「名車列伝part01」1983年スズキRG250Γ編は
たくさんの方にご覧いただいたようで、ありがとうございます。
そこで、少なからずの人たちが「感想」をお寄せ下さったんですが
Γ編の本文中に出てきた「あるモデル」に、やはり皆さん興味があるようです。
それがホンダNSR250R。
2ストローク250ccモデルが続きます、NSR250R編の第2回です。
「同時開発」から「うりふたつ」へ
1980年、ヤマハRZ250からスタートしたと言っていい、2ストローク250ccスポーツのマーケット。ホンダも「4ストロークメーカー」と呼ばれながらも、そこから一歩踏み出してMVX250F、そしてNS250R/Fを発売して存在感を示したものの、ヤマハが85年11月に発売したTZR250が、その流れを一掃してしまった。
市販レーサーTZそっくりのスタイリングに、デルタボックスと呼ばれるアルミフレーム。3本スポークのキャストホイールに、大径Φ320mmのシングルディスクローターは、従来のRZシリーズから一足飛びに進化、さらにライバル勢を大きく引き離す「レーサーレプリカ」度と言えるものだった。
RZ250だってRG250Γだって、レーサーレプリカと言われてはいても、決して「レーサーそっくり」ではなかった。NS250Rだって、レーシングマシンと同時開発の中身はすごくても、ユーザーに訴えかけるインパクトは薄かったように思う。その流れも一変。TZR250は、まさにTZのレプリカ、レーサーレプリカだったのだ。
TZRは86年には販売ランキングNo.1を獲得。前年のベストセラー、VT250Fのダブルスコアの台数を売り上げるほどの人気モデルになった。2ストローク250ccスポーツキングの座は、RZ250に続いてヤマハの手に戻ったのだ。
そこでホンダが手を出した「禁断の果実」こそがNSR250Rだった。NSR250Rは、もうこのクラスの絶対必要条件といえる「レーシングマシンとの同時開発」なのはもちろん、そのうりふたつぶりがすごかった。手本となったのは、ワークスレーサーNSR500とRS250RW。1985年の世界グランプリで、フレディ・スペンサーが250/500ccのダブルタイトルを獲った、2台のマシンだった。
NSR250Rは、NS250Rからエンジンを一新。同じ水冷2ストロークV型2気筒ながら、ピストンリードバルブを、後の高性能2ストロークの必須条件であるクランクケースリードバルブに改め、市販車で初めてとなる、カセット式6速ミッションも採用し、ボア×ストロークも一新。出力は自主規制値一杯の45ps/9500rpmだったが、その力強さは段違い。特に低回転からのトルクが力強く、高回転域の伸びもNSとは比べ物にならないほどだった。
250ccの販売ランキング争いでは、86年がTZR250、87年はFZR250だったが、88年にはNSR250Rが奪還。ストリートはもちろん、当時盛んだった2ストローク250ccマシンを使ってのプロダクションレースでも、NSRがTZRと人気を二分。ホンダがこのカテゴリーでもユーザーサポートに力を入れ始めたこともあって、戦績はNSR250Rの方がやや優勢、といった状況だったように思う。
しかし、NSR250Rがスゴかったのはそれから。初期モデルMC16が86年10月に発売され、87年3月には新色「テラブルー」を追加すると、その10か月後の88年1月には、もうフルモデルチェンジした88年型ことMC18、通称ハチハチをリリースするのだ。
ハチハチことMC18は、エンジンやフレームをMC16の基本構成を維持しながら、キャブレターや点火系にコンピューター制御を導入。フレームは角断面から異形5角形断面に変更、ホイールは新デザインのワイドサイズ、リアタイヤにラジアルを標準装備するなど、マイナーチェンジという枠には収まらない大変更を遂げたのだ。
しかもNSR250Rは、それにとどまらずに89年1月に89年型MC18(後期)モデルを発表。このモデルも、スラントノーズ型の新カウル、サイレンサーが跳ね上がったチャンバーを採用した、マイナーチェンジの枠に収まらないほどの変化っぷりで、電子制御キャブレターと点火系をさらに進化させ、クランクシャフトをより高回転型に、シリンダーヘッド冷却水経路やフライホイールマスも変更。中回転から高回転までトルクの谷がない「台形パワーカーブ」を標榜し、法規変更で、88年モデルまで装着されていた180km/hのスピードリミッターも廃止されている。
さ・ら・に! NSR250Rは翌90年にもフルモデルチェンジ。これで初期87モデル(MC16)→ハチハチ(MC18前期)→ハチキュウ(MC18後期)→キュウマル(MC21)と、4年連続の「ほぼ」フルモデルチェンジ。こんなオートバイ、今も昔も存在しないと言っていいだろう。
90年2月発売のMC21は、従来型の89年型MC18後期をべースに、リアホイールを18→17インチとし、キャブレターや点火系の電子制御をさらに進化させ、フレームとスイングアームも一新。リアディスクブレーキのある右側に、チャンバーを取り回すスペースを空けたガルアームと呼ばれるスイングアームを採用したのも大きな変更点だった。さらに88モデルから継続して追加発売される限定「SP」仕様に加えて、SE(=スーパー・エディション)がラインアップされたのも、このMC21からだった。
市販モデルの仕様変更で見られる、いわゆる商品性の向上はもちろん、NSRのモデルチェンジは、動力性能の向上、特にサーキットランでの戦闘力向上にも主眼が置かれていて、そこが2ストローク250ccモデルで一番人気を博した要因のひとつだろう。
ちょうどこの90年頃は、2ストローク250ccモデルによるプロダクションレースがピークだった時代。NSR250Rに対抗する形で、ヤマハも市販レーサーTZ250と同じ後方排気エンジンを搭載したニューモデル、さらにスズキも並列ツインのRG250ΓをVツインエンジンとしたRGV250Γを発売し、カワサキもKR250を並列ツインとしたKR-1を発表。
しかし、次第にプロダクションレースではホンダ一強へと傾き始め、プロダクションレースやレーサーレプリカブームも徐々に勢いを失い始めることになる。
<つづく>