文:太田安治
バイクが売れ人気車も続々と登場した黄金期
1950年代は実用モデルが戦後復興に大きく貢献。経済成長に伴って1960年代からは趣味性の高い「スポーツモデル」というジャンルが確立され、高性能と耐久性が欧米でも認められる。
1970年代には大排気量車も続々と登場、輸出も急増して日本は生産台数でも性能でも世界一のオートバイ大国に……という長い前フリに続くのが、「1980年代バイクブーム」という形容では足りない二輪業界の「黄金期」。
日本国内では1975年に二輪免許制度が変更されて以降、400ccと250ccクラスに人気が集まり、一気に高性能化していったけれど、1973年にバイクに乗り始めた僕がレベルの急上昇を肌で感じたのは1980年代に入ってから。

YAMAHA RZ250
1980年
総排気量:247cc
エンジン形式:水冷2スト並列2気筒
その象徴が1980年のRZ250、1981年のCBX400F、1983年のRG250Γ。それまでの常識を覆す性能とデザインで大ヒット、現在は中古車もプレミア価格になっている。
ちなみに「HY戦争」が影響した1982年の新車販売は約327万台で、2023年は約41万台だから、数字的には現在の8倍! メーカーの経営が順調で、国内市場規模も大きかったから失敗を恐れずチャレンジでき、そこから生まれたオートバイがバンバン売れるという好循環が続いた時代だった。
そんな1980年代に隆盛を極めたのが「レーサーレプリカ」。サーキットでの戦闘力が売り上げに直結するとあって、2年程度の短いスパンでフルモデルチェンジし、凄まじい勢いで進化した。ゼロヨンと最高速の計測企画、ホンダとヤマハのワークスライダーによるタイムアタック企画を派手に展開した当時の月刊『オートバイ』も売れに売れたものだった。

Honda NSR250R
1986年
総排気量:249cc
エンジン形式:水冷2ストV型2気筒
250/400クラスの販売台数はTZR250、NSR250R、CBR400RRが相次いで登場した1985~86年あたりがピーク。サーキットで行われるプロダクションレースは大盛況で、レース用パーツ、カスタムパーツも出せば何でも売れる状況だった。
オートバイ専門誌も増えて、定期刊行だけでも30誌オーバー。角川書店や講談社、CBSソニー出版、毎日新聞社もバイク雑誌を発行していた。メーカーや用品会社はもちろん、街の販売店まで広告を出して、月刊『オートバイ』は「広告だらけの電話帳」と揶揄されるほど分厚くなり、一冊の重さが1kgにもなった。
メーカーの広告予算も潤沢で、発表試乗会は前夜にホテルの大広間でコンパニオンのお姉さんがいっぱい居るパーティーがあって、深夜まで続く二次会、三次会も全部メーカー持ち。翌日の朝は酒臭い息をプンプンさせているジャーナリストが何人も居たなぁ……。
こうしたニューモデルラッシュやレースブームが牽引した業界の黄金期は1990年のバブル崩壊まで。現在の日本市場は人口減や可処分所得の減少で縮んでいるけど、今でも日本メーカーは世界をリードする力を持っているのだから、今後は深みのある「いぶし銀の時代」が続くことを願っている。
文:太田安治