代表作の一つなのに、現在は新刊書店で買えないという…
令和の今、国産レース小説の古典的名作であります大藪春彦大先生の『汚れた英雄』全4巻を読もう! と思ってもですね、何とこれが現在新刊書店では手に入らないんですねぇ。映画化された時に出た角川文庫版はとっくに絶版で、その後に出たという徳間文庫版なんか私、見た覚えがない。古本屋で見るのは大抵角川版だし、それも最近は見なくなったなぁ。映画化の時にあんなに売れた、ってもう40年も前なのか。
近年でも代表作『野獣死すべし』をはじめ、大藪作品は結構マイナーなものまで繰り返し再刊されてるのに、何故か『汚れた英雄』だけは出ないんだよね。実は私も手持ちの角川文庫版はボロボロだし、3巻がどっかいっちゃってるから困ってるんですが…。
そんな状況なんで、30代以下だと未読の人も多そう。それ以上の世代でも角川映画版しか知らない人が多いのか。でも原作の『汚れた英雄』は、超マニアックなレース小説なんですって。しかも主人公の北野晶夫が世界GPに行く前の第1巻、国内レース時代が特に面白い。冒頭のシーンなんか、第二回浅間火山レースに出場するため、自分で改造したYA-1改レーサーを乗せたリヤカーを自転車で引いて(!)コースに向かってるんだよ、高校を出て浪人生だった北野晶夫が。で、道端で英字新聞で包んだビーフサンドと酸っぱい青リンゴで腹ごしらえしたりして。あのシーンは印象的だったなぁ。
まさに敗戦直後の貧しい日本を象徴するような北野晶夫が、レースだけじゃなく、あんなことやこんなことや、いろんな手段を使って成り上がって、後に世界GPでトップライダーとなる! そして同時に世界を股に掛けるジゴロにもなる、ってとこのエンタメ味が、後年まで続くいわゆる大藪風味なんだろう。しかしそれにプラスして、浅間のレースの様子とか、米軍基地内でのレースとか、まだ鈴鹿サーキットが存在しない1950年代末頃の国内レース界が、虚実ない交ぜに描かれてるのが『汚れた英雄』の凄いところ。国内外のレース界の実在のビッグネームも実名でバンバン登場するし。うーん、60年代の大藪春彦作品はたまりません。
しかし、『汚れた英雄』が再刊されない理由は、その辺りにあるんじゃないか。最近は権利関係が昔より厳しいから。まだ存命の人で名前の使用を許さない人がいるとか? 海外のライダーがいっぱい出てくるし、いちいち許可取るのが難しい? なんて邪推するけど、果たして真相はどうなんだろう。映画とかでもあるもんね、出演者・権利者の許諾が取れなくてソフト化されない例が。
サラッと新装版とか出ないもんか、最近も大藪作品を文庫で復刊してる光文社あたりで。もしやるなら、ちゃんと表紙は作中に登場するマシンのイラストか写真かにしてほしいなぁ。
角川版の第1巻の表紙に出てくるバイクなんて、刊行された当時(1979年)のホンダRS1000の写真だもの。20年以上ズレてるよ。1巻ならAJSとかMVアグスタだよなぁ、もしくはリアカーに乗せて運んでたYA-1改とかね。冒頭のところでは、晶夫がYA-1のどこをどうやってチューニングしたのかとかが、細々と描写されてるしさ。
文:小松信夫