文:宮﨑健太郎
収納用アクセサリーの黎明期
例外もいくつかあるものの、一般に2輪車は「収納性」という機能を最も重視しては造られていないことがほとんどである。しかし街乗りやツーリングなどで移動するときに、何らかの「モノ」を積まなければならないケースは少なくない。それは地図などの書類だったり、雨具や工具など不測の事態に備えるものだったりと、そのカタチやサイズは様々だ。
街乗りなど短距離の移動であれば、小物入れなどの標準装備された小さな収納スペースでまず事足りるだろう。しかし数日間をかけるロングツーリングなど、長期間・長距離移動となると工具や雨具、そして地図などに加え、着替えや旅行先で使うモノあれこれや、お土産を収納する空間も欲しくなってくるものだ。
そんなライダーたちの需要に応えるべく生み出されたトップおよびパニアケースなどのツーリングボックスは、かなり昔から存在するアフターマーケットの定番アクセサリーである(キャリアに備え付けた籐籠のピクニックボックスや、馬具の革製パニアバッグの転用がその原型であろう)。
1950年代末からFRP製品の量産が一般的になると、軽くて堅牢なこの素材を用いたトップ&パニアケースが、次第にアフターマーケット製品やメーカー純正オプションとして造られるようになった。1960年代から1970年代の時代には、独のクラウザー、米のベッター、ベーツ、ブコ、そして英のリックマンやなど様々な製品が生み出され、世界中のツーリング愛好家たちに愛用されるようになった。
GIVIの創業者は、元グランプリライダー
いわゆるハードシェル型トップ&パニアケースの、黎明・発展期といえる1960年代、イタリアのGIVIの創業者となるジュゼッペ・ヴィセンチは、アフターマーケット業界にはその身を置いていなかった。彼は当時、コンマ1秒の速さを競う世界ロードレースGP(現MotoGP)の参加者のひとりだったのである。
1962年からドゥカティ、アエルマッキなどを駆ってグランプリ参戦を続けていたヴィセンチの、キャリアのハイライトは1969年に訪れた。同年の350ccクラスにてヤマハ2気筒に乗ったヴィセンチは、MVアグスタのジャコモ アゴスティーニ、ヤワ/ヤマハのシルビオ グラセッティに次ぐランキング3位という好成績を残した。
1970年シーズンを限りにレーシングライダーを引退したヴィセンチは、イタリアのブレシアにてオートバイディーラーをはじめ、ビジネスマンという新たなキャリアをスタートさせた。そして1978年に「GIVI」を立ち上げ、最初の製品であるエンジンガードとともに、アフターマーケット業界に参入した。なおGIVIのブランド名は、自身のイニシャルを組み合わせたものである。
GIVI初のトップケース「E34」がデビューしたのは1983年。この手のケースとしては後発ながらGIVIが世界のトップブランドになることができたのは、優れたデザインと品質、そして実用性に関するアイデアの素晴らしさゆえだろう。E34のデビュー年にGIVIは「モノキー」システムを考案。1本の鍵でサポートからの脱着、そしてケースの開閉ができることの便利さは、瞬く間にライダーたちに広まっていくことになった。
1994年にはトップケースにもサイドケースにも、どちらにも使えるようにデザインを工夫した「E360」というユニークな製品を発表。2002年にはヘルメットの分野にも進出するなど、意欲的にライダーたちに役立つ製品作りに取り組んできた。
なおモータースポーツファンにとっては、GIVIはツーリングボックスの大手であるとともに、有力なチームスポンサーとしてしても有名な存在だろう。2023年はMotoGPクラスのLCRホンダとドゥカティファクトリー、MotoEのLCR E-チーム、世界スーパーバイク/スーパースポーツ選手権のカワサキ プセッティ レーシングをそれぞれGIVIはサポートしている。その主な目的は多くのスポンサー企業同様ブランドイメージ向上にあるのだろうが、創業者がかつて身を置いた世界への「愛」も、長年のスポンサー活動継続の理由のひとつになっているに違いない。
文:宮﨑健太郎