文:宮﨑健太郎
4輪用より、かなり歴史が浅い2輪用ラジアルタイヤ
今日では、高性能オンロードスポーツにとって標準装備となっている「ラジアルタイヤ」だが、2輪モータースポーツの世界にラジアルタイヤが初めて導入されたのは1981年と、4輪用に比べるとその歴史は浅いといえる。
ちなみに4輪の世界では第2次世界大戦後間もない1949年より、4輪用ラジアルタイヤの市販が開始されている。この時間の差はある意味、2輪用タイヤへのラジアル技術導入の難しさをあらわしているといえるだろう。
周知のとおり、2輪用タイヤ下半分の断面は円を描いている。この構造はリーン(バンク)によって曲がる、2輪車の特性に由来するものだ。そして2輪用タイヤの接地面の変化量は4輪用とは比較にならないほど大きく、タイヤには車体を支えるための高い剛性が求められる。
ゴム製タイヤが発明された19世紀から、従来のバイアスタイヤが長年バイクに用いられていた理由はそこにある。往時の技術では、軽く作れる、耐磨耗性に優れる、転がり抵抗が少ない、グリップがよく牽引力が大きい……などなど、数多くのラジアルならではのメリットを、活かせる2輪用タイヤを作れなかったのである。
無論ラジアル技術の導入は、止めどもなく高速化するバイクの性能に追従するべく、多くのタイヤメーカーにとって関心の高い課題であった。しかし、剛性の確保、違和感のないハンドリング、そして乗り心地の向上などの諸問題は一筋縄では解決できなかったものであり、2輪用ラジアルタイヤの完成を妨げてきたのだった。
グランプリの世界では、新参者だったミシュラン
2輪用ラジアルタイヤの、モータースポーツにおける実用化を初めて成し遂げたのは、1889年に創業された仏の名門であるミシュランであった。ちなみに4輪用ラジアルタイヤに関しても、その発明(1946年)および市販化をしたのはミシュランであり、2輪用ラジアルタイヤの発明は、まさに「ラジアルのパイオニア」こそが成し遂げることができた快挙といえるのかもしれない。
MotoGPにワンメイクタイヤを供給するなど、ミシュランは2輪モータースポーツと密接な関係を持つメーカーとして知られているが、英国のエイボンやダンロップと比較するとミシュランは斯界では「新参者」と呼べる存在だった。1949年から始まった世界ロードレースGP(MotoGPの前身)で、ミシュランユーザーが当時最高峰の500ccクラスで初優勝したのは1973年マン島TTだった。
同年ミシュランはPZレンジのタイヤを発売したのだが、このタイヤは一般のタイヤショップで購入できる製品にも関わらず、レース専用タイヤ並みのポテンシャルを有していた。丸みのあるPZのプロファイルは大きい接地面積を稼ぎ、強いグリップを確保することが出来たのである。
1年後の1974年には、PZを愛用するヤマハのケント アンダーソンが世界GP125㏄のタイトルを獲得。この栄誉はミシュランの、初の2輪モータースポーツの世界タイトルでもあった。このころからミシュランはレース専用タイヤの開発に乗り出しているのだが、1977年にミシュランはソロ5クラス(50、125、250、350、500cc)の王者にタイヤを供給するブランドとなり、モータースポーツ界におけるその名声は不動のものとなった。
2輪界の、ラジアル時代の幕開けはトライアル用から
本題である「2輪用ラジアルタイヤ」の、モータースポーツ初投入の舞台となったのは、ロードレースではなく1981年の世界トライアル選手権であった。コンマ数㎏という低い空気圧を用いるトライアル用タイヤにとって、トレッド変形の少ないラジアルタイヤの効果は高いという判断から、その開発はスタートしていた。
目論見どおり、ミシュラン「X1」ラジアルタイヤの優位性は瞬く間にトライアルの世界で立証され、2年後の1983年にはランキングトップ5のライダーすべてがミシュランラジアルユーザーで独占されるようになり、トライアルの世界は「ラジアルでないと勝てない」時代に突入していった。
1983年には、開発を進めていたロードレース用ラジアルタイヤを後輪のみに装着したホンダNS500を駆るフレディ スペンサーが、グランプリ最高峰クラスのラジアルタイヤ初勝利を記録した(ちなみに前後ラジアルタイヤ装着車の初優勝は、翌1984年サンマリノGPのランディ マモラ)。
もし今が、ラジアルタイヤ技術がなくバイアスタイヤしか存在しない世の中であったら? 200馬力を超える公道用量産車が市販されることはなかっただろう。1990年代からは市販高性能車のラジアルタイヤ純正装備が定着していくことになり、冒頭に記したとおり、今やすっかりラジアルタイヤは当たり前の「存在」になっている。2輪用タイヤの歴史のなかで、ラジアル技術確立に最も貢献したタイヤメーカーとしてミシュランの名をあげることに、異論を唱える者はいないだろう。
文:宮﨑健太郎