文:太田安治、/写真:松川 忍/車両協力:アルテミスモーターサイクル
※この記事は2015年3月14日発行の『東本昌平RIDE94』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。

2台に続いて大観山のレストハウスに入る。ヘルメットを脱いだふたりは見たところ20代前半か。2台の横にCBRを停めてエンジンを止めると、会釈しながら近付いてきた。

「ここはよく走ってるんですか?」
「いや、10年ぶりくらいかな。今日は富士山を見に来たんだ」
「俺たち、ここじゃけっこう速いほうなんですけど、余裕で付いて来てましたね。バックミラー見てビビリましたよ。ペース上げてもぴったり後ろにいるから」
「バイクのおかげだよ」
「900ダブルアール、やっぱ凄いですか。今までヘナチョコだった仲間が96年型を買ったらいきなり速くなって。もうコーナーが楽しくてしょうがないみたいですよ」
「いいバイクはライダーを育てるってことかもね」
「俺たち、芦スカから長尾を抜けて帰るんですけど、一緒にどうですか」

もっと富士山に近付きたいと思っていたし、この2台のペースもちょうどいい。

中速コーナーが多い芦ノ湖スカイラインは、パワーよりもハンドリングが重要だ。OWに付いて走ると、ハードブレーキから一気にバンクさせるコーナーではOWのほうが速く向きが変わるが、アクセルオフでふわっとバンクさせるコーナーではCBRのほうがタイミングを取りやすく、ラインの自由度も高い。タイトターンの立ち上がりや上り勾配での加速力もCBRが勝る。

前の2台は相当なペースで走っているはずだが、こちらは2台の姿勢変化や、フルバンク中のサスの動きまで観察する余裕がある。アクセルワークの荷重コントロールだけで苦もなくコーナーをクリアできるからだろう。

長尾峠の回り込んだコーナーで失速した2台の前に出て、自分のペースで走る。剛性の高い車体にスリックタイヤのレーサーとは違った優しい反応。バイクのご機嫌をうかがう必要などない。自分が操っている、自分が走っているという実感がある。次のコーナーが待ち遠しい。バックミラーに映る2台の姿はたちまち小さくなり、やがて見えなくなった。

画像2: 【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)

御殿場の市街地を抜け、富士スピードウェイの前を通過して明神峠へ。一気に駆け上って山梨県側に入り、山中湖を見下ろすパノラマ台駐車場でCBRを停めた。

目の前の富士は山裾を大きく広げ、どっしりと構えている。

冷たく澄んだ空気を吸い込むたびに頭の中の淀みが薄れ、深く隠れていた気持ちが、くっきり見えてきた。

走り続けるのか、降りるのか。

* * *

選択肢をふたつに決めつけていたことが不思議だった。自分が求めていたのは刹那的な速さでも、舞台の上の緊張感でもなかったのだ。もう一度ゆっくり深呼吸して、決めた。

「お前に教えられたな」

CBRのハンドルに手を掛ける。スクリーンに映り込んだ富士は、茜色に染まり始めている。今日は特別な日になったようだ。ポケットから小さなカメラを出して、富士をバックにしたCBRを撮った。

* * *
画像3: 【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)

店に戻ると、外装を外したCB72がリフトに乗っていた。パーツ洗浄台の横でキャブレターを分解していた社長が腰を叩きながら立ち上がる。

「どうだ、悩みは解決したか?」

見透かされていた。

「諸行無常だ。どんなことだって、ずっと続けることは難しい。誰もが歳を取るし、時代の流れは誰にも止められない。だからおもしろいんだよ。生きるってな。ライク・ア・ローリングストーン。いや、ひばりちゃんの川の流れのように、かな」

パーツ倉庫のドアに無造作に貼られた写真を横目で見て社長が笑う。若い頃の社長がレーシングマシンに跨っている写真。体を真っ直ぐに伸ばしたフライング姿勢で街の中を走っている写真。泥だらけのモトクロスウエアでトロフィーを掲げている写真。どの社長も笑顔だ。

「それよりCBR、どうだった。そこそこ攻めてきたんだろ?」

荒れたタイヤの端を撫でる社長は満足気だ。

「驚きましたよ。どんなコーナーも自由自在だし、ストレートも速いし。それで、大事なことを教わりました」

社長がタバコに火を点け終わるのを待ってから言った。

「ずっとバイクに乗っていたいんです。速く、じゃなくて楽しく。あの写真の社長のように笑顔で。だから……」

* * *

ドアに貼られている十数枚の写真の中に、夕陽で少し赤みを帯びた99年型CBR900RRの写真が混じっている。あの日から16年も経ったのか……。

あれからすぐに店長を任され、結婚して家族も持った。景気はずっと低迷しているというが、いつ崩れ落ちるか判らない舞台の上で浮かれているよりはマシだ。

レースを止めたことに後悔はなく、その分の時間が増えて楽しみの幅も広がった。温泉ツーリング、林道走り、最近盛んなライダーイベント。記念写真に写っている自分も仲間も、みんな笑顔だ。

ときどきレースのピリピリとした緊張感が懐かしくなる。かってRC45レーサーの定位置だった店の一番奥。今、レーシングスタンドに支えられているのは、真新しいCBR1000RRだ。先週、慣らしがてらに峠を走ったから、ピレリのハイグリップタイヤの端は少し荒れている。

画像4: 【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)
* * *

すっかり好々爺になった社長はソファーに座って孫を抱きながらCBRを眺めていたが、急に右手を差し出してニヤリと笑った。

「店長のバイク、借りていいか? 富士山あたりまでひとっ走り……」
「新しい大事なこと、教わってきてくださいね」
「おう。諸行無常だ。俺だって、バイクだってな」

笑いながらCBRのキーを投げ渡し、整備場の窓を開けた。あの日と変わらない姿の富士山が、どすんと陣取っていた。

画像5: 【ショートストーリー】答えはひとつじゃない。変わることができるから、おもしろい。(太田安治)

文:太田安治、/写真:松川 忍/車両協力:アルテミスモーターサイクル
※この記事は2015年3月14日発行の『東本昌平RIDE94』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。

著者プロフィール
太田安治(おおた やすはる)

1957年生まれ。初めての愛車であるモンキーZ50Mから愛車として30〜40台のバイクを乗り継ぎ、Z2やCB750FOURもかつての愛車のひとつ。86年に国際A級ライセンスを取得。91年〜94年まで全日本ロードレース選手権に監督として参加。GP250クラスではプライベート最上位を獲得し、所属ライダーを世界GPへと送り出した。現在は月刊『オートバイ』で試乗インプレから用品テストをはじめ、さまざまな企画を手がけている。これまでに試乗したモデルは5000車種以上、その数は今も更新中。

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