文:太田安治/写真:松川 忍/車両協力:モーターサイクルドクターSUDA
※この記事は2015年6月15日発行の『東本昌平RIDE97』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。

ジャージ姿でやってきたカオルちゃんは、セーラー服の彼女とは別人のように可愛くて元気そうだ。原付だからヘルメットは必要ないけど、念のためジェットへルを被せる。

「ギアは3速あるけど、急な上り坂じゃなければ2速と3速だけでいい。何回かシフトペダルの前側を踏み込めば1速になって、そこから後ろ側を1回踏むとニュートラル。メインキーを回してキックすればエンジンが掛かるから、2速に入れてゆっくりアクセルを回せば走り出す。前ブレーキは自転車と同じで、後ろブレーキは右足のペダルを踏むんだ」

カオルちゃんはモンキーに跨ったまま僕が言ったことをモゴモゴと反芻している。緊張した表情がまた美しい。

「そんなに難しくないって。慌てないでやってごらん」

3回目のキックでエンジンが掛かり、ガチャンと2速に入れる。少しエンジンの音が大きくなり、トルルルッと動き出す。

「わ、動いた。すご~い!」

ほら、簡単じゃん。何たってスーパーカブと同じエンジンでクラッチないからね。

並んで走りながら、20メートルほど進んだところで「はい、アクセル戻して、ブレーキ!」と指示する。と、キュゥ! と音がして、コテンと転んだ。フロントブレーキの掛け過ぎだ。

「ごめんなさい。バイク壊れちゃったらどうしよう。ごめんなさい、弁償します」

歩くようなスピードだったから、モンキーはハンドルグリップの端が僅かに削れただけ。カオルちゃんにも怪我もないようだ。

「大丈夫。コイツ、チビだけど頑丈だから。それよりブレーキの加減を覚えないと」

校舎の塀沿いを何度も往復しているうちに、ふら付かずに走ってスムーズに止まれるようになった。次のステップはシフトチェンジだが、もう陽が傾いてきた。

「すっごく楽しかった。でも、もっと上手に乗りたいなあ。また教えてくれますか?」

ヘルメットを脱いだ顔が夕陽を受けて赤く染まっている。う~ん、美人だ。

翌日の昼休み、いつものセーラー服ではなく、スリムジーンズにスタジアムジャンパーのカオルちゃんが僕の席に駆け寄ってきた。ポニーテールの髪が揺れ、男子の視線が一斉に集まる。

「これ、モンキーくんにプレゼント」

チンパンジーが踊っているイラスト入りのキーホルダーを差し出しながらほほ笑む。

「昨日のお礼とお詫び。それと、もっとバイクのこと教えてもらう授業料」
「俺、教えるほど詳しくないぜ」
「じゃあ、一緒に覚えようよ、ね」

チャンスだ。きっと猿の恩返しだ。鯛焼き3個がモンキーに替わって、彼女までできたら、わらしべ長者かも。でも、かぐや姫みたいに帰っちゃわないだろうな……。

彼女が教室を出て行った後、クラスの男子が「あの子、誰だ?」「どこまでやったんだ?」と、しつこいったらない。「バイク仲間の新入りだよ」と答えると、何人かが「俺もバイク乗るぞ!」と盛り上がり、さっそくバイク雑誌の回し読みを始めた。

放課後はシフトチェンジの練習をするはずだったが、午後から小雨が降り出した。6時限目が終わると、またもモンキーでマラソンの先導に出ていた体育教師がずぶ濡れのままキーを返しに来た。

「昨日、A組の藤本にバイクの乗り方を教えてただろ。職員室から見えたぞ。旧校舎のほうとか、もっと目立たないところでやれ。それから、女子には絶対にケガをさせないこと」

* * *

そうか、旧校舎か。この高校は新校舎を建てたばかりで、都内にしては大きな校庭の反対側に、戦後すぐに建てられた木造校舎が取り壊し待ちで残っている。あそこなら……。

「アクセル戻す! 左足でペダルを上に! はい、またアクセル開ける!」

旧校舎の廊下は練習にピッタリだ。雨にも濡れないし、誰からも見えない。練習しているのはカオルちゃんと、彼女の友達ふたり。暗くなるまで交代で乗り続け、三人ともみるみる上達した。

「カオルが夢中になるのもわかる~。世界が広がる感じだもん」
「アタシも免許取ってモンキー君を買う!」

排気ガス臭くなった廊下で、すっかり盛り上がっている女子三人に取り囲まれたモンキー。なんだかデレッとしているようだ。

「そうだ。みんなでツーリング行こうよ!」

女子三人がうなずきながら俺を見る。さすがに照れくさいけど、カオルちゃんに言われると素直に嬉しい。

画像3: 【ショートストーリー】初めての、小さい相棒。冒険の、はじまり(太田安治)

昨日と今日の練習でずいぶん走ったようだ。モンキーを左右に揺するとガソリンタンクの中でチャピチャピと頼りない音がする。

「満タン!」

学校近くのガソリンスタンドで、アルバイトらしい兄ちゃんが笑いながら給油ノズルをタンクに差し込んだ。

「モンキーはタンク小さいんだよね。ほら、もう満タン。ぴったし2リットルだ」

レギュラーガソリンはリッター50円だから、100円玉をつまみ出そうとポケットを探っていると、背後でヴォン! と空吹かしの音がして「ハイオク満タン!」の声。Z2野郎だ。いいから、クシ、やめろ。

「よお。今日もモンキーか。そのちっちゃいので何キロ走ったんだ」

部屋でモンキーのエンジンが掛かったとき、距離計は1970km。大阪万博の年と同じだと思ったことを覚えている。とすれば今日までの一週間でほぼ100kmか。

「一週間でやっと100kmかよ。俺のZ2なら1時間だぜ。湘南までビュンと往復すりゃ100kmだ」

1時間は大げさだけど、高速を使って湘南まで往復するだけなら2時間程度だろう。

「お前の100kmと俺の100kmは違うよ」
「何言ってんだよ。同じじゃん」
「お前は100km走る間に何があった? 俺とモンキーの100kmはな、いろんなことが起きて……たくさん動いたんだ」
「だから100km動いたんだろ」
「距離とかスピードじゃないんだって。動いたのは……もういい、お前にはわからないよ」

* * *

駅に向かう大通りをトコトコと走っていると、バスの窓から例の女子三人が手を振っている。笑いながらバスの排気音に負けないように大きな声を出しているのはカオルちゃんだ。

「ねえ、約束だよ! 一緒にツーリングに行くんだからね!」

手を振り返していたら、路面のギャップでモンキーがピョコッと跳ねて転びそうになった。

このチビ猿とツーリングか。今度の100kmで何が起きるだろ。ん~、大冒険になりそうだ!

文:太田安治/写真:松川 忍/車両協力:モーターサイクルドクターSUDA
※この記事は2015年6月15日発行の『東本昌平RIDE97』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。 この物語はフィクションです。

著者プロフィール
太田安治(おおた やすはる)

1957年生まれ。初めての愛車であるモンキーZ50Mから愛車として30〜40台のバイクを乗り継ぎ、Z2やCB750FOURもかつての愛車のひとつ。86年に国際A級ライセンスを取得。91年〜94年まで全日本ロードレース選手権に監督として参加。GP250クラスではプライベート最上位を獲得し、所属ライダーを世界GPへと送り出した。現在は月刊『オートバイ』で試乗インプレから用品テストをはじめ、さまざまな企画を手がけている。これまでに試乗したモデルは5000車種以上、その数は今も更新中。

This article is a sponsored article by
''.