今回訪れたのは、多くのバイク乗りが訪れる秩父エリアの「聖神社」。寒かった冬が終わり、新緑が眩しい春の秩父往還を疾走ります。
※この記事は月刊オートバイ2018年6月号で掲載したものを加筆修正しております。
みんなの願いはただ一つ!
関越自動車道を降りて、国道140号線を秩父市街地へ向けて疾走ります。
すると「和銅遺跡」と書かれた大きな看板が見えてきました。
気になるのは、その文字の下に描かれた「お金」の絵。その看板につられる様に次々と車やオートバイが吸い込まれていきます。
今回の神社拝走記で訪れたのは、埼玉県秩父市に鎮座する聖神社(ひじりじんじゃ)。
ここは、日本の貨幣発祥の地と言われています。
なるほど、社殿の前に大きな和同開珎がそびえ立っています。最初に見た看板に描かれたお金の絵は、和同開珎だったんですね。
約1300年前に、この地で精錬を必要としない銅が発見されました。それを機に、日本で初めて硬貨が作られたそうです。
もともとは、その事柄にちなんだ神社でした(もちろん今も)。
しかし和同開珎のイメージが、やがてお金のイメージに。そこから転じて、現在では「金運」のカミサマとして多くの人に信仰されています。
決して大きいとは言えない神社ですが、次から次へと参拝者が絶えません。みんなの願いは、ただ一つ。全国から集まった人々は、参拝の順番待ちの列の中で不思議と打ち解けてらっしゃいました。
さっきまでは他人だったのに…。これもご利益なんでしょうね。
神社一口メモ
聖神社から、山へ入って行く様に少し歩くと、細い道の先に、少し開けたところを発見! この沢こそ、銅が発見された場所。ギャートルズサイズの和同開珎は必見。
疾走って、話して、眺めて
秩父市の隣に位置する小鹿野町。ライダーにとって小鹿野町と言えば、バイクの聖地のひとつではないでしょうか。
「ウエルカムライダーズおがの」と題し、町をあげてライダーを温かく迎えるという取り組みをされています。
その中でも、とりわけライダーが集まるお店があると聞いて、小鹿野町を目指し疾走りました。辿り着いたのは「ライダーズカフェ・Moto Green-G」。
Moto Green-G
所在地:埼玉県小鹿野町小鹿野377-1
秩父市街地より少し足を伸ばしたところにあるカフェ。コーヒーなど飲み物はもちろん、食事も楽しめます。店長をはじめ、全国から集まるお客さんもバイク好き。
ライダーなら1度は訪れてほしい場所です。
僕が着いた時はちょうど、店長の小野さんと他のライダーが、バイクを挟んで笑顔で話しているところでした。
ご自身もライダーであり、とっても気さくな小野さん。店内に並べられた貴重な展示車両にまつわる話をして下さいました。
車両のみならず、店内はオートバイ好きにはたまらない物ばかり。それを眺めながらのコーヒー、そして店長との会話。
ツーリングの目的地としては、最高なのではないでしょうか。RIDEのバックナンバーもたくさんありました。
お腹のタンクも満タンに!
秩父往還と称される国道140号線。秩父より山梨方面へ、まさに昔の旅人が通ったであろう道を疾走ります。景色はいよいよ山深くなり、並んで流れる荒川も表情を変えてきました。
ツーリングを楽しむならば、まさにココからというところ。折り返すも良し、このまま峠を越えるのも良し。そこに、ライダーのために存在するようなお店があります。そう、RIDEではお馴染みのバイク弁当「大滝食堂」さんです!
ライダーで料理人の横田さんが作るお弁当は、全てに愛情を感じます。
食べやすいように、おかずはシンプル。でも、味付けは大満足間違いなしのプロの味。厚切りの豚肉に、手間を惜しまない濃厚な味が染み込んでいます。
それがタンクの形をしたお弁当箱に詰まっているのです。
道から感じる人の想い
行きたい所へ、行きたい時に行ける。さらに風を感じることが出来る。それがオートバイのいいところ。なにを隠そう僕も、この魔力に取りつかれた一人です。
でもちょっと待てよと、疾走っている途中にヘルメットの中で思ったのです。オートバイも大切なんだけど、その前に思いもしなかったこと。それは、道。
オフロードバイクで切り拓く道なき道は別として。道が無ければ、オートバイは走れない。
行きたい所へ行く自由を感じていたけれど、そこには必ず道があった。道に導かれていたのかもしれない。そう考える今だって、僕は道の上を疾走っているのです。
「行きたい所へ行きたい」と最初に思った人たちの、その想いが形になったもの。それを道と呼ぶのかもしれませんね。
歩こうが疾走ろうが、道だけは変わりはしないのですから。
ならば、僕が今疾走るこの道は、誰の思いが創り出した物なのだろうか。
秩父往還。なんて魅力的な響きをする名の道なのでしょうか。秩父と山梨県の南巨摩郡を行き来するための道で、古来より存在していたそうです。
秩父地方にはヤマトタケルにまつわる神社が多くありますが、そのヤマトタケルが山梨県側から秩父へ入る時に通ったのも、この秩父往還だったと言われているそうです。
そうなると、2000年前頃には人の行き来があったことになります。
獣道から砂利道へ、そしてアスファルトへと、時代とともに変わっていく道。
駆るものが変わっても、地図はそんなに変わっていないのでしょう。2000年もの歴史があっても、人の想いにはあまり変化はないのかもしれません。
調べてみると、自動車で埼玉県側と山梨県側を行き来できるようになったのは、平成10年になってからのことだそうです。
意外と最近なんですね。やっぱり、人の想いはすごい。
2000年もの間、人が行き来していることにも驚くし、成長を止めなかった道にも驚きます。道は、人の想いを表しているのかもしれないですね。
次の神社へも、他の人に出会うも、全ては道で繋がっているってことかな。
たどり着いた場所で、エンジンを休ませる。地面に座り、田んぼのずっと先を眺めました。遠くに、大自然に馴染んだ工場がありました。
風が吹き、花びらが飛んできた方を見ると、そこには大きな桜の木が立っていました。
季節が変わろうとしている。
疾走っている時は気付かなかったけど、立ち止まってこそ気が付く時間の流れ。
「立ち止まる」って、決してネガティブなことじゃない。気付くことが出来るのだから。
もう少し休んでから疾走り出そうと思う……神社拝走の旅は続く!
文:佐々木優太/写真:関野 温