1976年に創業し、2026年に50周年を迎えるマフラーメーカー『スペシャルパーツ忠男』。ヤマハのファクトリーライダーとして国内外のモトクロスレースで活躍した“忠さん”こと鈴木忠男さんが立ち上げ、幅広い世代にファンを持つ。そんな人気ブランドを現在率いるのは、2024年、新社長に就任した大泉善稔さんだ。
文:齋藤ハルコ/写真:松川 忍

SP忠男浅草本店

画像: 東京都台東区花川戸2-17-10 TEL:03-3845-2009 TEL:03-3845-2010(営業部)※マフラーに関する問い合わせは業販部へ 営業時間:9:30~19:00(平日)、9:30~18:00(土日祝) 定休日:水曜日、第1・第3・第5火曜日 https://www.sptadao.co.jp/

東京都台東区花川戸2-17-10
TEL:03-3845-2009
TEL:03-3845-2010(営業部)※マフラーに関する問い合わせは業販部へ

営業時間:9:30~19:00(平日)、9:30~18:00(土日祝)
定休日:水曜日、第1・第3・第5火曜日
https://www.sptadao.co.jp/

「気持ちイー!」バイクライフを送りたいすべてのライダーのために、高品質なサービスを提供する実店舗。専任メカニックによるオリジナルマフラーの取り付けはもちろん、用途に合わせた最適なタイヤ選びを提案するタイヤ専門店でもあり、スタッフが実際に使用し、選び抜いたオイルを揃えたオイル交換も行っている。自車もしくはデモ車を使ったマフラー試乗体験も受付中(要事前予約)。

画像: 右から2番目が有限会社スペシャルパーツ忠男の代表取締役である大泉善稔さん。 愛車のピット作業を眺められる休憩スペースも設けられている浅草本店スタッフと共に。優れた技術と豊富な知識を持つスタッフがていねいで「気持ちイー!」対応をしてくれるので、安心してマフラーやタイヤ選びの相談ができる。

右から2番目が有限会社スペシャルパーツ忠男の代表取締役である大泉善稔さん。

愛車のピット作業を眺められる休憩スペースも設けられている浅草本店スタッフと共に。優れた技術と豊富な知識を持つスタッフがていねいで「気持ちイー!」対応をしてくれるので、安心してマフラーやタイヤ選びの相談ができる。

SP忠男入社のきっかけはモトクロスが上手くなりたくて

──40年以上に渡り、SP忠男のマフラー開発を統括し、ブランドの発展を支えてきた大泉さんですが、まず、SP忠男に入社した経緯を教えていただけますか?

「僕、登校拒否でずっと学校に行かなかったんです。(東京都葛飾区)四ツ木出身で、いつも荒川の土手で遊ぶのが好きだったんですけど、その土手にいつもモトクロスをやってる人達がいて、面白そうだなと思って。その頃、15歳とかだったけど、なんとかお金をかき集めて、親に内緒でスズキのRM80を勝手に注文したんです」

──勝手にってすごいですね(笑)。

「それをオートバイ屋さんが受けてくれた時代だったんだよね(笑)。で、朝早くから荒川の土手までRMを押していって、乗り始めるようになったのが、今につながるバイク人生のスタートですね。土手ではモトクロスやってるお兄ちゃん達に遊んでもらってて、半年ぐらいした頃かな。『入社させてください』ってSP忠男に手紙を書いたんです。当時はもっとモトクロスが上手くなりたかったから、こういう会社に入れば上手くなれるかなと期待してたんですよ。それに当時読んでいたバイク雑誌に忠さん(=元全日本モトクロスチャンピオンであり、SP忠男の創設者である鈴木忠男氏の愛称)も出てて、『この人なんだか面白そうだな』って感じたんですね。あとはヘルメットの目玉マークがツボにハマったのもあるかもしれない(笑)」

──忠さんがヤマハワークスライダーだった頃からのトレードマークですね。実際に働くことになって、ワクワクしましたか?

「ワクワクというより、自分の退路を断つみたいな感覚でした。登校拒否で学校には何年もろくに行ってなかったから、なんとかしなくちゃいけないって気持ちがすごく強くて。そんな時、たまたま出会ったオートバイの面白さが強烈すぎて、『この仕事で生きていこう!』って思ったんですよ」

マフラーで大切にしているのは「体の記憶に残る」気持ち良さ

──入社当時のSP忠男はカスタムパーツショップだったそうですが、いつからマフラー開発が主軸になったのでしょうか?

「忠さんは『極東精機』という、旋盤機械を使った金属加工会社の末っ子で、僕が入った当時はボアアップキットとか、バックステップ、ハンドルとか、あらゆるパーツを作ってたんです」

画像: オリジナルマフラー「POWERBOX(パワーボックス)」は実用域での理想的なパワーアップを実現。

オリジナルマフラー「POWERBOX(パワーボックス)」は実用域での理想的なパワーアップを実現。

──忠さんご自身が、モノづくりが好きな社長だったんですね。

「そうそう。忠さんは『社長』って呼ばれても後ろ向いてるくらい、自分が社長って意識がなかったけど(笑)、モノを作ることは大好きで。でも、売れるか売れないかはあんまり考えないから、市場競争力が高くない商品もどんどん作っちゃうんですよ(笑)。僕は18か19歳のときに上野店の店長になって、たまたまマフラーの担当になりましたが、立場的にも利益を出さなきゃいけない。なので、当時マフラー製作を発注していた工場の人と一緒に、売れるマフラーとは何かをすごく考えました。今でもマフラーの開発は、もう40年以上のお付き合いになる、その専属の工場の皆さんと進めています。そこから徐々に、マフラーの開発を主軸に、タイヤ専門店としての業務も行う、現在の形に絞り込んでいった感じです。特に僕は早いうちから、SP忠男の得意分野を、ストリートのライダーに向けた、ストリートで楽しめるマフラーの開発に集中した方がいいと考えてました」

──それはどうしてだったのでしょうか?

「僕はお店に入る前、自分のRM80の部品をいろいろ変えては、バイクが良くなっていく楽しさを知ってたからですね。練習場所の土手で会ったおじさんが、余ったベルレイのオイルをRMのタンクに入れてくれて、オイルのすごさを実感したことや、カヤバのサスペンションに変えたときの驚き、クシタニのレーシンググローブを初めて使ったときの感動とか、全部今でも覚えてるし、自分のセンターにはその気持ちが残ってる。だから、僕達の作るものにお金を出してくれるお客さんをいちばん大切に、僕達が作ったマフラーで笑顔になってもらうことが、会社としての基本だと思ってました。そのうえで、乗ったライダーの体に忘れられない特徴を残すことを、マフラー開発でずっと大事にしてきましたね」

──〝体に残る特徴〟をめざしたことが、多くのファン獲得につながったのですね。

「僕らのお客さんって、ずっとSP忠男のマフラーを使い続ける方が多いんですよ。バイクを買い替えるときも『マフラーのラインアップがある車種から選びたい』と言ってたり、5台、6台と乗り換えてきた愛車の全部にうちのマフラーを付けてくれたり。息子さんのバイクにお父さんがうちのマフラーをプレゼントするとか、親子で使ってくれてる話もよく聞きますね」

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