尾藤部長の愛車はマニア垂涎のスーパースポーツ
1967年シーズン限りでロードレース世界GPから撤退、ワークスチームとしてのレース活動を休止したホンダ。それから8年を経た1975年、ホンダは久々に国際レースへの復帰を決断。HERT(ホンダ・エンデュランス・レーシングチーム)を結成、ヨーロッパ耐久選手権へのチャレンジを開始した。CB750FOURをベースに、DOHC化などの大改良を加えたワークス耐久レーサーRCBを開発し、瞬く間に世界の耐久レースを席巻するようになっていく。
こうやって耐久レースで培われた技術を活かして、CB750FOURの後継モデルとして1979年にCB750F/900Fがデビューし、1980年には耐久レーサーもCB―F系ベースのRS1000へと移行していく。そして1981年には、さらなる高性能を追求したCB1100Rが誕生する。当時ヨーロッパなどで盛り上がっていた、大排気量プロダクションマシンによる耐久レースへの参戦を前提にしたレースベースモデルであったため、エンジンは排気量を1062ccにまで拡大され、最高出力120PSにまでパワーアップ。アルミタンク、FRP製カウル、シングルシート、ジェネレーターの小型化などのレーシーな造りを採用、フレームやサスにもRCB、RS1000で得られたノウハウが取り入れられた。
しかも手組みで生産される、当時としては破格のスペシャルマシンだった。1981年のRBはネイキッド仕様、ハーフカウル仕様があったが、1982年のRCからフルカウルのみとなり、フロントホイールの18インチ化など足周りを改良。1983年のRDで生産を終了、3年間で約2500台しか生産されていない希少なマシンだ。
協力:株式会社KADOKAWA