しかし「不適切」とは、「その場の状況や常識にそぐわないこと」ですから、それぞれの時代の空気、自分の立ち位置で変わります。現在の基準では不適切でも、時代が違えば「適切」や「ふつう」であったりするのです。
ここでは昭和32年生まれの僕が、昭和のオートバイ事情をお話しします。年配ライダーは首を縦にブンブンと、若いライダーは横にユラユラと振りながら読んでもらえれば本望です。
文:太田安治/写真提供:アライヘルメット
着用義務は段階的に強化された
僕がオートバイに乗り始めた昭和48年(1973年)ごろ、ノーヘルライダーを「不適切!」だと騒ぎ立てる人は居ませんでした。
1965年に高速道路と自動車専用道路での『ヘルメット着用努力義務』が規定されたものの、罰則なし。1972年には最高速度規制が40km/h超の道路で『ヘルメット着用義務化』となりましたが、やはり罰則なし。実際は高速道路以外で取り締まられることはなかったのです。
高校生の僕たちにとっては「被ったり脱いだり面倒だし、脱いだら置き場所に困るし、窮屈で重くて暑っ苦しいし、頭でっかちになってカッコ悪いし。要らね~よ」でした。
学校にジェットヘルメットを被っていくと「カッコつけてやがる!」などと言われ、フルフェイスに至っては「おまえのバイクは宇宙まで飛んで行くのか?」とからかわれる始末。実は安全性に少なからず魅力を感じていても、「安全を優先するなんてバイク乗りじゃね~ぜ!」と切り捨てるのがカッコいいと思っていたのです。若者らしい無知な可愛さ、ではなく、ただの馬鹿です。
大型車に乗っている大人のライダー(正統派ライダー、なんて呼ばれていましたね)はジェットヘル+2眼式ゴーグルという装備がスタンダードで、学生、おっちゃん、おばちゃんたちはノーヘルが当たり前。見た目に気を使うライダーはキャップを後ろ前に被ったり、ハンティング帽をちょこんと乗せたり。走ると簡単に飛んでしまうので、そのたびに道ばたに停まって拾うのもよくある光景でした。クルマに轢かれてボロボロになったりしていましたが。
1974年になると『75年から着用義務を強化する』という発表があり、それまでの経過措置として警察官から『警告書』という白切符を渡されるようになりました。あくまでも警告書なので罰則はなく、バイク仲間は「昨日2枚貰った~」とか「俺は2日で5枚!」などと笑いながら見せ合っていましたが、頻繁に停められて免許証提示と切符へのサインを求められるのは面倒。結局、僕を含めたオートバイ仲間は渋々ながらヘルメットを被るようになったので、啓蒙活動としては効果的でした。
違反点数+反則金は1975年から
1975年に政令指定道路(おおざっぱに言えば国道のこと)で51cc以上乗車時のヘルメット着用が義務化され、罰則(1点、反則金あり)が導入されました。このときはノルマもあったのか、警察官が容赦なく青切符を切りまくりました。それまで半分意地になってノーヘルで通していたライダー達も、慌てて安価な半キャップかジェットヘルメットを用意するしかなかったのです。
当時、欧米ブランドの輸入品は高価で、安価なアジア製品など存在していません。そこで国内で樹脂加工やFRP成形技術を持つ会社がオートバイ用ヘルメットの製造を始めました。人気は新井広武(アライ)と昭栄化工(ショウエイ)の2大ブランドで、続いてマルシン工業、クノー工業、リード工業といったところ。これらの国産品ならフルフェイスでも1万円以下で買えたため、アルバイト時給が300円台の高校生でも何とか手が届きました。
完全着用義務化は1986年から
