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ルーツは目黒製作所の同排気量並列ツイン「K」
日本製のモーターサイクルがまだまだ小排気量モデルをメインとしている1960年。
1927年創業の名門メーカーである目黒製作所は496㏄のバーチカルツインエンジンを搭載したメグロスタミナKを誕生させた。
しかし、当時すでに経営状況が芳しくなかった同社は、後の川崎重工業のひとつである川崎航空機との業務提携を決定しており、1962年にはカワサキメグロ製作所に改称。
翌1963年には川崎航空機に吸収されることとなった。
1965年、カワサキはスタミナKをレベルアップさせたモデル「カワサキ500メグロK2」を発売。
目黒製作所時代のKの設計を元に、川崎航空機内で新たに設計され、耐久性、最高速度ともに向上を果たしていた。
K2はメグロブランドによる最後のオートバイとして1966年まで販売され、カワサキはこのモデルをベースに、エンジンのボアを8㎜拡げ、624㏄にスケールアップしたX650を試作する。
この試作車を1965年の東京モーターショーで発表。
それと並行して、川崎重工の明石工場ではX650を改良して生み出した「650‐W1」の製造をスタートさせていた。
W1の誕生でカワサキは世界中で知られるようになった
ものづくりの世界において、〝カワサキ〟という名から連想されるのは造船か、大戦下でその高性能で世界を驚かせた「飛燕」を製造した川崎航空機工業であった50年代。
150社を超すオートバイメーカーの中では、2サイクル小排気量モデルで一目置かれていたものの、大排気量車といえば官庁にも使われる目黒製作所が広く知られていた。
そんなメグロと業務提携し、60年代に入ってから吸収合併したカワサキは、海外市場に進出する本格派大型車の開発に挑む。
それがW1だった。
500㏄の排気量を持つメグロK2のOHV並列2気筒をボアアップし、624㏄にスケールアップ。
最大のマーケットであったアメリカへ輸出し、当時の市場を席巻していた英国車に立ち向かった。
つまりWもまた、後のZやニンジャがそうだったように、海外勢と世界ナンバー1の座をかけて真っ向勝負したカワサキのフラッグシップであり、後続の大ヒットモデルたちが登場する前に道しるべとなった先駆者であったのだ。
日本のビッグバイクメーカーとして、名刺代わりに送り込んだ名機は国内でも憧れの対象。
伝説の始まりである。
完全輸出向けモデルのW1SSとW2SS
人気の英国車勢と同じ〝650〟であるだけでなく、アメリカで人気が出るように、当時のオートバイとしては斬新ともいえるクロームメッキにキャンディレッドを組み合わせた派手なエクステリアとしたが、最初から上手くいくはずがない。
シカゴに現地法人を設立し、販売店や顧客からの要望に耳を傾け、化粧直ししたのがW1SSだった。
「コマンダー」とネーミングし、SS=スーパースポーツであることを強調する。
ハンドルをプルバックスタイルにし、前後フェンダーを短く切り落とすと、前後18インチだった足まわりは、迫力があってより走破性が高いフロント19インチに変更。
マフラーも英国車勢が付けていたキャブトンタイプに一新していく。
広大なアメリカでは、パワーも欠かせない。
すぐにW2SSへと発展させ、1つしか備えていなかったキャブレターを2つにし、50馬力だった最高出力を欧州勢に匹敵する53馬力に。
Z1のようなビッグセールスに至らなかったものの、高性能ビッグマシンなら、日本のカワサキも選べることを強烈にアピールすることとなったのだ。