※月刊オートバイ2018年8月号より

なにより自分が乗りたくて北米仕様を輸入しました

CBR900RRを初めて見たのはアメリカの雑誌でした。今でもあの時の興奮を覚えていますが「ついに出たか!」というのが第一印象でした。

当時は750㏄以上のモデルが大型ツアラーばかりの中、コンパクトな車体にわずか185㎏の車重で、エンジンもパワフルな122PS。その頃人気だったCBR400RRの兄貴分というべきレーシーなルックス。もう、大ヒットの予感しかしませんでしたし、まず誰よりも早く手に入れて自分で乗ってみたかった。だから、欧州仕様よりひと足先に発売になる北米仕様に目をつけて輸入したのです。

画像: 「日本一RRを売った男」 ホンダの逆輸入車で一躍名を馳せた「パッセージ」代表。CBR900RRは初年度だけで300台を販売、逆輸入車ブームに先鞭をつけた。

「日本一RRを売った男」
ホンダの逆輸入車で一躍名を馳せた「パッセージ」代表。CBR900RRは初年度だけで300台を販売、逆輸入車ブームに先鞭をつけた。

当時は逆輸入車を扱うお店がほとんどなかったこともあって、毎日電話は鳴りっぱなし。必死で現地在庫をかき集め、大型コンテナで輸入しました。本格的に逆輸入車を大量輸入したのはこの900RRが初めてでした。

輸入すればすぐ売れてしまい、ある時同じ北米仕様でもパワーの低いカリフォルニア仕様が誤って入荷したことがあったのですが「それでもいいから欲しい!」と言われて売れてしまったことを今でも思い出します。

結局、デビューイヤーの93年だけで300台の900RRを販売し、その後の2型も「アーバンタイガー」カラーが爆発的に売れました。CBR900RRというバイクがなかったら、その後の逆輸入車ブームは来なかったでしょうし、今のリッターSS時代もないと思います。何より、900RRは小さなバイクショップだった弊社を育ててくれた「恩人」です。

This article is a sponsored article by
''.