W2SSの日本版「W1スペシャル」はハイウェイ時代の高速GT
東名高速が断片的に完成し、すでに全線開通していた名神高速と接続された1968年。
国内もいよいよハイウェイ時代が訪れようとしていた。
そんな時代背景のなか、最大排気量だったWは「GT=グランドツーリング」とカタログで謳われ売り出されていく。
海外市場でW2SSへと進化していたツインキャブ仕様のまま、S=スペシャルとしてモデルチェンジ。
初期型は輸出仕様でこそ50馬力を絞り出したが、国内版は47馬力にとどまり、そこへきての53馬力であったから性能は充分。
国内では堂々たる重厚感が重要であったため、ショートフェンダーを備えるSS路線ではなく、ディープフェンダーを踏襲した。
キャブトンマフラーが奏でる豪快なサウンドは、ファンの心をすぐさま鷲掴みにし、後にマッハやZが続いて登場しても、Wシリーズは日本のバイクファンにとって特別な存在として輝き続けていく。
海外ではスクランブラー人気を受け、アップマフラー仕様のW2TTもリリース。
後期型で燃料タンクを全塗装にするなど、Wシリーズも改変が迫られていたことがわかる。
右シフトチェンジの英国式から左シフトチェンジのドイツ式に
900スーパー4=Z1(1972年)の大ヒットで、カワサキはビッグバイク市場で不動の地位を確立する。
66年のW1、69年の500SSマッハⅢでまいた種たちが、華麗に花を咲かせたのだ。
海外市場はZ1が席巻し、振動が多く高速化に対応しきれないW系は撤退していく機運。
そんななかで国内の一部ライダーたちは、W系に熱視線を向け続けた。
転機となったのは、Z1登場前の71年に発売したW1SA。
英国式の右チェンジを、若者にも親しまれているドイツ式の左チェンジにし、燃料タンクはオールペイントに刷新した。
再び「W1スペシャル」と名乗ったカタログには、イメージモデルに若者たちを起用し垢抜ける。
こうした若返りを図った策が功を成し、一躍人気モデルとなっていく。
Z登場後のWは担う役割が代わり、SSや高速GTでもなければ世界戦略車でもなくなっている。
すでに750RS=Z2が国内ラインナップにあり、最大排気量であることも後続モデルに譲っていたが、愛好者は根強く支持した。
クセともいえる圧倒的な個性があり、多くのバイクファンが高性能化を望んだ当時でさえも味わい深さが高く評価され、熱狂的ともいえるファンを次々に生んだ。
そして73年発売のW3でRSを名乗るとおり、ロードスターとしての道を歩み、ナナハンブームや四発人気が高まっても、ロクハン、バーチカルツインの人気に陰りを見せない。
1973年 KAWASAKI 650RS(W3)
メグロから続くミッション別体式のOHV2気筒は、DOHC4気筒も登場した70年代前半には、すでにシーラカンスのような存在でしかなく、その人気の昂ぶりは常に高性能化を求めていく開発エンジニアたちにとっては意外なことであり、戸惑いを隠せないものだった。
特に前輪ブレーキをダブルディスク化したW3の発売は社内でも賛否両論あったという。
そんなW3も生産終了を74年12月に迎えると、新車にプレミアム価格がつき、10年以上が経った86年公開の角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」(原作:片岡義男)にも登場するなど伝説化に拍車をかけた。
ここまでが長いWの歴史の第1幕だ。