僕たちの世代は「男子16歳にしてオートバイに乗る」が普通のことだった

2スト車が注目されているという話を聞くと、思わずニヤリとしてしまう。80年代のレプリカブーム世代なら誰しも「あの頃は良かった」的な感傷があるはずだし、4ストしか知らない若い世代は2ストロークというエンジン形式が好奇心を刺激するのだろう。

懐かしくて新鮮、という点ではアナログレコード人気の再燃と同じだが、それぞれが過去のものとなった経緯はだいぶ違う。CDの登場でアナログレコードが駆逐されたのはメディアの保管や持ち歩き、操作などの扱いやすさをユーザーが望んだという理由が大きいけれど、2ストエンジンが淘汰されたのは地球環境保全という社会の要求。2ストエンジンは構造上Nox(窒素酸化物)の発生を抑えることが難しく、燃費も4ストに比べて劣るからで、ユーザー個人の意志が直接反映されたからではない。90年代以降、2スト車が次々と生産終了となっていく様子をやるせない思いで見ていたライダーは多かったはず。1974年に免許を取った僕もその一人だ。

僕たちの世代は「男子16歳にしてオートバイに乗る」が普通のことだったけれど、最初から高価な大排気量車に乗れる高校生はほんの一握り。多くは50㏄からせいぜい400㏄クラスの中古車でライダーデビューを果たしていた。70年代前半のこのクラスは2スト車全盛で、小〜中排気量の4スト車を作っていたのはホンダだけだから、バイク仲間の7割は2スト車乗り。僕が最初に買ったオートバイはヤマハのRD350で、通学用に買ったのもヤマハGT80(ミニトレール)という2スト車。いつだってマフラーから吐き出される青白い煙とその匂いが付いて回った。

そもそも高校生の僕らはエンジン形式の違いなんてよく判らず、「同じ排気量なら2ストのほうが軽くて速い」という程度の知識しかなかったけれど、「エンジンオイルを消費するので減ったら補給する」ということさえ覚えておけば問題なし。メカ的な興味以前に燃費の悪さとエンジンオイル代が災いして財布が軽くなるほうが切実な問題だった。

70年代中盤になると、厳しさを増す大気浄化法(通称:マスキー法)の影響がはっきりと現れ始める。カワサキのSS(マッハ)やスズキのGTシリーズが生産を終了するなど、中排気量以上で2スト車の淘汰が急速に進む様子を見れば「2ストは80年代に全滅する」という話にも信憑性がある。時期はともかく2スト車のフェードアウトは既定路線だと誰もが思いかけていたが、1台の新型車が空気を一変させた。80年8月にヤマハがパワーと軽さという2スト車のメリットを全面に押し出して市販開始したRZ250だ。ロードレース専用マシンTZ250譲りのエンジン/車体構成はスポーツ指向のユーザーを惹き付け、メーカーの開発陣や販売店の予想をはるかに超えて売れに売れた。

他メーカーは4スト化を最優先していたはずだが、RZの商業的な成功を見ればライバル車をぶつけるしかない。ホンダのMVXとスズキのRG-Γが83年、カワサキのKRが84年と、RZの発売から間が開いているのは、2スト車をいずれ消える運命と判断して新型車を開発していなかったからだろう。

4メーカーの2スト車が出揃って『レーサーレプリカ』というジャンルが確立したのだが、MVX→NS→NSRと短いサイクルでフルモデルチェンジを行なって急速にシェアを伸ばしたのがホンダだ。国内メーカーでは断トツに4スト率が高いメーカーだったから個人的には意外だったけれど、ワークスレーサーNSRや市販レーサーRSの技術的ノウハウとレースイメージを積極的に市販車に活用する戦略が見事に当たった。

初代のNSR250Rは86年10月デビューしたMC16型。見るからに剛性の高そうなツインスパーフレームとシリンダー挟み角90度のVツインエンジンは市販レーサーのRS250Rにそっくりだ。パワーや車重といったスペック数値は同じく市販レーサーTZ250のレプリカバージョンとして大ヒットしたTZR250とほとんど同じだったけれど、比較試乗ではテストライダーの誰もがNSRのストレートスピードの速さ、つまりホンダパワーを絶賛した。しかし、ハンドリングは神経質で峠道レベルの荷重では扱いにくく、個人的にはTZRのほうが好みだった。

