ついに、ついに、ロッシの口から「引退」が
きっと、世界中の誰もがこの日が来るのをわかっていた。でも来てほしくない、でも来ないわけがない――。
2021年8月5日、ついにバレンティーノ・ロッシ、現役引退が正式に発表されました。
「今シーズンいっぱいでやめることにしたよ。この先半年が、僕の最後のシーズンになる。悲しいよ、なかなか言い出すのが難しかったけど、もう30年もこのスポーツをやってきて、来年はもう走らないんだ。来年、僕の生活はガラッとかわるだろう。でも素晴らしい、本当に楽しい長旅だった。
世界選手権で25~26年? スゴいよね。一緒にレースをしてきてくれたスタッフたちと、たくさん忘れられない思い出を作ってきた。これ以上に言葉はないよ。
長いキャリアの間で、幸運にもたくさんレースにも勝ってきた。忘れられない瞬間、忘れられない優勝、たくさんあるよ。本当に楽しかった。レースウィークも、終わってから10日もずっとニコニコしていたレースもあったね。
レースをやめるってことは、本当に難しい決断だったけれど、スポーツは結果が大事なんだから、やめるという決断は間違っていないと思う。弟(注:ルカ・マリーニ)と一緒に、自分のチームでまだMotoGPを走る、っていう可能性もあったんだけれど、もういいんだ。
あと半年(コロナ禍の影響で)あと何レースあるかはわからないけど、最終戦になったらもっと悲しいだろうね。でも、今は自分の決定をみんなに伝えたい。
僕のレース人生に悔いはないよ」
引退か継続かで揺れたサマーブレイク
3週間のサマーブレイク明けのオーストリア・レッドブルリンク。木曜の定例会見を前に、「バレンティーノ・ロッシが今後の去就を発表する」との知らせがあった時、僕はてっきり来シーズン、新チームを結成して新しい環境でMotoGP参戦を継続します、という発表だと思っていたのです。
というのも、今シーズンのロッシの成績不振からスタートして、現在Moto2に参戦している、ロッシが実質のオーナーを務める「VR46」がいよいよMotoGPにステップアップする、そのマシンはドゥカティが用意する、ライダー候補はルカ・マリーニ、そしてアラブ石油王がビッグスポンサーに就いた――なんて噂が次々と巻き起こっていて、最後にはそのスポンサーのサポート条件がロッシの現役続行、というものだったから。
この騒動の発端となったロッシの成績不振にしても、ひとつきっかけがあれば、このサマーブレイクにマシンのセットアップが整えば、またいつもの「ミラクルロッシ」が見られるという淡い期待もありました。というのも、現在のMotoGPマシンっていうのは、ほんの少しのきっかけ、たとえば電子制御の詰めが進むだけで、見違えるように走りが変わる、なんてことは珍しくないからです。
けれど、予想は外れてしまって、レッドブルリンクで行なわれた会見は、引退発表となってしまったのです。MotoGPが世界的メジャースポーツになった立役者である「スーパースター」ロッシの引退はもちろん寂しい、けれどシーズン前半を終わってランキング19位、レース順位も10位とか11位を走るロッシを見たくはない――こんな気持ちも、世界中のファンが持っている、同じような感情だったと思います。
ロッシは1979年(昭和54年)2月16日生まれですから、今年42歳! 42歳ですよ? スポーツ選手ならば、とっくにベテランの域、オートバイレースほどフィジカルに厳しい競技、しかも世界最高峰のクラスなんですから、とっくに現役を退いていい年齢です。
ちなみにジェレミー・マクウィリアムスが2007年、42歳でMotoGPを引退していますが、ウィリアムスはたしかラスト3年くらい、実戦にはほとんど参加していませんでしたから、現役で活躍していた時代というと40歳になる前、最後に輝いたのは02年にプロトンKR3でポールを獲ったことがありましたね。これが37歳でした。
ロッシももう限界だろう、の声を跳ね返し続けたこの10年
ロッシもそろそろ限界じゃないか?なんて、この10年ずっと言われてきました。初めてそんなことが言われ始めたのは2010年頃だったと思っています。
この年、ロッシはムジェロで転倒を喫し、右肩を負傷して4レースを欠場。そこから歯車が狂ったのか、復帰してからのシーズン残り11レースで1レースしか勝てずに、翌2011年にはドゥカティへ移籍します。
その2010年のチャンピオンはホルヘ・ロレンソ。チーム内のエース争いに敗れて新天地を求めた、とも言われましたが、ヤマハのモトGPの現場を預かる、あるエンジニアの方にお話を伺ったときに、少しロッシの衰えを感じたのでした。
「ロッシは右肩をけがしてしまって、満足にトレーニングができなくなってしまった。フィジカルが衰えて、以前のようなハードブレーキングができなくなってしまったんだ。今までのように正確無比なブレーキングポイントが手前にずれると、コーナーできちんと旋回しなくなるし、脱出でも遅れてしまう。それがロッシ不調の原因なんだよ」と。
