まとめ:齋藤ハルコ/写真:松川 忍
※神社境内での撮影は、特別な許可を得ています。
※この記事は、月刊『オートバイ』2024年4月号に掲載したものを一部編集して公開しています。
あらぽん×佐々木優太 開運ツーリングトーク
ひょうたん作って12年、一気に風が吹いてきました
佐々木優太(以下佐々木) あらぽんさんは普段の愛車もトリシティ155とのことですが、今までどんなバイクに乗ってきたのでしょうか?
あらぽん 最初はスズキのインパルスから入って、そっからシグナス、マグザム、またシグナス、マジェスティと乗り継いで、トリシティになりました。でもほとんど街乗りメインで、高速道路に乗ったのも今日が初めてなんです。
佐々木 初めて! どうでした?
あらぽん 自分がどのくらいの距離を走れるかもわかってなかったから、片道100kmとか走れるのかな? って不安でしたけど、全然走れましたね。めちゃくちゃ気持ち良かったです!
佐々木 それは良かったです。バイク歴は最初は原付とかもなく、いきなりインパルスから始まったんですか?
あらぽん あ、いちばん最初は友達から借りた原付のジョグからでした。そこからバイトしてお金を貯めて、教習所に通って。初めて買ったインパルスは、埼玉の奥地にある小さいバイク屋さんで見つけたんですよ。で、周りに免許持ってるヤツが揃ってたんで、納車初日にツーリング行ったんですけど、僕はちゃんとルールを守るんで、停止線とか絶対止まるんですね。でも後ろにいたヤツがテンション上がっちゃってて、そのまま俺のバイクに突っ込んできて、納車初日に突っ込まれるっていう。でも体重のせいか、僕のインパルスは無傷で、友達のバイクがダメになりました(笑)。
佐々木 体重が幸いして(笑)。インパルスはどのくらい乗ってたんですか?
あらぽん 車検が来るまでだから3年くらいかな。その後ちょうどビッグスクーターブームが来て、そこからずっとスクーターを乗り継いでました。その頃、芸人活動で移動がめちゃくちゃ多かったんで、どんどん電車に乗るのがキツくなってきてたんですよ。結局2人乗りでライブ会場行くのがいちばん安いってなって、よくコンビでバイク移動してましたね。相方(みやぞん)は幼馴染で中3でコンビを組みました。最初にバイクの後ろに乗せたのも相方なんです。
佐々木 その頃から相方だったんだ。
あらぽん そうですね。コンビとしては23年ですけど、2歳からの付き合いを数えたら35~36年くらいですね。
佐々木 本当に長いお付き合いだ…。不躾ですが、解散を決めたのはどちらから言い出したことだったんですか?
あらぽん 最初に「独立して、自分で事務所を立ち上げたい」って話をしてきたのは向こうですけど、解散は僕からって感じですね。お互いに話し合って、ずっと一緒にいた人生だけど、コンビを解散することでまた新しい何かが自分の中でも生まれるかもしれないなって。解散しなくても良かったのかもしれないけど、たぶん僕の性格上、コンビでやってるかやってないのかどっちなんだ、みたいにスッキリしない状態が嫌だったんです。でもいざ解散することを公表したら、周りも結構スムーズに受け入れてくれて、次のステップを一緒に考えてくれる方が増えました。前から取り組んでるひょうたんアートについての活動もそうですし、いまTikTokでやってるグルメ系動画も、元芸人さんで、いまは映像会社をやってる人が声をかけてくれて取り組んでたりするので、これはこれで良かったのかなって思います。
佐々木 そして、あらぽんさんと言えばのひょうたんアートですが、そもそも何キッカケで作ろうと思ったんですか?
あらぽん 12年前なんですけど、当時のオーディションで一発芸とか特技を見せなきゃいけないのに、僕には何もなかったんです。それでひょうたんは形がおもしろいし、なにか出来るんじゃないかなって調べてたら、完成したひょうたんが6000円とかしたんですよ。でもひょうたんの種は100円だったから「作ればいいじゃん」と思って作ってみたら、めっちゃできちゃって。
佐々木 へ~! いきなり(笑)。
あらぽん 当時、中華料理屋に住み込みで働いてて、勝手に屋上で育ててたんですよ。本当にちっちゃなプランターで、いま思えばそれでできたのが奇跡だと思うんですけど(笑)。もう内緒で育てるのが無理なレベルでいっぱいできたので、社長に「ネット張ってちゃんと育てていいですか」って許可取って。
佐々木 いきなり大量生産(笑)。
あらぽん で、作ってくうちに愛着沸いちゃって、ライブに来てくれたファンの子にサインしてプレゼントしたところから、ひょうたんアートが始まったんです。そっから何年も順調に育ててたけど、いきなり4年連続全滅して取れなくなったんですね。でもそのタイミングで、情報バラエティの『PON!』さんが僕の密着取材を始めて、群馬のひょうたん師匠を連れて来てくれたんです。それでその師匠と群馬の畑でひょうたんを作り始めて、そこからどんどんどんどん、いろんな方面に派生していってる感じです。群馬の師匠はコロナ禍でひょうたん作りをやめちゃって、いまは千葉に新しい師匠ができて一緒に作ってるんですけど。
佐々木 ひょうたんエピソード、いちいちおもしろいなぁ!(笑)
あらぽん もうすぐ情報解禁になる、ひょうたんに関するちょっと大きな発表もあります。12年ひょうたんアートをやってきて、どっちかというとずっと否定されてたんですよ。何なのそれ? みたいな。でもここ2年くらいで、一気にいろんなことが動いて、ひょうたんに導かれてるような感じがします。
佐々木 ひょうたんアーティストとしての活動が盛り上がる中、ピン芸人としての活動を始める新たなタイミングで、あらぽんさんをバイクで神社にご案内できたこと、改めて光栄に思います。
あらぽん 僕もいまのタイミングで、佐々木さんに神社ソムリエしていただいて本当に良かったです。今日お話しいただいた内容の全部が自分の中にスッと入ってきて、納得いくことばかりだったので、すごいなと思いました。
佐々木 ひょうたんといえば、自身の馬印としていた戦国武将の豊臣秀吉公をお祀りする豊国神社がいま行ってみたい神社で、ご自分のひょうたんアートを奉納したいって仰ってましたよね。奉納の仕方とかも含めて、今度はそちらも神社ソムリエとしてご案内させてください。
あらぽん ぜひ宜しくお願いします!
まとめ:齋藤ハルコ/写真:松川 忍
※神社境内での撮影は、特別な許可を得ています。
※この記事は、月刊『オートバイ』2024年4月号に掲載したものを一部編集して公開しています。