(※webサイト ロレンス 2019年11月9日の記事より)
"髭剃り王"も注目した、最も売れたハブセンターステアリング車とは?
ビモータブランド久々の新作として、EICMA2019(ミラノショー)で公開されて話題となっているTESI H2ですが、カワサキの過給器付きエンジンとハブセンターステアリング採用のシャシーの組み合わせが、どのようなライディングプレジャーを提供してくれるのか・・・市販化が楽しみですね!
ところで、一連のビモータTESIの特徴であるハブセンターステアリング(以下HCS)ですが、これは何もビモータのだけの技術ではなく、採用例は2輪史の黎明期・・・パイオニア期やベテラン期のころから存在していました。その最古の例のひとつ・・・英バーミンガムに本拠を置いていたジェームスは、1910年には早くもHCSを取り入れていました。
「世界で最も作られたHCS車」が登場したのは、1921年のことでした。カール・ネラカーがデザインした車両は、HCSのほかにも低床フレーム、CVT的な摩擦式変速機など、様々な個性的なメカニズムを採用していました。
なおネラカーは全くの独創から生まれたワケではなく、米デトロイト・バイ-カー(Bi-Car)社のライセンスを受けて、作られたものです。そしてHCSのパテント自体は1905年の英ゼニス・バイ-カー・・・さらにそのライセンスは1904年の英ツーリーから、とのことです(ややこしいですね・・・)。
ともあれ初期のTCS車の多くがバイ-カーを名乗っていたことから、当時のTCS車は一般的なモーターサイクルというよりは4輪自動車の2輪版・・・を志向していたことがうかがえます。
ネラカー以前のHCS車の評価がどんなものなのか・・・は定かではありませんが、ネラカーはアメリカで1万台、英国でのライセンス生産で6,500台・・・と言われているくらい多くが作られたこともあり、ネラカーの優秀性は今でも知ることができます。
ネラカーは万人向けの経済的な2輪コミューターとしてデザインされていました。そして路面やエンジン、そして燃料タンクなどから汚れが乗り手につくことを防ぐことができる、ステップスルーの車体レイアウトだったので、ライダーは着る服を選ぶ必要がありませんでした。また極めて低重心で、直進安定性にも優れていたとネラカーは、信頼性の高さでも評価されていました。
ちなみにネラカーを製造販売するニューヨーク州シラキュースのネラカー(Ner-A-Car)社に出資した者のなかには、安全カミソリを発明・販売して巨額の富を得た「髭剃り王」ことキング・キャンプ・ジレットもいました。
つまりネラカーは、あの「ジレット」創始者がその先進性を認めたHCS車ということができるでしょう。
テレスコピックフォーク全盛時代に、あえてHCSで挑戦!
ネラカー以降も、1930年代はフランスのマジェスティックなどの量産HCS車は存在しましたが、HCS車が業界の主流となることはありませんでした。
戦前はガーダーフォークが剛性や重量のバランスの良さが評価され、とりわけスポーツ車に最も適したフロントエンドという考え方が支配的だったのです。
そして戦後になると、いわゆるBMW方式のテレスコピックフォークが英国車業界でも流行するようになり、その傾向が今日まで続くことになります。
1950年代までは世界各国のメーカーおよび発明家は様々なフロントエンド方式の研究に取り組みますが、1960年代にはテレスコピックが性能や量産性が最も適しているという評価が定着し、それからは主にロードレースの世界でHCS車の可能性が追求されていくことになりました。
ビモータのテージは、イタリア語で「論文」を意味します。ピエルルイジ・マルコーニとロベルト・ウゴリーニがボローニャ大学の学生だったころ、英国のエンジニアであるジョー・ディファージオのHSCに影響を受けて書いた論文がテージの源流となったことから、この名称が与えられることになりました。
1990年に初の量産公道用テージ1Dが発表されるまで、ビモータはロードレースに様々なテージ・シャシーのマシンを投入しましたが、いずれも際立った成績を残すことはできませんでした(なお自社製2ストロークV型2気筒500ccを搭載するデュエも、最初はテージ・シャシーのGP500cc用プロトでした)。
世の中は依然テレスコピックフォーク全盛期ですが、カワサキ傘下のビモータブランドが、今後どのようにテージのHCSを発展させていくことになるのか? 注目しましょう!
まとめ:ロレンス編集部 宮﨑健太郎