6台をパスして14番手あたりから周回をスタート。コーナーをクリアするごとに13番手、12番手、11番手と順位を上げてきます。
やっぱり古里、こんなグリッドからスタートするようなライダーじゃないんだな、どこまで上がってくるかな……なんて思っていたら、10番手、9番手、8番手と、ポジションアップが止まりません。
と思っていたら、ムジェロサーキットの名物である、アップダウンを含んだロングストレートからの1コーナーへのブレーキング合戦で、ゼッケン72がいきなり2番手に浮上! うえぇ!大集団のスリップに引っ張られすぎてブレーキング遅れちゃった??と思ったら、1コーナーのインをズバッとついて2番手で4周目に突入!
えええええ! と思っていたのは日本のファンだけだったわけじゃないみたいで、実況と解説をしているコメンテーターも大騒ぎ!
「ちょッと待って! 上位に上がって来た#72はアジアタレントカップを連勝中のタイヨー・フルサートゥだ! 彼はここムジェロも、乗ってるKTMのMoto3マシンも金曜日が初めてのはずだよ! なんてこった!」みたいにノリノリ! この絶叫は、この後も続くことになるんです。
2番手に浮上した古里は、5周目にはなんとなんとトップに浮上! また絶叫するコメンテーター(笑)。15台くらいのトップグループ集団を引っ張る位置に古里がいて、なんと2番手以降を引き離しにかかってる?? このポジションが2~3周続いて、少し後方から別ライダーにパッシングされる古里。古里から少し距離をおいた後方に7~8台の大集団があって、その集団に次々と抜かれていきます。
実はこの頃、サーキットのカメラには水滴がつき始めていて、コースにウェットパッチが残るほどではないにせよ、マシンのスクリーンやヘルメットのシールドに雨粒を感じているはずのライダー心理としては『えええええ、どうしよう、降ってきちゃうの??』ってタイミングだったはず。
それでもかまわずペースを上げまくるトップ集団。古里は、ついさっきまでトップを走っていたというのに、もう5番手、7番手、10番手へ、とポジションダウン。Moto3で勝ち慣れているライダーならば、ここはいったん下がってまわりを先に行かせて、という展開のはずですが、初ムジェロ、初KTMの古里がそんなことを考えているはずもなく――と、この時点では思っていたんですけどね。
レース中盤、10番手あたりに下がった古里は、ラスト5周あたりからまたジリジリとポジションアップ。7番手、8番手、6番手、5番手とポジションが目まぐるしく変わりながら、またイッキにドン!と3番手まで上がってきます。
古里の走り方は、単独でポジションを上げるんですね。大集団のドラフトに入るのがMoto3レースのセオリーですが、直線からコーナーまでずっと集団のドラフトにいるんじゃなく、勝負所では集団からスパッと離れてまわりと違うラインで突っ込んでいく。路面がぬれ始めるかもしれない初めてのコースでブレーキング勝負ですからね。やっぱり古里、ただもんじゃない!
レースはいよいよ終盤。ラスト3周くらいでまたも1コーナーのブレーキング勝負で2番手に浮上すると、その周のうちにトップに浮上。そのまま逃げ切りを図るんですが、ライバルは執拗に食らいついてくる。それを振り切って、しかもスリップに入れないくらいのマージンを確保して、なんとなんとのトップフィニッシュ!
件のコメンテーターは「なんてこった! フルサトゥが勝っちゃったぜ、ひゃーーっほう!」みたいな大絶叫。ちなみにライブで見てた私、それに日本のファンはポカーン、の方が大きかったでしょう。
初めてのイタリアでのレース、初めてのマシン、初めて一緒に走るライバルたち。そんな中で勝っちゃうんだもん、ものすごい快挙!
ちなみに古い話を持ち出すと、1974年に世界グランプリ参戦をスタートした片山敬済さんは、デビューレースはマシントラブルでリタイヤ、参戦3レース目で優勝。ケニー・ロバーツは1978年にフル参戦を開始し、デビューレース(ただしGP250クラス)で優勝。91年にGP125クラスでデビューウィンを飾った上田昇さんは、地元・鈴鹿サーキットでの優勝だったし、その後にヨーロッパに上陸しての初戦は3位。99年デビューの中野真矢の初海外GPは3位、2000年デビューの大ちゃんこと加藤大治郎は、初海外GPが2位でした。
唯一の例外があるとすれば、クールデビル・原田哲也で、原田は初海外GPで優勝! その年のワールドタイトルを獲得、つまりデビューイヤーでチャンピオンとなっています。
「初めてのレッドブル・ルーキーズカップで、少し怖かった。なんて言っていいかわからない、協力してくれたみんなに、ありがとう!」とレース後のパルクフェルメインタビューで語った古里。短い、たどたどしい英語ではありましたが、初優勝の初々しさがモロに出ていて、ものすごくいい表情でした。
古里は、レース2こそ14位に沈んでしまいましたが、初出場の初海外レース、しかも初のマシンでの初優勝で、ハッキリと歴史に名前を刻みました。ちなみにレッドブル・ルーキーズカップは、2016年に佐々木歩夢が日本人として初チャンピオンに、2017年には真崎一樹が続いています。古里も、このままレッドブル・ルーキーズカップのレギュラーになって、そのままチャンピオンへ、って夢も広がります。
すでに、次戦ドイツGP併催のルーキーズカップへの参加も決まった古里。1戦だけじゃなくて、コンスタントに成績を残していけば、ホンダもKTMも黙ってないかもしれません。プーチがHRCに「早く古里を囲い込め!」なんて、もう言ってるかもしれないし。
古里太陽 レース後のコメント
「すごくうれしいです。初レース初優勝を初めてのムジェロで、はじめてのKTMで。全部初めてだったけど、レースでは優勝出来たんです。レースでは、どんどん走りがよくなって、完璧なフィーリングで走れました。KTMは、きのう初めて乗って、いいところも悪いところも感じ取って、今日のレースでは、そのいいところを発揮させることができました」
古里太陽 Instagram<Taiyo Furusato72>でのコメント
「Red Bull MotoGP Rookies Cupにムジェロサーキットのウィークから参戦してきました。初めてのヨーロッパ、初めてのサーキット、初めてのKTMですごく不安でしたがレース1では優勝することができました。レース2は自分のミスが多く結果を残せませんでした。
ウィークを通して自分の実力が足りないことをまた実感することがでました今回の反省を次のザクセンリンクに活かしたいと思います」
もしかしたら、またひとり、日本からとんでもないモンスターが世界に旅立ったのかもしれません!
写真/IATC motogp.com動画より 文責/中村浩史