2輪業界で著名なブランドの歴史や背景を探る連載企画。第2回目に取り上げるのは、初のジェットヘル、そして初のフルフェイスを販売し、世の中に普及させたアメリカの名門ヘルメットメーカーのBELL(ベル)だ。なおこの名前は、カリフォルニア州ロサンゼルス南東部の地名がその由来である。
文:宮﨑健太郎

ベル ヘルメットの生みの親、ロイ リヒター

ベル ヘルメットの母体となったベル オートパーツは1923年に創立された。創業者ジョージ ワイトは元々毛皮捕獲と缶詰工員を生業としていた人物で、その社名はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外の設立地、「ベル」に由来するものだった。

いわば街の自動車部品屋が後にヘルメット製造に進出し、トップメーカーのひとつに成長した背景には、ひとりの男の活躍があった。高校卒業後ベル オート パーツに入社したロイ リヒターは、熱心なモータースポーツ愛好家で、仕事の合間をぬって、会社の裏庭に放置された部品を使って自分のミゼットカーのチューニングを行っていた。

リヒターのベル オート パーツでの仕事は図面書きで、レースカー製作はあくまで余芸であった。だが、ドライバーとしても優秀だったリヒターは、自作マシン「ベッツィー」で数々の勝利を記録し、結果としてベル オート パーツの名前を自動車ファンたちに、大いにアピールすることになる。

創業者の死から2年後の1945年、リヒターは生命保険解約金など1,000ドルを捻出し、ベル オート パーツの権利を未亡人から購入。新たな同社のオーナーとなった。その翌年の1946年、リヒターの人生にもうひとつの転機が訪れることになる・・・。

ヘルメットメーカーとしてのあゆみを、1954年からはじめる

ベルがヘルメット事業に乗り出すきっかけとなったのは、リヒターの長年の友人がレース中の事故で落命したことだった。当時のヘルメットは圧縮紙帽体に衝撃吸収材としてコルクを使った、半キャップ形状のものが主流だった。今日のヘルメットと比較するとそれらは重く、衝撃吸収性も低いもので、命を守るに十分なものとは言えなかった。

画像: 2005年、ボナムスのオークションに出品された、ロードレース界のレジェンドライダー、マイク ヘイルウッドが1966年に使用していたクロムウェル製ヘルメット。海外ではその形状から「プディング ボウル」と呼ばれている。 www.bonhams.com

2005年、ボナムスのオークションに出品された、ロードレース界のレジェンドライダー、マイク ヘイルウッドが1966年に使用していたクロムウェル製ヘルメット。海外ではその形状から「プディング ボウル」と呼ばれている。

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リヒターにとって、親しい友人をレースで失ったのはその事故が2例目であり、レースに危険はつきものと承知していた彼としても受けたショックは大きかった。これを機にリヒターの関心は、レースカーを速く走らせることよりも、安全なレース用品の開発に傾倒していくこととなる。

第二次世界大戦の影響で、ベルブランド第1号ヘルメット「500」の完成は1954年までずれ込むことになった。リヒターと従業員のフランク・ヒーコックスらが、ベル オートパーツの裏庭で生み出した500は、ポリウレタンを衝撃吸収材に使用。その帽体は、手張りのグラスファイバー製だった。完全ハンドメイドのため、その生産性は極めて低いものだった。だがスタッフはこの工法こそ、唯一彼らの要求を満たす製品造りであると確信していた。

500が多くの人に認知されるまでには、さほど時間は要さなかった。1955年のインディ500で、ベル500を最初に着用した義足のドライバー、カル・ニデーは170周目に高速度で壁に激突する不幸に見舞われる。しかしナイディは奇跡的に一命を取り留め、彼の頭部を守ったベル500への謝辞をコメントした。