初代NSRはたった一年でフルモデルチェンジされ、型式名はMC18に。カタログ表記では45馬力だが、10%まで許されていた誤差を逆手にとって50馬力程度は出していたというし、テールカウル内にあるコネクターを1本抜くだけで60馬力、社外チャンバーに交換すれば65馬力という話もあながち都市伝説とは言えないほど速かった。ただ一つの問題はハンドリングの気難しさ。この頃はバイアスタイヤからラジアルタイヤへの過渡期で、NSRのフロント17インチバイアス、リア18インチラジアルという変則的な組み合わせにも開発陣の苦労が感じられる。それでもプロダクションレースで決勝を走るマシンは圧倒的にNSRが多く、高いポテンシャルを証明した。当時、僕が監督を務めていたレーシングチームでは88年型をベースにF3用キットパーツを組み込んだHRC製の市販レーサー、NSR250RKを2台走らせていたが、タイム的には市販レーサーのRS250Rに迫るもの。88年型の通称「ハチハチNSR」は「歴代NSRの中で最速」と言われ、現在では半ば伝説のバイクとなって中古車市場でも高い人気を保っている。

個人的に一番好きなのは90年型MC21)だ。エンジンの主要パーツを新設計して点火や吸気を制御するPGMシステムも大幅に進化。8000〜11750回転まで最高出力をキープするという、2スト・スポーツモデル用とは思えないパワー特性のエンジンに仕上がっていた。車体もフレーム剛性を最適化し、前後17インチのラジアルタイヤを採用。これで硬質でサーキット専用という印象があったハンドリングは大幅に改良された。

ピークパワーに加えて幅広いパワーバンドと素晴らしい旋回性・安定性を兼ね備えたハンドリングを得たMC21は「魔法のバイク」と呼ばれるほど完成度の高いマシンだ。一昨年の秋にRIDE誌(89号)の取材で91年型NSR250SEに峠道で試乗したが、25年も前のオートバイとはまったく思えない。2ストらしい鋭い加速力、軽さゆえの強力な減速力、意のままに向きを変える素晴らしいハンドリングで、現在の250ロードスポーツとは次元の違う走行性能を見せ付けた。最新の1000㏄SSモデルのようにパワーを持て余すこともないし、軽さのおかげで多少ラインを外しても修正しやすい。ただ目の前のコーナーを切り取っていく。それだけのことが楽しくて仕方がない。だが、面白さを実感するほどに、2スト車が消えた現在を恨んだ。

MC21型にはスタンダードのほかに、乾式クラッチとダンパー調整機構付き前後サスを装備したSEと、SEの装備に加えて前後に軽量なマグネシウム合金製ホイールを採用したSPがある。歴代NSRのマイベストモデルはMC21型のSP。当時のライバル車だったTZR250SPと共に、10年ほど前から欲しいと思い続けているオートバイだ。サーキットでタイムアタックするのではなく、サスペンションセッティングを変えたり、タイヤの特性を感じながら自分のペースで高速ツーリング? して気持ちのいい汗をかくことが今の僕のささやかな願望だ。

さて、80年代の2スト・レプリカシーンをリードし続けたNSR250Rシリーズだけど、レプリカブームの終焉、そしてさらなる排ガス規制の強化という時代の流れには逆らえなかった。最後のNSR250Rとなったのは93年11月に登場したMC28型。ホンダお得意のプロアーム(リアの片持ちスイングアーム)を採用し、よりワークスレーサーに近いルックスになったが、パワー規制によってカタログ値は40馬力にダウン。実際に走らせてもそれまでのNSRのような鋭さは感じられず、街中での乗りやすさが増していた。だがエンジン制御のプログラムを書き換え、レース用チャンバーを装着したSPレース仕様は素晴らしく速かった。富士スピードウエイで試乗したSPレーサーは75馬力近いパワーで、最高速も実測で240㎞/h程度は出ていた。これはF3仕様の4スト・400㏄マシンと互角で、潜在性能の高さを表す数値だが登場が遅かった。すでに人気の中心はネイキッドモデルや大型スーパースポーツへとシフトしていて、2スト・レプリカはごく一部のマニア向けという存在。そしてMC28型は初代登場から13年を経た99年にひっそりと生産を終了してしまった。

それでもNSRにはいまだ多くのファンがいる。「もう一度NSRに乗りたい」、「ずっとNSRに乗り続けたい」という声に応え、ホンダが主要パーツを再生産したとも聞いた。素直に嬉しい話だ。好きなバイク、優れたバイクに年式は関係ない。ビジネスとしては合わないだろうが、NSRファンを大事にするというホンダの姿勢は大いに評価できる。

2スト車の人気再燃の理由はどうでもいい。ただ、一度乗ることを強くお勧めする。NSRだけではなく、TZR、Γ、KRといった2ストモデルには、「ライダーが主役」というスポーツバイクの本質があるからだ。

画像: 僕たちの世代は「男子16歳にしてオートバイに乗る」が普通のことだった

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