ホンダの歴史そのものはレース参戦とともにあった
ホンダは2014年、MotoGPマシン・RC213Vに限りなく近いロードゴーイングバージョンを発売することを発表。
イタリア・ミラノで開催されたEICMAショーでRC213V-Sとしてその姿を現したというニュースは、世界中に大きな驚きをもたらした。
なぜなら、公開されたプロトタイプは保安部品が装着されている点を除けば、どこを取って見ても昨年圧倒的な速さでマルク・マルケス選手に世界チャンピオンをもたらしたマシン・RC213Vとの違いが分からないほどの、本当の意味での「レーサーレプリカ」だったからだ。
しかも世に数あるワークスレーサーの中で、特別な意味を持つホンダ「RC」の称号を冠された最新モデルということもその衝撃をより大きく感じさせたと言える。
ホンダの歴史はレースと共にあった。
それはホンダがまだまだ新興メーカーでしかなかった54年3月、創業者・本田宗一郎氏自ら「絶対の自信を持てる生産態勢も完備した今、まさに好機到る! 明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである」と宣言した檄文、世に言う「マン島TTレース出場宣言」から始まる。
当時世界最高峰のマン島TTへ挑戦することで技術を磨き、世界市場に進出することを目指すという宣言であった。
しかし戦闘力を持ったマシンを完成させ、実際にマン島TTに初挑戦したのは59年。
この時のマシンが、RC栄光の歴史の第一歩となったDOHC2気筒エンジンを積んだ125ccレーサー・RC142である。この最初の挑戦では4台をエントリーして最上位は6位。これを皮切りに、60年代のホンダは世界GPに全力で挑む。
61年には念願のマン島TT初勝利に加え、125ccでT・フィリス選手、250ccでM・ヘイルウッド選手が世界チャンピオンを獲得。
以後は参戦クラスを拡大しながら、67年までに、合計16の世界タイトルを獲得してGP史に一時代を築いた。
この時代のRCレーサーの特徴は、当時まだ高度なメカニズムだったDOHCを積極的に採用、さらに125cc・5気筒、250cc・6気筒といった他に例のない多気筒化による、超高回転・高出力なエンジンだ。
その構造は「腕時計のような」と形容されるほどに精緻さを極め、RCレーサーの速さの源となったが、67年限りでの世界GP撤退をもって全ては伝説となった。
ホンダが世界GPに復帰したのは79年。
最後の4ストGP500マシン・NR500での苦闘から、80年代から90年代にかけては2ストマシンのNS500・NSR500で再び黄金時代を迎える。
そして02年に最高峰の500ccクラスが4スト・1000ccのMotoGPへ移行した時、栄光の車名「RC」が独自のV5エンジンを積んだRC211Vとしてサーキットに返り咲き、V・ロッシ選手らの手でさらなる勝利を手にする。
その後も07年のレギュレーション変更に合わせた800ccV4のRC212V、そして12年から1000ccV4のRC213Vを投入、常にMotoGPのトップを争うマシンであり続けている。
こうした半世紀以上に渡る栄光の歴史を背負っているからこそ、2015年に発売を開始したRC213V-Sの存在は、大きな意味を持っているのだ。
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