このアクシデントは、ベル500の大ブレイクの契機となった。ベル製ヘルメットの評判を聞きつけたロサンゼルス警察が、白バイ警官用ヘルメットの大量導入を打診してきたのである。1956年にヘルメット製作部門は、ベル ヘルメット社として独立。そして1957年には、新型モデルの「500-TX」が完成。今日のジェットヘルの典型となった500-TXの形状は、ジェット戦闘機用オープンフェイスヘルメットのデザインを模範としたものだった(ジェットヘルという呼び名も、このエピソードに由来する)。

画像: 2005年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のアーキテクチャー&デザイン展で展示された、1957年製ベル 500-TX。作者名は、ロイ リヒターとフランク ヒーコックスの両名がクレジットされている。1959年、500-TXはヘルメット安全規格として知られる「スネル規格」に初めてパスしたモデルとなり、2&4輪レーサーから絶大な支持を集めることとなった。 www.moma.org

2005年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のアーキテクチャー&デザイン展で展示された、1957年製ベル 500-TX。作者名は、ロイ リヒターとフランク ヒーコックスの両名がクレジットされている。1959年、500-TXはヘルメット安全規格として知られる「スネル規格」に初めてパスしたモデルとなり、2&4輪レーサーから絶大な支持を集めることとなった。

www.moma.org

瞬く間に、ロードレースのライダーたちに支持された名作「スター」

その後もベルは、ヘルメットの歴史に残るエポックを産み出し続ける。1962年には、初のポリスチレン衝撃吸収材を採用したジェットヘルの「マグナム」がデビュー。そして1966年には、初のフルフェイス型モデル「スター」を開発した。

アメリカのガリー・ニクソンは、スターを愛用した初期のライダーのひとり。ボナムスに出品されたこのヘルメットは、U.S.スズキ時代の1974年、RG500(XR14)のテストで焼き付きにより大クラッシュを喫した際に被っていたものだ。不運にも安良岡健に追突されたため、前面に痛々しいタイヤ痕が残っている。

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画像: 1967年12月、「伝説」のシーザース パレス噴水大ジャンプにトライする前の、イーブル クニーブル。その手にあるのが、発売から間もないベルのスターだ。 www.facebook.com

1967年12月、「伝説」のシーザース パレス噴水大ジャンプにトライする前の、イーブル クニーブル。その手にあるのが、発売から間もないベルのスターだ。

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名スタントライダー、イーブル クニーブルは、1967年末にラスベガスのシーザース パレス噴水を飛び越えるスタントに失敗。28日間病院のベッドの上で生死の境をさまよった末、昏睡から目覚めた彼は、着用していたスターのお陰で命拾いしたと語った。初代500同様、ベル製品ユーザーの不幸なアクシデントのエピソードではあるが、スターの安全性の高さは広くアピールされた。その後、世界中のヘルメット製造業者はスターのコピー的商品を作り出すようになっていき、2輪ロードレースの世界を起点に「フルフェイス」は世界のライダーたちへ普及していくこととなる。
 

画像: 現行のベルの製品、カスタム500。初代500をモチーフに、現代の技術を盛り込んだジェットヘルだ。 www.bellhelmets.com

現行のベルの製品、カスタム500。初代500をモチーフに、現代の技術を盛り込んだジェットヘルだ。

www.bellhelmets.com

1978年、68歳のリヒターはリタイアを決意。1980年にベル ヘルメットは実業家のウィリアム ジマーマンらに買収され、アメフト用ヘルメットで有名なリデルと合併。ベル-リデル社となった。そして1991年、モーターサイクル部門は副社長のトム ドランに売却するかたちで分離。モーターサイクルのベル へルメットと、自転車用などそれ以外のスポーツ用ヘルメットを作るベル スポーツが誕生することになった。

その後ベル ヘルメットとベル スポーツは、1990〜2000年代に集合離散を繰り返すことになるが、ベルのブランドは2016年にアメリカの大手アウトドア&レクリエーション企業のビスタ アウトドアに買収され、今に至っている。

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