CBX のキット車を駆り、沢渡がサーキットで躍動
CB400FOURが生産中止となった後、カワサキ、ヤマハ、スズキが相次いで発売した4気筒400ccモデル。4メーカー最後発として、あらためてホンダが1981年に投入したのがCBX400Fだ。ホンダは、最後発のハンデを挽回しようと、CBXに「付加価値」をイメージづける。それが、当時盛り上がり始めていたレースへの「敷居の低さ」。CBXの戦闘力を生かして、軽いモディファイだけで出場できる「スーパーストリート」(=SS)クラスを創出したのだ。
正式名称は「スーパーストリート400オートバイレース」。ちょうど、4輪モデルであるシビック(ワンダー以前、スーパーシビックと呼ばれた型)でもシビック・ワンメイクレース開催を発表し、つまりSSクラスはほぼCBXのワンメイクレースとして想定されていた。
このSS400クラスに参戦するためのキットパーツをRSC(=レーシングサービスセンター/現HRC)から発売し、SS400クラスを、当時盛り上がり始めていたTT―F3レースとの混走ができるようレギュレーションを制定。そのRSCキットを、またはそのキットを組み込んだレースマシンをRS400Rと呼ぶようになった。ちなみにRSCからは、RS400Rと呼ぶ完成車は市販されていない。これは、CBR250Rを発売した2011年、市販車と同時にレースベース車を発売し「CBRカップ」を創出したこと、さらにそのワンメイクレースが、のちにST250やJP250と統合されたことにも一致する。
この4ストローク400ccレースの頂点が、鈴鹿4時間耐久ロードレース。82年からTT―F3とSS400クラスの混走となったこのレースの人気は爆発し、83年には280台のエントリーを集めてしまう。予選通過は60台、つまり220台は予選落ちしてしまう超激戦レースとなったのだ。
そのクラスで頭角を現したのが、現TV解説やジャーナリストとして活躍している宮城光さんで、82年には鈴鹿選手権TT―F3クラスにSS400マシンでレースデビュー。83年にはモリワキからTT―F3マシンでエントリーし、鈴鹿4耐優勝とともに、全日本選手権でもシリーズチャンピオンを獲得。「スーパーノービス」と異名をとり、アイドルレーサーとまで呼ばれるようになる。そのTT―F3レースの人気が爆発するきっかけには、まぎれもなくCBXとレースとの関係があったのだ。
協力:株式会社KADOKAWA