しかしカタナは、ハンス・ムートの手になる斬新で美しいスタイリングによって、今も色褪せることのない存在感を放ち続け、現在でも多くのファンを惹き付ける、時代を超えた名車と呼ぶにふさわしい1台だ。
普遍的な人気を誇る稀な存在
79年。ドイツの2輪専門誌「モトラッド」が、創刊号の巻頭特集としてデザインコンペを企画。
その話がスズキにも持ち込まれ、イタリアの工業デザイナー、ジョルジェット・ジュージアーロにデザインを依頼したGS850Gベースのカスタム車を出品する。
このとき、同じコンペに出品されていたドイツの新興デザイン工房「ターゲットデザイン」が手掛けたMVアグスタ750Sが、スズキの現地スタッフの目に留まり、GSX1100Eをベースにした次期主力モデルのデザインを依頼することになる。
デビューからおよそ35年。今もマニアの熱い視線を集めるGSX1100Sカタナ誕生のきっかけは、この雑誌企画だったのだ。
依頼から半年あまりでプロトタイプが完成し、80年の西ドイツ・ケルンショーに姿を現したGSX1100Sカタナ。
それまで見たこともない斬新なデザインと、抜き身の日本刀をイメージしたダイレクトなネーミンングとシルバーのカラーリングで、世界中に衝撃を与える。
ショー会場の人だかりを見て急遽アンケートを作成し、来場者に5段階評価を付けてもらったところ、1か5かの両極。
これはすなわち与えたインパクトの大きさの証明であり、市販化に自信を持ったという。
マフラーを2本出しに変更し、小さなスクリーンが装着されたカタナは、81年秋にデリバリーが開始されるや否や好調なセールスを記録し、世界中でカタナ旋風を巻き起こすのだった。
83年。6本スポークキャストホイールを採用し、バックスキン調のシート表皮を一般的なビニールレザーに変更したSD型にマイナーチェンジ。
続く84年にはレッド×シルバーにのSE型となり、そのまま86年まで生産が続けられる。
87年。ホイールを星型キャストに戻し、初期型とは異なるバックスキン調シートを採用したSAEが欧州向けに継続生産されるが、円高によってカタナの国内相場が下がったことでニーズが増加し、SAE型の多くが日本に逆輸入された。
また、日本の大手ディーラーの企画によるレッドフレームにレッドシートが特徴のSBEも限定生産された。
このSAEとSBEを最後に、スズキはカナタの生産ラインを撤収。それと前後するように日本で絶版車ブームが訪れ、「もう二度と造られない」カタナの人気が再燃する。
90年。スズキ創業70周年記念モデルとしてカタナを再生産。輸出車扱いだったが、事実上日本市場へ向けたモデルで、最初からシートベルトも装備されていた。
当初1000台限定だったが、完売後もタンク上の70周年記念ステッカーの無い仕様を継続生産。91年にはレッド×シルバーも追加された。
94年3月。ANDFを廃止し、オイルクーラーやリザーバータンク付きリアショック、デジタル点火、電動アシストクラッチなどを装備した「正規国内仕様」が発売される。
そして、2000年にファイナルエディションが1100台限定で登場。
フロントブレーキがφ300ディスク+4ピストンキャリパーに強化し、カラーリングも光輝感の強い専用のシルバーとするなど、全体に高級感をアップ。
大好評のうちに即刻完売となった。
衝撃のデビューから35年。基本、デザインだけでここまで人気を維持して来た、世界的にも希有なバイクと言っていいだろう。