2輪業界で著名なブランドの歴史や背景を探る連載企画。今回は、モータースポーツ業界へ長年多大な貢献をした英国のオイルブランド「カストロール」を紹介する。ロードレースなどの世界で2ストロークエンジンが活躍していた時代、パドックに漂っていた「カストロールの香り」。あの匂いの元となる材料の名は、そのブランド名にも反映されている。
文:宮﨑健太郎

かつては食用よりも、工業用の需要がメインだった植物油

今日、植物油(ベジタブル オイル)といえば、多くの人はサラダ油やごま油、はたまたオリーブ油などの食用油のことを思い浮かべるだろう。しかし100年前に同じ質問を当時の人たちに問うたとき、同じような答えは返ってこなかったかもしれない?

日本に話を限れば、食用油脂の需要が工業用油脂のそれを上回るようになったのは、戦後の1950年代以降であった。石油化学の進歩によって動植物から採れる油脂は、化学工業原料としての主役の座から降りることとなったわけだが、それまでの時代の植物油は我々の食生活を豊かなものにする役割以上に、樹脂製品材料および機械潤滑用として活用されていた。

工業用油脂のなかでもとりわけ2輪車と深い関わりを持つ植物油といえば、ひまし油(キャスター オイル)があげられるだろう。トウゴマの種子から圧搾法・圧抽法によって取り出されるひまし油は、今日も塗料、印刷用インク、石鹸や化粧品原料、薬用と幅広い分野で活用されているが、かつてひまし油は優れた機械潤滑油としても様々な分野で広く活用されていたのである。

画像: キャスター ビーンズことトウゴマの種。 en.wikipedia.org

キャスター ビーンズことトウゴマの種。

en.wikipedia.org

ひまし油は水酸基(水素・酸素各原子が結合した原子団)を持つリシノール酸を、主成分中8〜9割含有する。このリシノール酸は非常に高い粘度を持つという特徴があり、強靭な被膜を形成することが可能なためにエンジンオイル原料として重宝された。外燃・内燃問わず、機械文明の象徴といえる高速機関の発達史は「摩擦抵抗」との戦いの歴史ともいえ、優れた高速機関は優れた潤滑剤なしでは成立し得なかったのである。

カストロールの名は、キャスター オイルに由来

今回紹介する「カストロール」は、英ロンドンに1899年設立されたオイルメーカーである。設立当初は創業者チャールズ ウェイクフィールドの名から、「CC ウェイクフィールド & カンパニー」という社名を名乗り、主に鉄道用や重機械用の潤滑油販売を生業としていた。

20世紀初頭にウェイクフィールドは、当時急速に発展していた飛行機と自動車という内燃機関を搭載する乗り物に着目し、それらの内燃機用オイルの開発に着手した。そしてひまし油を使った「CASTROL=カストロール」という製品を産み出した。改めて説明するまでもないが、そのブランド名はCASTOR OIL・・・ひまし油に由来している。

画像: 1919年、ジョン オールコックとアーサー ブラウンの2人は、世界初の大西洋無着陸飛行に挑んだ際、愛機のエンジンにカストロールを与えた。潤滑油の信頼性の有る無しが、パイロットの生死に直結するシビアな航空機の世界で、カストロールのブランドは高い評価を得ることに成功した。 www.castrol.com

1919年、ジョン オールコックとアーサー ブラウンの2人は、世界初の大西洋無着陸飛行に挑んだ際、愛機のエンジンにカストロールを与えた。潤滑油の信頼性の有る無しが、パイロットの生死に直結するシビアな航空機の世界で、カストロールのブランドは高い評価を得ることに成功した。

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それは自然な流れともいえるが、やがてカストロールの優秀性は航空機分野のみならず、高性能オイルへの関心が高いモータースポーツの世界でも急速に浸透していくこととなる。自社製品の優秀さをアピールする舞台として最も優れた場のひとつであるモータースポーツにカストロール社も非常に高い関心を示し、これに積極的に関わっていくこととなった。

余談だがその発明から第二次世界大戦までの間、あまりにも航空機は急速に発展・普及したこともあり、世界的な需要を満たすのに十分なひまし油の生産が追いつかなかった。そのため石油ベースの航空機用潤滑油を代替品とする研究が進むことになった。

さらにドイツでは1930年代の石油入手難という状況の対策として、ヘルマン ツォルン博士がジエステル、ポリオールエステルを含む合成油を研究。その結果、終戦までの間にドイツ空軍で使用された潤滑油の約半分は合成油になっていたという。

1960年、社名が「カストロール Ltd.」に変更される

強靭な被膜というメリットを持つひまし油由来の潤滑油だが、場合によっては予熱が必要なほど流動点が高いこと、機関内でゴム状またはゲル化する傾向、そして高温の耐酸化性が低いことなどが植物油のデメリットだった。