その2010年でも、1996年に世界グランプリGP125クラスにデビューしたロッシにとっては、現役14年目の31歳。そろそろライダーとしてのピークを迎えて下降線を書き始めてもよさそうなものでしたが、ドゥカティで未勝利の2シーズンを過ごすとヤマハに2013年にカムバック。
ワールドチャンピオンにこそ返り咲くことはできませんでしたが、2014年から3年連続でランキング2位と、依然としてトップレベルのライダーであり続けました。
2015年には、マルク・マルケスとの「マレーシア事変」(“2015年 マレーシアGP”と検索ください)がありながら、チャンピオンとなったロレンソに、あと5ポイントというランキング2位。今になって思えば、この2015年がロッシ完全復活の最後のチャンスだったのかもしれません。
この先、破られることのない記録の数々
1996年にGP125クラスにデビューし、2シーズン目の97年に初めてのワールドチャンピオンとなり、98年にGP250クラスにステップアップすると、これも2シーズン目にワールドチャンピオンとなりGP500クラスへ。
そして2001年には、これもGP500クラス2シーズン目で世界チャンピオンとなり、GPマシンが4ストローク化された2002年には初代MotoGPチャンピオンとなったロッシ。史上初めて、125/250/500/MotoGPすべてのチャンピオンとなり、この記録はこの先、絶対に破られることがありません。だってGP500クラス、もうありませんからね。
結局MotoGPクラスでは、2002~03年にホンダで2連連続チャンピオンに、04年にヤマハに移籍すると、移籍初年度でチャンピオンとなって、ヤマハでは4回、世界タイトルを獲得しました。
そのほかにも、ロッシはオートバイレースにいろいろな改革をもたらしました。GP125時代から、優勝すると大騒ぎのウィニングランをして、時には被り物をしたり、ぬいぐるみを抱いてのウィニングランをしたことさえありましたね。
コースインする時には、ステップバーを掴んでお祈りをして、ピットロードを出ていくときには、ステップ上に立ち上がっての装具チェック、クールダウンラップでは大ウィリーを見せてくれて、ピットにたどり着いたら大股に足を前に投げ出しての、前またぎでマシンを降りたり。
そういえば今ではすっかり当たり前になった、コーナー入口でイン側の足を投げ出してのブレーキングも、最初にやったのはロッシでした。数10億円という莫大な収入を得て、世界のスポーツ選手長者番付に顔を出したのもロッシでしたね。
全クラス合わせると9つのワールドタイトルを持つ男、バレンティーノ・ロッシ。オートバイレースという範疇を超えてのスーパースターで、GOAT(=Greatest of All Time 歴史上最強、とでも訳しましょうか)という称号も得ています。
来年以降のロッシの動向はまだしっかりと発表されてはいませんが、きっとまだパドックに留まってくれるでしょうし、世界中のMotoGPファンも関係者も、もちろんMotoGPのプロモーターもそう願っています。
ひとまず、2021年シーズン限りで、バレンティーノ・ロッシという偉大なスーパースターがMotoGPの現役ライダーではなくなってしまいます。けれどロッシ。あなたにはまだやることがあるはず。それは、あと1回で「200回」に到達するMotoGPクラスでの表彰台登壇と、あと1勝で到達するMotoGP「90勝」という大記録。
もう10年以上前のこと、ロッシにインタビューしたときに、この「数字的な記録」なことを聞いたことがあるんですが、その時のロッシの答えが、またイカしていました。
「数字的な記録は興味がないんだよ。チームみんなでレースの優勝を目指して、それが重なってチャンピオンになれるじゃない? そうすればヤマハの人が喜んでくれる。それが大好きなんだ……っていろんなライダーは言うだろうけどさ、もちろん僕もそれを第一にしてるけれど、僕は記録も大好きなんだよ(笑)。マイク(ヘイルウッド)の記録も、ジャコモ(アゴスティーニ)の記録も破りたいんだ」ってケラケラ笑っていたんです。速く、強いライダーだけが許される茶目っ気みたいなものかな、そんなライダーが、ロッシでした。
今週末のスティリアGPから、残るは約10戦。残念ながら、去年から2年も日本グランプリが開催されずに、生ロッシを見ることなくお別れになってしまうんですが、どーにかもう1回、日本に来てくれないかなー、っていうのが日本のファンの気持ちでしょうね。
残り半年、不世出のライダーを精いっぱい応援しましょう!
写真/motogp.com MICHELIN YAMAHA 文責/中村浩史