青木拓磨さんといえば、日本のレースシーンに燦然と輝く、あの「青木3兄弟」の次男坊。今年の鈴鹿8耐にも出場する長男が宣篤(ノブアツ)、三男が現オートレーサーの治親(ハルチカ)、そしてMotoGP解説でもおなじみの次男・拓磨さん。いや、「さん」づけなんてらしくない、いつもどおり親愛の情を込めて呼び捨てで拓磨、でいきます。
拓磨は、青木3兄弟の次男としてポケバイ→ミニバイク→ロードレースとステップアップし、1995~96年には全日本スーパーバイクタイトルを獲得。3兄弟の中で、拓磨がいちばん世界チャンピオンに近い――とする関係者も多い中、世界グランプリに挑戦を開始します。1997年、拓磨が23歳の春でした。
97年から世界グランプリGP500クラスに参戦をはじめ、他マシンに比べて戦闘力が劣ると言われたNSR500V(トップマシンは4気筒、拓磨のマシンは2気筒でした)でデビューイヤーでの表彰台登壇も実現し、ランキング5位を獲得。
そして翌98年2月に、ニューマシンテスト中に転倒し脊椎を損傷。そのまま下半身不随のダメージを負い、車いす生活を余儀なくされてしまうのです。
それから拓磨は、レーシングチームの監督やアドバイザー、レンタルバイクによるミニバイク耐久レース「レン耐」を主催、ずっとサーキットの人であり続けました。
同時に、下半身が不自由でもドライブできるクルマのレースにも積極的に出場し、ハンドドライブクロスやクロスカントリーラリー、ダカールラリーなどの自動車レースにも出場。2017年からはフランスの耐久選手権VdeV(=ベデゥベ)に参戦。2020年には、ル・マン24時間耐久レースに出場することも決まっています。
そして2018年、三男・治親がフランスGPである光景を目にすることになります。
「ハンディキャップのひとのレースがあったんです。車いすからバイクに乗り換えて、サーキットを走ってる! あ、タクちゃんにもコレやってほしい!って思ったんですよ」(治親)
治親は、スクーター改トライクや、自動でサイドスタンドが出るシステムを持つ特殊車両に乗る拓磨をみて、転ばないスクーターじゃない、サーキットをバイクで走ってほしい、という思いが強くなったそう。
「僕が出ていたVdeVシリーズもそうですけど、フランスやイギリスって、ハンディキャップのレースが多いんです。片腕がなかったり、足がなかったり、でもレースやってる! 僕がVdeVで走っているチームも、フレデリック・ソーセさんという、四肢欠損の人がオーナー。人食いバクテリアにやられて、生きるために四肢を切断、それでも5年後にル・マンに出るんだ、って強い意志をもって復活した人。ハンディがあったって人生あきらめない、チャレンジがエレルギーを生んで、それがまわりに広がって活動していく――そんな考えが僕と同じだったんで、一緒にやろう、って」(拓磨)
そして治親は、なんとか拓磨に「バイク」に乗ってほしい、またサーキットを走らせたい、という気持ちを持ち続け、書き慣れない企画書を作り、その熱は長男・宣篤にも伝わり、青木3兄弟によるプロジェクトがスタートしました。
「サイドスタンドプロジェクト、って名づけました。拓はクルマでレースをやったり、自分でも日常でクルマも運転します。でも、バイクとなれば、またがるだけでも、走るのも、止まる時も、誰かの支え、サポートがないと成立しない。だからこそのサイドスタンドプロジェクトなんです」(宣篤)
この考えに賛同したHonda、ブリヂストン、SDG(=昭和電機グループ)、テルル(=ピーアップ)、GOSHI(=合志技研工業)の協力を得て完成したのが写真のCBR1000RR SPの「拓磨」スペシャル。両足をステップに固定し、シフトチェンジはフランス製のハンドチェンジユニットを装着。アルパインスターズのレーシングスーツの首元には、拓磨の現役時代の代名詞でもあった赤いバンダナ――。あ、惜しい! 走行写真のアライヘルメットにあのペガサスがない!
そして、拓磨が鈴鹿を走りました。最高速はバックストレートで時速240km/h!
「鈴鹿をレーシングスピードで走るのは、97年の日本グランプリ以来、22年ぶり。ホンダさんをはじめ、ブリヂストン、昭和電機さん、テルルさん、合志さんと、たくさんの協力をいただいたおかげで今ここにいます。本当に感謝しています」と拓磨。
そして、ひとりではできないスタートとゴール地点には……。おっと、それはここまで。
実は鈴鹿8耐で、拓磨がデモランをすることが決定し、この3兄弟共演のシーンも、鈴鹿8耐で見ることができます。前夜祭と、決勝レース前に、青木琢磨+サイドスタンドプロジェクトのデモンストレーションランが行なわれます。
実は青木3兄弟、拓磨のケガ、治親のオートレース転出、宣篤のGP生活引退といろいろな節目が重なって、疎遠になっていた時期がありました。疎遠というより不仲で、その兄弟の絆をつないでいたのが治親だったように思います。長男と次男が折り合いが悪くて、末っ子がそれを取り持つ――いろいろありますよね、大人なんだから。
だから、今回の兄弟そろい踏みは、関係者全員の願いでした。なんとか青木んとこの3人を元通りにできないもんか、って動いてくれた人は数多い。長い期間にわたって疎遠だった兄弟をまたつなげたのも、バイクだったわけです。
「ハルに『こういうのやらない?』って言われてイチもニもなくOKしましたよ。即決。面白いじゃん、やりたかったんだ、って。もう1回レーシングマシン(市販CBR1000RR改だけど)に、しかも鈴鹿で乗れるっていうのは感慨深いですよね。ケガをしてバイクをあきらめている人は多いだろうし、車いすでアレができない、コレは無理だ、なんて諦めちゃう人はたくさんいると思う。バイクじゃなくても、チャレンジすることをあきらめないでほしい。夢をあきらめんな、ってメッセージです。これを、鈴鹿の大観衆の前でみんなに見てもらって、僕からハンディのあるひとにメッセージを送りたい」と拓磨。
ダメだ、目から汗が出てきた。
レースとともに、必見の案件がまたひとつできました。
写真/後藤 純 文責/中村浩史