先述のとおり戦後の時代から、次第に工業用としての植物油の需要は減っていくことになるのだが、モータースポーツの世界では戦前同様にカストロール「R」が多くの参加者に愛用され続けた。レース毎、もしくは走行毎という頻繁なオイル交換が当たり前のモータースポーツの現場では、管理の難しさという植物油のデメリットはあまり問題にならなかったのだ。

1909年に「カストロール」の名で発売された5種のオイルの内、航空機/レーシングエンジン用に設定された「R」は、瞬く間に2&4競技車両用オイルのトップブランドの地位に登り詰めた。なおカストロールRは2ストロークおよび4ストロークエンジン用オイルだけでなく、ギヤオイルとしても長年使用されている。

1950年代には、ルマン制覇に燃えていた英アストン マーチンの要請から製作されたR20/30がデビュー。カストロールR30は世界ロードレースGP(現MotoGP)への挑戦を始めたホンダやヤマハのファクトリーバイクも採用。15,000rpmをゆうに超えるホンダの4ストローク多気筒マシンや、リッターあたり240㎰をマークするヤマハ2ストロークレーサーは、GP用マシンの技術水準を一気に10年分ほど引き上げたと評されている。これら名機の高性能を支える裏方の役割を、カストロールRシリーズは見事に勤め上げた。

1966年のマン島TTから投入されたホンダの250ccクラス用RC166は、名手マイク ヘイルウッドによって1966〜1967年のチャンピオンマシンとなった。搭載される空冷並列6気筒DOHC24バルブエンジンは、最高出力60馬力以上を発生。最高速は240km/h以上をマークした。なおホンダは1959〜1967年の第1期GP参戦時代をとおしてカストロールRを使用し、個人タイトルを17回、マニュファクチャラーズタイトルを10回獲得した。

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なお1960年にCC ウェイクフィールド & カンパニーは、創設者の名前よりもはるかに多くの人に知られている名前となった「カストロール」を新たな社名に採用した(カストロール Ltd.)。その数年後の1966年にカストロールは、同じ英国のバーマ オイルに買収されることになるが、バーマ-カストロールの時代にもカストロールの名前は高性能オイルの代名詞的に扱われ、バーマ傘下のブランドであることを意識する人は少なかった。

モータースポーツの世界で、多くの人に愛用されたカストロール「R」

1970年代以降は、モータースポーツの主流を2ストロークが担う時代がしばらく続くことになるが、レジェンドライダーのジャコモ アゴスティーニがヤマハファクトリーに移籍した1974年ころ、カストロールはヤマハの依頼を受けて植物/化学合成油の「A747」を生み出している。

カストロールRの弱点であるライフサイクルの短さ、2ストローク用混合ガソリンを作る際のガソリンとの混ざりにくさなどを克服する製品として、カストロールA747などの"新世代"植物/化学合成油は多くのプライベーターたちに普及していくことになった。

だが一方で、植物/化学合成油ではなくカストロールRを使い続ける人も存在していた。プラグの焼け色の識別のしやすさのよるセッティングの判断のしやすさなどから、使い慣れたカストロールRを支持する人はなかなか絶えなかったのである。

全体からすると少ないながらも、その需要に応えるためカストロールは「R30」と「R40」、そしてオーバルトラック競技のスピードウェイ用アルコール燃料4ストロークエンジン用の「M」というひまし油ベースのレーシングオイルを、バーマ-カストロールが英オイルメジャーのBP社傘下になった2000年以降も販売し続けた(現在は廃盤)。

画像: 創業期から現在に至るまで、カストロールのロゴは10種が変遷している。こちらは2001〜2006年の8代目のロゴだ。

創業期から現在に至るまで、カストロールのロゴは10種が変遷している。こちらは2001〜2006年の8代目のロゴだ。

21世紀になっても日本国内では「R30」の一種類のみがしばらく販売されていたが、その販売が終了してから久しい今は「カストロールの香り」を知らない人もかなり多いだろう。"サーキットの芳香"と昔呼ばれていたカストロールR特有の燃焼臭だが、実のところお腹を下しやすい人には、それはあまり好ましくない匂いだったのかもしれない?

現在のひまし油製品のなかに薬品があることは冒頭で触れたが、そのなかでも「下剤」としての利用は歴史が古い。かつて航空機用潤滑油としてひまし油が大活躍していた時代、お腹の弱い整備士の人は職場に漂うオイルミストに起因する下痢に悩まされた・・・というエピソードが残されている。

ひまし油由来の植物油で名声を得た時代ははるか昔のことではあるが、カストロールの戦前からの伝統といえる「モータースポーツ界」への献身ぶりは、化学合成油が主流となった今も変わることはない。

文:宮﨑健太郎

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