浅間火山レースを制したベンスパ・キューニー
ホンダのファーストモデルといえば、1947年発売のホンダA型。
もっともこれは自転車に組み付ける小型補助エンジンのことで、車体も含めたホンダの完成車と言えば、50年発売のドリームD型だろう。
鋼板のプレス材で車体を構成したオリジナルフレームを持つドリームD型に対し、53年発売のベンリイJは、鋼管バックボーンフレームを持つ4ストロークモデル。
驚くべきことにホンダは、完成車の第一号からわずか3年で、現在のオートバイデザインに相通ずる車体設計を作り上げたのだ。
その6年後に誕生したのが、ファーストCBこと125㏄のCB92だ。
古いファンが「ベンスパ」(=ベンリイスーパスポーツ)と呼ぶ、ホンダ初と言っていいスポーツバイクは、55年に始まったメーカー対抗「浅間レース」、その第3回の125㏄クラスで優勝。ちなみにマン島TTレース初挑戦の59年、練習車として持ち込まれたのも、このCB92だ。
カブ、ドリーム、そしてベンリイとも違うスポーツブランド「CB」が誕生したのだ。
PLAYBACK1960-1970s
"国民の便利なアシ・交通手段からの脱却 CBはオートバイにスポーツを持ち込んだ"
初めてCBのネーミングが市販車に使用されたのは、1959年2月発売のCB92。
つまり、今から60年前、昭和年号に直すと昭和34年のこと。
フジテレビ、テレビ朝日が放送を開始した年で、山口百恵さんが生まれ、世界のホームラン王、王貞治さんがプロ入り第1号ホームランを打った、そんな遠い昔。
小年マガジンと小年サンデーもこの年に創刊している。
「もはや戦後ではない」という流行語が生まれたのが昭和31年、その頃のオートバイといえば、まだまだ国民の便利な移動手段、荷物運搬の乗り物でしかなく、昭和33年にスーパーカブC100が発売されたばかり。
昭和40年頃になると、各メーカーのオートバイのラインアップも実用性重視、というわけではなくなり、ホンダもCB450を対米戦略車として発表。
ナナハンが世界を席巻する足掛かりができ始めることになる。
後発に追われるナナハン第2世代「F」が登場
CBナナハンが発売されると、国内市場にもビッグバイク人気の風が吹き始める。
アメリカで成功したナナハンは当然のように日本でもヒットし、カワサキ500SSや、スズキGT750とビッグバイク人気を分け合うようになるのだ。
しかし、時代は4ストローク化へ向かい始め、カワサキはZ2こと750RSで、そしてスズキはGS750でナナハンを追撃。
先行ゆえに新鮮味の薄れたナナハンがフルモデルチェンジしたのが「F」だった。
Fは、当時盛んになり始めた世界耐久レーサー、RCBにも使われた、ホンダファン待望のDOHCエンジンを採用。
10年前のナナハンがアメリカを強く意識したモデルであったのに対し、Fはストリームラインと呼ばれる、流れるタンクシートのデザインラインを持つ「ヨーロピアン」で、まさに対ヨーロッパ販売戦略を考えられたモデルだった。
SOHCがDOHCに、4本マフラーは2本に、パイプハンドルはジュラ鍛セパレートに、一足飛びに進化して「第2世代」CBが誕生するのだ。
PLAYBACK国内750大戦争
”永遠のライバル・CBとZはこの頃に生まれた関係性”
ナナハン発売の69年、ほぼ同時に開発されていたカワサキZが、750㏄の4気筒モデルという、ナナハンとカブるキャラクターのために900㏄へと軌道修正。
さらに、その900㏄モデルの発売前に「国内販売モデルは750㏄まで」という業界ルールが出来上がってしまったため、900スーパーフォーが海外へと活路を見出さざるを得なかったストーリーは有名だ。
そして、この750㏄バージョン750RSが73年に国内発売されたことで、発売から5年が経過していたナナハンもさすがに新鮮味が薄れ、国内750㏄人気をカワサキにさらわれてしまうことになる。
さらに76年にはスズキも国内市場にGS750を投入し、ヤマハも3気筒モデルながらGX750を発売し、国内の750㏄ウォーズが勃発。
満を持して登場したのが「ホンダ第2世代」CB750Fだったというわけだ。