単一ブランドが誕生60年 オートバイが文化になる
世界のオートバイ史に「CB」というオートバイが初めて誕生した1959年は、つまり昭和に直すと昭和34年。
当時といえば、スーパーカブが誕生した翌年で、ホンダがマン島TTレース、今でいうモトGP世界グランプリの一戦に、初めてスポット参戦した年。
なによりホンダ創業から、まだ10年ほどが経過したばかりだ。
ちょうど、映画「3丁目の夕日」の風景、つまり東京タワーが完成したばかりで、東京こそ舗装路が増えてはいたものの、まだまだ未舗装路だらけだったニッポン。
東海道新幹線開通を5年後に、東名高速道路の部分開通を10年後に控えていた、そんな遠い時代のことだ。
そんな頃に初めての「CB」CB92が誕生した。その5年前に、創始者・本田宗一郎さんが「マン島TTレース出場宣言」をぶち上げたように、ホンダはいち早く、オートバイの未来に「スポーツ」の匂いをかぎ取っていたのだろう。
CBとは、それまでのオートバイが国民の足や荷物運搬のための手段だったものを、スポーツの乗り物とする先駆けだったのだ。
初めてのCBが誕生して10年、1969年にはCBナナハンが現われた。
世界の量産市販車で初めての4気筒エンジンを搭載、4本マフラーに4連キャブレターを装備し、最高時速200㎞を公式発表とし、世界中で大ヒットした。
特に、当時の世界ナンバー1マーケット・アメリカでは、発売5年間で約15万台を販売し、すでにスーパーカブのおかげもあって生産台数世界一のメーカーだったホンダが、ビッグバイクでも世界を獲った__そんな記念碑となったのだ。
しかし、ナナハン誕生は新たなライバルの誕生を呼び、カワサキがZ1を、スズキはGS750を発売。
当のナナハンも発売10年を経て、リニューアルのタイミングを迎え、発売されたのが「新世代CB」ことCB900Fだった。
F誕生の後には、オートバイのエンジンは水冷化、高性能競争へと突入。
ホンダのスポーツモデルのエンジンはV型にとって代わられた時期もあったが、今でも「CB」というネーミングはホンダスポーツバイクのど真ん中に生き続ける。
ひとつのブランドが60年も生き続ける__ホンダCBとスーパーカブならではだ。
アメリカで、世界で歴史を塗り替えたナナハン
1969年登場のナナハンは、確実に世界のオートバイ勢力図を塗り替えてしまった。
当時、世界一の巨大市場であるアメリカでは、ビッグバイクといえばイギリス製オートバイのこと。
ホンダも、当時アメリカの標準的な人気モデルだったイギリス製650㏄に対抗すべく、CB450を発売するが、期待ほどの人気を得ることができず、さらなる大排気量車の開発を急ぐことになる。
それで誕生したのがナナハンだった。
750㏄という排気量は、トライアンフも750㏄ツインを開発している、との情報を得たからで、ならばホンダはさらに上を行く4気筒で、という計画がスタートする。
ハイウェイを時速100マイルで巡航できる4気筒エンジン、高速から安全に減速できるディスクブレーキ、信頼性の高い灯器類、そして優れたデザインであること、という開発要件を満たしたナナハンは、1500台という年間の生産台数見込みが月間生産台数となり、さらにその数字も3000台に引き上げられるほどの大ヒットモデルとなったのである。
PHOTO:赤松 孝、鶴身 健、松川 忍、南 孝幸、森 浩輔 モーターマガジン社アーカイブ TEXT:太田安治、宮崎敬一郎、中村浩史、本誌編集部