1978年、すべての道路でのヘルメット着用が義務化され、ヘルメットは売れに売れます。国内では上記ブランドのほかにリード工業、コミネ、メット工業、立花自動車用品(カスタム)などなど。輸入品はアメリカのBELLとシンプソン、ヨーロッパブランドのGPA、AGV、NAVA、KIWIなども円高(1976年は1ドル300円台で、1978年は1ドル=190円台)による低価格化で売れるようになり、ヘルメット業界は空前のバブル状態に。当時の雑誌広告を見ると、ヘルメットメーカーはもちろん、バイク用品店から街のオートバイ販売店まで、ヘルメットの広告をこれでもか! と載せていました。
1978年に規制が強化されても、自転車代わりの原付一種(50ccバイク)は着用対象外でした。ところが80年代バイクブームで死傷者が増え、ついに86年には50ccも含めたすべてのバイク、すべての道路での着用が義務化となります。
結果、50ccユーザーの自転車、自動車への乗り換えが始まり、髪型の崩れを気にする女性層がごっそり離れました。以前のコラムに書いた50ccバイク販売台数激減の要因です。
こうして「原チャリならノーヘルOK」の時代は終わり、ノーヘルは「不適切」や「不法」という曖昧なレベルではなく、道路交通法違反という「犯罪」行為になったのです。
ノーヘルライダーの実情
昔の映画やドラマでノーヘルで走っているシーンを見て、「風を思い切り浴びて気持ち良さそう!」と言う人がいます。しかし僕を含め、ノーヘル時代を経験してきた人なら「とんでもない!」と即答するでしょう。
「スピードこそが俺の青春だぜ!」 と飛ばすほどに走行風圧は強くなります。眼に風が当たって涙がウルウルと湧き出し、鼻水もタラタラと……。バックミラーをのぞき込めば、涙と鼻水が走行風で横方向に流れた跡がクッキリと残った情けない顔が写るのです。
さらに小石や虫の容赦ないアタックを受けます。砂粒が眼に入る程度なら「痛っ!」で済みますが、夜は硬い甲虫系や大きめの蛾が当たることも多々ありました。得体の知れない虫が口に入って「ゲゲホッ、オエッ!」となったことも一度や二度ではありませんし、カブトムシだかクワガタだかがバチコンッ! と頬に当たって盛大に流血した友人もいます。雨粒が肌を叩く痛さは想像以上で、冬は寒さで耳がちぎれそうに痛くなります。
初めてシールド付きのヘルメットを被ったとき、こうした苦痛がすべてなくなることに驚きました。それまで安全性など気にしなかったライダーにとって、衝撃を受けなければ判らない保護性能よりも快適さのほうが重要でした。ただ、当時のシールドは材質の問題で傷が付きやすく、一年程度でスリガラス状態に。しかも交換用シールドは高校生にとって手軽に買えない価格。なのでシールドを開けっぱなしで走るとか、外しちゃう人も多かったですね。僕はシールドに傷が付くと微粒子コンパウンド入りのワックスで磨き倒していましたが……。
ヘルメットは「適切」に被らなければ意味がない
ヘルメット着用の第一義は自分の命を守るためですが、交通事故の加害者側になってしまった場合、相手の被害によって天と地の差が出ます。改めて想像してください。死亡や重篤な障害が残る事故の加害者となれば、金銭的な賠償だけでは済まないのです。
どうせ被るなら安全性に信頼が置ける製品をきちんと着けたほうが安全で快適。結果的にすべての人にメリットがあります。
個人的に憂慮しているのは、アゴ紐を締めていない人が少なくないことです。アゴ紐を締めていないと事故や転倒の衝撃でヘルメットが脱げてしまう確率が高まり、死傷率は激増します。アゴ紐を締めていなくても違反にはなりませんが、僕は「アゴ紐プラプラ」こそ『不適切』だと思うのです。
文:太田安治/写真提供:アライヘルメット
太田安治(おおた やすはる)
1957年、東京都生まれ。元ロードレース国際A級ライダーで、全日本ロードレースチーム監督、自動車専門学校講師、オートバイ用品開発などの活動と並行し、45年に渡って月刊『オートバイ』誌をメインにインプレッションや性能テストなどを担当。試乗したオートバイは5000台を超える。現在の愛車はBMW「S 1000 R」ほか。