ゼロハンスポーツ戦争を最後発で過激化させた!
いきなり250や400に乗るライダーの方が少なかった当時は、まず50 ccでクラッチの繋ぎ方を学び、ギアチェンジの意味を知った。レプリカブームは、原付ライダーにも無縁ではなかったのだ。
水冷エンジン&モノショック化という意味では、RZ50やMBX50に先を越されたスズキは、ゼロハンながらに82年12月、WGPレーサーの「ガンマ」の名を50ccに与えてしまう。ガンマという由緒正しきネーミングを市販車で冠したのは、なんと250よりもこちらの方が先。スズキが原付クラスにかける熱い思いを感じずにはいられない。
ウインカーがカウルにビルトインされたビキニカウルや角型フレーム、その意気込みは本物だった。
125だって手加減なし!それがスズキの流儀